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寺田寅彦先生 感激!! [ひとり言]

寺田寅彦先生 感激!!

 Web ポータルサイトでは台風五号北上、明朝四国(または高知)上陸かとトップに表示されるようになった。昼食は外食でと出かける準備をしていると、ザッーと激しい雨が降ってきた。数分もすると晴れてきて雨に気付かなかった家人もいたくらい。昼食がすんで駐車場にいると吹いている風も強くなく雨も降っていないが厚い雲・薄い雲からの光り具合が嵐の前触れのようだった。また先日書いた車の接触事故の修理ができ自宅へ届けたいと連絡があり、情報では中村で風雨強く、高知の天候が悪化しない前に来たいとのことだった(すでに納車、まだ強い風雨ではない)。

 それで気象庁台風情報(気象庁)にアクセスして台風が九州・奄美に来てから予測が徐々に南のほうになっていることを確認。18時予想では台風の中心は高知市の南通過し、速度は15Kmと速くなっているが依然ゆっくりだ。

 題名の寺田寅彦は岩波文庫版の随筆集を高校時代から読んでいる。路面電車が満員で来れば、次の電車は空いている状態で早く来るって本当だなあと実用的でもあった(東京では通用しないか?同じトデン(土佐電鉄)なのに (^_^; )。今回の記事は、天災は忘れた頃にやってくる(台風前としては少し縁起が悪い)って言葉でなく気象庁の webのこと。上のほうにホーム・防災情報・各種データ・資料・知識・解説・気象庁について・案内・申請とあり、天気予報や地震情報・噴火情報は防災情報のタブにある。暇にまかせて各種データ・資料のタブをクリックすると、情報ズラリとあり気象庁頑張っているなあと感服。あちらこちらクリックして震源リストに辿り着いた。そっけない画面だったが、年月をクリックすると日単位でのリンクが表れた。もちろん適当な日を選んでクリックするとその日に日本列島で記録された地震がマグニチュード・深さを円の大きさ・色で表示される。震源決定には気象庁、国立研究開発法人防災科学技術研究所、北海道大学、弘前大学、東北大学、東京大学、名古屋大学、京都大学、高知大学、九州大学、鹿児島大学、国立研究開発法人産業技術総合研究所、国土地理院、青森県、東京都、静岡県、神奈川県温泉地学研究所、国立研究開発法人海洋研究開発機構、IRISの観測点、および2016年熊本地震合同観測グループのオンライン臨時観測点(河原、熊野座:2016年5月9日以降)のデータを使用していますとあり、寺田寅彦なら大喜びだろうなと思った次第。またこのデータがあれば、他のデータもあるだろうし、地震予報も正確さが増してくるのではないかとも期待した。もちろん行われているだろうがコンピュータによるシミュレーションも必要だろう。π(パイ)の計算に多数のパソコンを利用する試みがあったと記憶する。気象庁の音頭取りで希望者のパソコンを開放してシミュレーションする試みがあれば参加しても良いと思った。

P.S.
 夏台風は迷走するし朝の天気予報(テレビ)で関東地方には来ないと云いきった方、大丈夫かな?今でも淡路島から神戸への予想だが、昨日の夜は四国の北を通るでなかったっけ。迷走する夏台風だがUターンだけはしてくれるなと思う。
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チョットした疑問だったが [自笑狂夫老更狂]

チョットした疑問だったが

 久しぶりにニュース記事でもと思った。小さい記事だがこんなのがあった。

昭恵氏付職員、2人削減=政府、森友問題踏まえ(時事通信社)
(趣旨を変更しないように縮小、句読点変更、言葉も前後しています)  菅官房長官は4日の記者会見で、昭恵首相夫人付の政府職員について7月に5人から3人に削減したことを明らかにした。経済産業省の2人は復帰、非常勤の外務省職員3人を残す。学校法人「森友学園」への国有地売却問題で、昭恵氏付職員が学園側からの照会に応じるなどし、野党から批判が出ていたことを踏まえた措置。  昭恵氏付の職員は過去に、森友学園が運営する幼稚園での講演や選挙応援などに同行。公務員の中立性の観点から野党側は問題視し、政府は職員配置の在り方を見直していた。今後は、昭恵氏の私的活動については、首相の個人事務所のスタッフが対応する。


 僕は職員って兼SPの方かと思っていた。だから当然何人かの職員がいても不思議はないと。もちろん法的には総理大臣(経験者含む)にSPがつくが、家族につかないことは知っている。コメントでは税金の無駄づかいとの意見もあるが、(そんなことは起こらないが)夫人が誘拐されて日本の方針を変化させろと脅迫されると困るだろう。だからSPまたは秘書さん(兼SP)って要るだろうと。この点については夫人自らの言葉で日本の首相夫人に普段SPがついていないことに「日本は安全な国なんですね」と驚かれたり、うらやましがられたりしましたとある。ある意味世界の常識だろう(ここは日本だとは云わないで ハイm(_ _)m日本デス )。

 ちなみに上の言葉は、朝日新聞(グローブ)の2010年特集記事「ファーストレディの居場所」本人たちは公私のはざまで立ち位置を探す。ファーストレディーとは、一体何か。のwebオリジナル「ファーストレディーを語る第一回」で昭恵夫人(当時は元首相の妻)インタヴューにある。その特集03部Part2には「日本初の「オフィス」は、たった2人だった」の記事があり、どうして昭恵夫人から職員がつくようになったかが判る。その彼女の行動は官邸・外務省も及び腰であった。しかし、インタヴューのほうにブッシュ米大統領夫人にお目にかかり、色々なお話を伺いました。米国の大統領夫人と日本の首相夫人は全然違うな、と日米の差を感じました。米国は夫人をチームが支え、ファーストレディーは「仕事」。私は子どもとかかわることが好きなので、目新しいことよりも、自分がやってきた貧困地域や養護施設の訪問など地道に続けようと思いました。とあり彼女は自分の立ち位置をそこに見たのだろう。でもこの特集のキャプションは政治の象徴、立ち位置はどこになのだ。家庭の内に夫人はいるべきなのか、家庭の外でも活動すべきなのか?僕の年齢層は前者が多いと思う(僕?家庭大事で主婦でも主夫でも良い、だから前者)。--エーッと驚くな>息子・娘 m(_ _)m--

 森友学園問題で公私のけじめがないとされ(実際ないと思う、安部さん周辺の驕りと思いますが・・・)夫人に職員がつくこと自体が問題のようになっていますが、ファーストレディーとしてどのように扱い・振る舞えば良いのかを考える時なのでしょう。そこで職員が必要かどうかの問題かと(ここを書きながらブッシュ夫人のチームは私的なものか公的なものか確認必要と思いました、 webもあるし宜しく)。m(_ _)m

P.S.
 友人の元役人が現役の頃、近頃の若い職員はPCですぐに正解を出してしまう。自分たちの頃は六法全書をあちらこちら探してすぐに答えが出なかった。しかし、その正解以外のものを読むことで非常に力がついた気がすると云っていた。自分で探すのは大事です。せめて特集記事「ファーストレディの居場所」を読まれては?依光、違ってるよとなるかもしれませんから。
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運命を信じようかな? [自笑狂夫老更狂]

運命を信じようかな?

 僕は基本的に運命を信じていない。努力できる人とできない・しない人では道が違うだろうと思っている程度で、できる・できないも全て環境・素因など運命で決まっているとは思えない。

 でも高知駅に人を送った後、車の運転がなぜか不安で女房殿に代わって貰った。帰り道大きな坂ではないが両方が登りとなってチョット見通せない所がある。そこで大きなトラックが突然表れ、女房殿がキャッと声をあげた。僕の運転スピードなら衝突していたと思っている。またあるマイナーな神社に行った。ちょうど氏子さん達が神社を有名にするには今後どうすれば良いかなどと相談されていた。村人の怖れ神にならないようにとの神社で、僕はたいしたこともなくそっとしてあげていれば良いのにと思って車まで戻った。ところが跳ね上げた泥が見事に手形となってクッキリと見ることができた(祭られているのは子供だが手形は大きかった)。その数ヶ月後から手が痺れはじめ、今の病気の喘鳴以外では最初の症状である。

 そして今日のこと。
 その前に、歩き遍路(本番)を今週中に宇和島までしておこうと思っていた。台風も来ているので早目にはじめようと昨夜宿毛へ向かった。窪川から一般道となり、夜とばすより朝にしようと道の駅で休む(仮眠)とした。霧があり蒸すかなと思ったが自宅より遙かに涼しい(涼しいから霧なのだが・・・)、寝ようと思った時コトッと前回持っていた薬ケース(残1日分のみ)が落ちた。しまった、薬を持ってきていない。帰るよとメールして午前一時頃自宅に戻った。

 自宅で寝るとやはりノンビリする。朝一番で歩かなくとも、今日はシッカリ準備をと考えた(具体的には宿毛でタブレット用にタイプCの充電兼用 USBケーブル、モバイルバッテリー購入。実は・・・、ポータブル・ソーラー発電可能です。テントで連泊可能になるだろうと購入済)。ラッシュが終わる頃に家を出た。そして車同志で接触してしまった。もちろん事故なんか滅多にない、クスリを忘れることも滅多にない。車の接触と行っても軽微なもので、幸いなことに人はお互いなんともない状態だった。

 以前歩き遍路はじめた頃(もう七年前か)、自分の仏教のイメージに合わないことも多く弘法大師さんの悪口(ゾロアスター教だろうとか・・・)を云ったこともある。そして何故かお遍路で帰らなければならないことが起こり、お大師さんから来なくて良いと云われている気がしたことがある。空海がいかに御釈迦さんの仏教を大事にしたかの本(竹内信夫:空海の思想 ちくま新書1081 僕には充分理解できない内容です)も読んだし、なにより御利益か足のシビレは全然違う、改善している。お礼参りとは称さずに、できるだけ札所(番外も)を歩かせて貰いたいと思っているだけだが、また今回も来なくっても良いよと云われた気がする。まあ、あくまでお大師さんからのサジェスチョンとして僕は歩いて行く。お遍路で歩くことが大きな目で見ると、それができなくなるまでの、運命と思っている(いろいろのしがらみで通しができないことが残念だが・・・)。

'大四畳半大物語' [書物(本・雑誌)雑感]

'大四畳半大物語'
松本零士
ぶんか社(BUNKASHA COMICS 名作漫画LEGENDシリーズ)
2017年8月10日 初版第1刷発行
ISBN 978-4-8211-3465-6

 団塊世代限定かな?サルマタケである。この一言で説明不要。でも、どの四畳半がお馴染みだろうか?

元祖大四畳半大物語(足立太)
   別冊漫画アクション 昭和45年6月27日号~昭和49年2月9日号 全78話
聖凡人伝(出戻始)
   漫画ゴラク 昭和46年8月19日号~昭和48年11月15日号    全116話
聖サルマタ伝(大山昇太)
   週刊少年マガジン 昭和45年11月15日号・11月22日号     二部作
男おいどん(大山昇太)
   週刊少年マガジン 昭和46年5月9日号~昭和48年8月5日号   全116話
ワダチ(山本轍)
   週刊少年マガジン 昭和48年~昭和49年

 僕は別冊漫画アクションはあまり読まなかったが、週刊漫画アクションにはお世話になった。Wikipedia の連載された作品としてリストアップされているものから単行本などを購入した作品を列記する。

キャラ者(江口寿史)
嗚呼!!花の応援団(どおくまん)
江口寿史の爆発ディナーショー(江口寿史)
共犯幻想(原作:斎藤次郎、漫画:真崎守)1972年 - 1973年
気分はもう戦争(原作:矢作俊彦、作画:大友克洋)
結作物語(黒鉄ヒロシ)
恋子の毎日(ジョージ秋山)1985年 - 1992年
高校生無頼控(原作:小池一夫、作画:芳谷圭児)
さよならにっぽん(大友克洋)1977年 - 1978年
じゃりン子チエ(はるき悦巳)1978年 - 1997年
009ノ1(石ノ森章太郎)1967年 - 1970年
童夢(大友克洋)
博多っ子純情(長谷川法世)
ルパン三世シリーズ(モンキー・パンチ)1967年 - 1969年
新・ルパン三世シリーズ        1977年 - 1981年
若者たち(永島慎二)
我ら九人の甲子園(原作:高橋三千綱、漫画:かざま鋭二)

 単行本でないもので全巻揃えたのは009ノ1、我ら九人の甲子園だけ。しかし漫画アクションの紹介(wikipedia)モンキー・パンチの『ルパン三世』、石ノ森章太郎の『009ノ1』、小池一夫・小島剛夕の『子連れ狼』、バロン吉元の『柔侠伝』シリーズ、大友克洋の『気分はもう戦争』、長谷川法世の『博多っ子純情』、はるき悦巳の『じゃりン子チエ』、いしいひさいちの『くるくるパーティー』、植田まさしの『かりあげクン』、相原コージの『かってにシロクマ』、臼井儀人の『クレヨンしんちゃん』、西岸良平の『鎌倉ものがたり』、太田垣康男の『一平』などのヒット作の初出誌としても知られる。とあり何故かリストアップされていない柔侠伝は全巻揃えた。駒子(とにかく自分に素直、それ故変な娘に見えるけど)・朝子(苦労されましたね)・茜ちゃん(野菊でなくひまわりの娘)のヒロイン三代だけでなく、登場する女性へのバロン吉元の愛情が好き。どんなやさぐれでもしっかりと描き、彼女らに涙することも多い。今でも読んでいます。

 オッとサルマタケだった。漫画ゴラクは読んでいないでの、僕にとっては喫茶店で読んだ週刊少年マガジンの「男おいどん」なのだろう。僕は高校生の時から下宿していたが、読みながらあるある気分であったし、そこにいるって感じだった。今回収録されているものを読むと、僕に較べて主人公を慕ってくれる女性がいたじゃないかと思う。エッ、願望だった?なら、許す。それでも諦めない夢があったよね。

P.S.
 やっぱり調子がでていないか、テーマがずれてゴメン。
 (昔から?そうかもしれない。)

 なぜ突然サルマタケだって、発行年月日を確認して下さい。
 コンビニにタバコを買いに行くと目に入りました。
 僕には戦場まんがシリーズですね、松本零士は。
 でもオッと思わず購入。

夏場、多量の汗をかかずに歩き遍路できるか? [四国遍路]

夏場、多量の汗をかかずに歩き遍路できるか?

 ここ三日間歩いてみて面白いほど汗をかいた。タオル地の頭巾は首の後を覆い夏場に良いと思っていたが、絞ると汗が流れ落ちる。Tシャルもそう、ビッショリと肌にくっついている。不感蒸発も何もあったものではない気がした。

 汗をかくと蒸発する時に熱を奪い体温が下がるはず。発汗が多すぎて蒸発する温度に至らず、熱が籠もりやすくなるってことはないだろうか?やはり水分量相当で体温を下げているのだろうか?何となく前者の気がする。適量な汗であれば蒸発熱を奪ってくれるが、多すぎると蒸発の絶対量が減ってくるのではないかろうか。

 高知愛媛県境の松尾峠を登った。目安にしていた標識が壊されている。もともと二系統の標識が設置され、後 400mとありフウフウ云いながら登っても後 400mの標識がでていた(両系統とも 200m毎に設置)。頭にきた方が壊したのだろうか?今まではその標識を見ながらペース配分していたが、標識がでるまで(僕としては)ピッチが速すぎて汗まみれになってしまった。思わず、夏遍路 あせアセ汗が 顔に背に と浮かぶくらい。やっと標識を見た時には、ここまで来ればもう少しと思ったが、すでにバテ気味になっていた。

 一本松から城辺に旧遍路道(県道)を通る際も、上大道の前にチョットした坂があり、二度目の時低血糖を起こしてしまった思い出の坂となっている。坂を登る前に空腹感を覚えたが、上大道の休憩所でゆっくり食べようと思った。しかし低血糖を起こしている時は、それを思い出せなかった。水?塩?補給してもボゥーとした感じはとれず、どうせ休むからとパンを食べてすぐに改善、さっき空腹感があったと思い出した。話がずれたが、この坂でも汗まみれになった。時間はたっぷりとっている練習遍路、松尾峠でも30分近く休憩所で休んだし上大道の休憩所でも30分は休んだ。ヒマワリ畑から実にきもちがよい風が吹いていた。その時にタオルで身体を拭くと気持ちが良い。汗が多すぎるとダメだろうと、城辺までゆっくり汗をかかないように歩くことにした。もちろん汗はでるが多すぎないように注意して。割とうまく行った。
 冬山登山では汗は厳禁という、夏山登山ではどうだろうか職場の山男に聞いてみよう。山と歩き遍路は違うとも時々聞くが。まあ汗をかきすぎれば休めば良いし。

P.S.
 最初の歩き遍路の夏(2010)も猛暑、ゆっくり慣れていたせいか猛暑・猛暑の報道の割に楽だった。慣れよりも足の痺れで休み休み歩いたのが良かったのだろうか?500-1500mに一度は休んだから。女房殿は歳だから気をつけろと云ってくれるが、最初の時より時間的には問題にならないくらい距離を稼げている。

 今回の歩きで本番開始の自信もできた。よしやるぞと思ったが友人の電話でできるかなあと心配になっている。友人も皆歳だからなあ。
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