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ローカルで申し訳ないが、高知県立歴史民俗資料館へGo!! [その他]

ローカルで申し訳ないが、高知県立歴史民俗資料館へGo!!
今を生きる禅文化-伝播から維新を超えて-展

 今日(平成29年10月18日)は高知県立歴史民俗資料館へ行ってみた。一昨年か昨年に南国市長谷寺御住職から県立歴史民俗資料館にて禅の展示が予定されている。道元さんは有名だが栄西さんがあまり知られていないから臨済宗をおもにするとお聞きしたことがあった。この10月14日から『今を生きる禅文化-伝播から維新を超えて-』(『』機種依存文字?堪忍)が催されており是非みたいものだと思っていた。

 ひとりでゆっくり見たが良かった!とつくづく思う。まず御開帳を逃していた自宅近くの宗安寺(ヘェー住所がAsakuraなんだ)の秘仏にお目にかかれた。僕としては不動明王さんよりも脇侍(持国天立像・増長天立像)二体が気に入った。
 その他御紹介すべきものが多いが、簡単にvaluable("めぼしい"の漢字はと変換するとATOKが英単語を出してきた、なるほどと・・・)なものを。

 まずは女房殿へは竹茶杓(千利休作・京都慈照寺)。筒中央に利休の花押、箱に随流斎(表千家五代)・如心斎(七代)が書き、如心斎と碌々斎(十一代)の文が添えられ大切に伝えられたものだ。
 この週末に見に行こうねとの義理で女房殿へとしたが勿論茶道関係者の方々にこそお勧めです。m(_ _)m
     アッ女房殿ヘモ m(_ _)m全テ義理ジャナイカラ

 多くの禅僧画・禅画も見ることができるが宗教はチョットとおっしゃる方には若冲(もちろん!!伊藤若冲)の鶏が二匹(京都鹿苑寺・京都両足院)、京都慈照寺からは花が届けられています。女房殿お友達(?)のいる天龍寺からは自賛のある夢窓疎石像が来ています。ついでに書けば山口で一緒に見ようとした雪舟(ものは違うけど)もあります(京都相国寺)。高知では滅多にお目にかかれないものだ。

 臨済宗で纏めようとしているとはじめにお聞きした際には想像も出来なかった展示になっていると感激。本当にお勧めです。高知在住であれば行かなきゃ損(ちなみに老人手帳があれば無料、手元になければ免許証で行けるかも)。今回の展示については義堂周信・絶海中津・吸江寺など土佐関連もしっかり押さえられているが、「志国土佐 幕末維新博」を受けて維新期の苦難からの復興にも光りを当てたという主催者の慧眼に感服した。南禅寺境内図絵(雲外筆、京都南禅寺)・妙光寺記録写真(京都妙光寺)を見ると現在の四国遍路番外札所も再興して欲しいと思う。資料であり見て喜ぶ・感じるものではないが再興録(吸江寺)・復興願書(薬師寺)も展示されている。

 お遍路さんたちは山本玄峰師を御存知だろうか?和歌山県の旅館で生まれたがたらいに入れて捨てられ、拾った岡本善蔵・とみえ夫婦の養子となり岡本芳吉を名乗った。17歳の時に岡本家を継いだが、病気のために家督を弟に譲りお四国を回り、素足で巡礼したとも云われる。七回目の遍路の途中、雪蹊寺(第三十三番札所、高知市長浜)の門前で行き倒れとなり山本太玄和尚に拾われ、寺男から勤勉さを認められ修行に入る。臨済宗妙心寺派の管長となられている。また鈴木貫太郎の相談役となり、昭和20年 8月15日玉音放送の「耐え難きを耐え、忍び難きを忍び」の文言を進言したとされる(以上wikipediaより略述)。高知県立歴史民俗資料館は国分寺から善楽寺へ向かう途中にある(高知大学医学部附属病院までにあるが、北側の国道からが判りやすい、南側は岡豊城址の案内があり、そこから・・・と思う)。書と富士・堪忍袋の禅画が展示されています。

 Canon(そう云えば観音だよなぁ)ファンにお勧めは、最新のデジタル技術と工芸技術による「文化財未来継承プロジェクト」。俵屋宗達「風神雷神図屏風」の高精細複製(建仁寺)もTVで見るものと全く違い現物の迫力にせまります(現物を見ていないが・・ (^^;;; )。

 僕個人としては愛媛県大乗寺から山田無文師の墨跡が出品されてオッと思った(「忘れる技術」を何回も読んだ)記憶があるが、展示に携わった知人によれば図録の内容は前期・後期で展示する予定で無文師は後期だから図録を見ての勘違いだろうと・・・。まあ、今週末に確認に行こうと思っている。しかしなんだな、ヒトはどんどんと忘れるようになっているそうだ。日々の出来事の中で自分が嫌だったことなどを記憶してしまう。ある意味、無文師の忘れる技術は煩悩からの解脱への近道だったか。

P.S.
 高知県立歴史民俗資料館の知人に電話で良かったよと伝えると三年かかったもんなあと・・・。その価値あります。


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'細川ガラシャ夫人' [書物(本・雑誌)雑感]

'細川ガラシャ夫人(上)(下)'
三浦綾子
小学館
小学館eBooks 三浦綾子電子全集
2012年12月28日
(底本)新潮文庫刊(2012年7月10日第51刷改版発行)

 細川ガラシャ、玉子は明智光秀の娘である。明智光秀の本能寺挙兵は足利将軍家再興を計るものだとの手紙が少し前に新聞に載っていたが、信長が足利義昭を奉じての上洛には光秀と細川幽斎の働きがあった。光秀と凞子から生まれた玉子は信長の命により細川幽斎の長男忠興に嫁ぐ。この本では本能寺の変は信長による光秀の領地没収が契機として描いている。細川家では存亡をかけて明智の娘を生かしておくわけに行かないと問題になるが、この上ない美形の玉子を失うことを忠興が拒否、二年間「丹後の味土野」に隠されることになる。幽斎は足利義輝・義昭に仕えていたが、夫細川忠興が信長、秀吉、家康と戦国の世で生きのこる苦しみを玉子の目・心情(必ずしも忠興に忠実ではない)から描かれ、キリストの安息に導かれていく。いくさによる周辺の変化もあり退屈させず読ませるが、無類の女好き秀吉への謁見、石田三成の大阪城への呼び出しはドラマティックである。

 「氷点」の三浦綾子である。細川ガラシャは読みたかったが、作者がキリスト教徒であり僕のこだわりから読まなかった。本書でもすでにキリシタンである公家出身の清原佳代(マリア)との問答のなかで、キリスト教と仏教違いは「神」はカミが申したことで「仏」はヒトだから神が上と・・・。エッ?てなものだ。この問答は冗談として、僕の心が仏教に帰依したのはインドの神々について悩みヒトをとった仏のほうが上だと思うからだ。描かれるキリストの福音は安息であり、イスラム教徒のインシャラー(インシャー・アッラー:神のみ心のままに)と本義的は同じだろう(イスラム世界ではかるく使われることも多いらしい)。仏教で云えば煩悩を捨てた境地か?むしろ無常・空に近いか(ハイ、書きすぎです)。絶対神に委ねるあちらの云い方だろうが、自力本願での解脱に比べると楽だよね。でも大乗仏教でも他力本願でが「善人なほもて往生をとぐ、いはんや悪人をや」だから信徒・非信徒を区別しない仏教のほうが宗教的だと思う。神が申したことよりヒトが考えたほうが深い気がする。まあ、下らん問答があったもので 、宗教のほうは信心であり優越はないと認めなければいけないはず。でも、「夫に仕えるのは神に仕える」ことと死を選ぶのは教条主義的にならないか・・・?それが絶対神なのだろうが、当方「仏に逢うては仏を殺せ」宗派なもので・・・(遍路中に創価学会の勧誘を受けあまりに仏・ほとけと云うもので、この言葉を云うと本当に怒りはじめた。信心が深いって良いなあ・・・、でも嫌。破れ袋に風を入れて生きたい。)
m(_ _)m。

 この本から受けるひとつの強い思いは戦さのない世の中である。戦国時代に生きる聡明な女性(現代女性に近い)を描き、玉子と小学校教員を七年間勤めながら軍国主義教育・それまでの国家のあり方に苦悩し昭和21年退職する作者自身の強い平和への願いでないだろうか。飽くまでも女性の目として描かれているが説得力がある。

P.S.
 図書館戦争(あっ、単に戦争で思いついただけだから)も良いが、本格的な歴史小説を読まれるのも一興かと。
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