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【コラム】自虐的史観と仰有る方々へ [コラム・評論]

【コラム】自虐的史観と仰有る方々へ


 田母神前航空幕僚長の論文が話題を呼んでいる。今日は昭和21年に平和と文化を重視する日本国憲法が公布された日であり、半年後に施行された 5月 3日の憲法記念日とともに、思いだすべき記念日である。あの頃日本は猛烈に反省していたが、決して敗戦国にやってきたアメリカに従隷していたのではない。日本国憲法も GHQの存在下だが日本の主張をしっかりと入れ込んだものである。戦争はもう嫌だと国民の総意であった。田母神氏の主張は、サンフランシスコ講和条約まで日本は戦争中であるという歴史的事実を思い出させる。正式の条約では、そうなのかもしれない。しかし、サンフランシスコ講和条約の前には、 8月15日の陛下による玉音放送があり、 9月 2日ミズリー号での降伏文書調印などもある。文書なんてものは、後から形式を整えるために存在するものもある。文書があるからとそこに至る歴史的事実をねじ曲げる輩が出る日本。その存在が僕を自虐的な気分にさせる。



P.S.
 リンクは京都大学大学院文学研究科・文学部のもので、タイトル「映像で見る占領期の日本-占領軍撮影フィルムを見る-」の中に、降伏文書調印にあたっての詔書・降伏文書(日本語訳文)・一般命令第1号(陸、海軍)がある。降伏文書は、基本的に大本営・軍が無条件降伏するってことだが、なぜか「天皇及日本國政府ノ國家統治ノ権限ハ本降伏條項ヲ実施スル為適当卜認ムル措置ヲ執ル連合國最高司令官ノ制限ノ下二置カルルモノトス」と入ってくる。確かにアメリカの認識(国際法上の認識?)として、戦闘中の国家(日本)を連合国最高司令官が統治する形で歴史家の云う通りかも知れない。
(^^; まあ、そこに至る歴史も大事でしょうと、そのままで。m(_ _)m


タグ:文化の日

【vs正論】靖国神社 [コラム・評論]

【vs正論】靖国神社


 「セイロン」なんて書くと紅茶の話かスリランカかと思うが、「正論」と書かれて違うと感じると、言葉って強いなあと感じ、反論してみたくなる。該当するマイカテゴリーには【コラム】【評論】しか準備していない知子の情報であるが、題名に【vs正論】と付けさせていただいた。また、とくに靖国神社について深く考えたことはないと正直に述べておく(素人が納得して正論だろう)。記事はこれ、
【正論】加地伸行 「靖国」を全戦没者慰霊の場に
(原文より任意に抜粋)
≪やはり「心」の問題だ≫
 中国はオリンピックや国内治安で忙しく、韓国は現政権打倒の勢力がその運動に熱中していて、靖国神社問題について何一つ騒がない。彼らにとって靖国神社問題は、所詮(しょせん)、対日政策カードの一枚にすぎず、彼らの心の問題ではなかったことをはっきりと示している。
 しかし、日本人にとって靖国神社問題は心の問題である。騒がしくない今のこのときにこそ、静かに語るべきであろう。
≪松井大将の慰霊鎮魂の誠≫
 その提案とは、靖国神社の現行の春秋二例大祭の他に、8月15日に夏季特別大祭を新しく設けていただきたいという願いである。
 靖国神社拝殿に向かって左に、鎮魂社という小さな社がひっそりと建っている。昭和40年の創建で、靖国神社に合祀されていない日本人神霊(例えば西郷隆盛)や全世界の戦死者・戦禍犠牲者(例えば湾岸戦争関係者)の神霊がそこに祀(まつ)られている。
 その諸霊を英霊とともに新設の夏季特別大祭において降神して祭神とし、慰霊鎮魂の誠を尽くしていただきたいのである。
 A級戦犯として逮捕され、刑死した松井石根の主たる罪は昭和12年の南京事件の総責任者としてであった。しかし、松井大将は昭和14年に発願し、興亜観音の開眼(かいげん)法要を行い、敵味方ともに慰霊鎮魂し続けた。その観音寺(熱海市)には「支那事変日本戦没者霊位」「支那事変中華戦没者霊位」と記された二基の位牌(いはい)が並んでいる。
 退役した松井は戦前から昭和21年に戦犯として逮捕されるまで、雨の日も風の日も、2キロ以上の険しい山道を登って参詣し慰霊鎮魂を続けていたのであった。
≪敵味方なく夏季大祭を≫
 戦争においては、人間は己を正しいとし、それぞれの立場で戦う。憎みあって戦う。しかし、勇敢に戦った死者に対しては、生き残った者は敵味方の区別なく勇者として遇すべきであろう。
 われわれ日本人は、慰霊鎮魂を古代から行ってきた。敵への怨(うら)みも味方への親しみも越え、「怨親(おんしん)平等に回向(えこう)する」(松井のことば)のがわれわれ日本人である。
 それに基づけば、日本国を代表する首相であるならば、おのずと主体的に参拝することとなるであろう。主体的なのであるから、靖国神社問題を政策カードぐらいにしか思っていない外国勢力に右顧左眄(さべん)することはない。
 いや、首相だけではない。両陛下もまた日本人の心情、「怨親平等」を深く確(しか)と理解しておられるはずである。
 「すべての戦没者のために、平和のために祈る」ことを靖国神社が具体的に積極的に示されんことを願ってやまない。(かじ のぶゆき=立命館大学教授、大阪大学名誉教授)

 略した中に「これまで、靖国神社の存在の正当性について、多くの人によって語り尽くされたと言って過言でない。(改行)にもかかわらず、近隣諸国ならびに日本人の一部は、毎回、初歩的な話にもどるため、相変わらず同じ説明を繰り返さねばならない。」とある。またまた初歩的な話で申し訳ない。m(_ _)m

 まず、加地氏記事にあるように西郷隆盛は靖国神社に祭られていない。それは祭神が「天皇・朝廷・政府側の立場で命を捧げた」戦没者、英霊(死霊の美称)である」(靖国神社(Wikipedia))ためで、西南戦争の賊軍の大将は祭られない。すべての戦没者のため云々の加地氏記事には(@_@)である。また、そうしてはならない。

 靖国神社は戊辰戦争の戦死者を祭り、以後の天皇制軍国主義(この言葉は天皇が好戦的であったとの意味ではなく、天皇を利用して戦争に突っ走った意味)の象徴となってしまった。太平洋戦争終了までの日本人兵士に馴染みになってしまった「靖国で会おう」は、天皇のために国家のために命を投げ出すのが当然とされた教育の賜物である。戦前マルキストが、天皇の前での万民平等を理念として転向するのが思想的に可能であったほど、天皇を絶対的な神に祭り上げる教育を行っていた。そのような死を怖れぬ強い兵士を持つ軍事国家(でないと云われる方は対 GNPの軍事費の割合を m(_ _)m )形成に一役買ったのが靖国神社である。上官の命令は天皇陛下の命令という絶対服従のもと(上官の命令は陛下の命でなくてもほぼ絶対服従、ここでも陛下の名前が利用されたのだ)日本軍は戦った。

 でも、敗戦によって天皇主権から国民主権に憲法が変わった。大日本帝国憲法では憲法の改定は天皇によらなければならないが、日本国憲法は国民が憲法を確定した形になっており連続性がないが、それだけの変化が日本国民にあったというべきだろう。当然、ポツダム宣言受諾という無条件降伏(天皇のことは一切向こう任せ、ポツダム宣言受諾は御前会議の結論では?)の時点で、それまでの日本は解体し新しい日本が船出しなければならなかったということだろう。

 そこで日本は一度断ち切るべき過去を持ってしまったとも云える。申し訳ないが靖国神社も天皇のために斃れた兵士を祭る場所であり、天皇主権から国民主権になった時点で、戦死者が集まる唯一無二の場所としての役割を終えたとすべきだったのだ。いや、天皇のために戦争で斃れた兵士を祭る場所としてのみ、ひっそりと存続すべきなのだ。靖国神社のあるべき姿は、明治以降太平洋戦争敗戦までの、深い反省と戦没者に対する感謝の念を国民のひとりひとりが表す場所だろう。だが、深い反省には近隣諸国への侵攻も含まれ、戦没者に対する感謝の念だけで公人(政府・代議士、でも代議士が個人的心情で私人として行くのは仕方ない)は参加すべきでないと思う。公的には、憲法で示すように、日本は変わったのだ。

 昭和天皇の御心には反していたが、合祀されてしまったA級戦犯(刑死)の方々にも、ひっそりと靖国に居つづけて頂こう。そこは反省の場所であり、彼らも日本のことを考えて働いたとしなければ、死んだ者も浮かばれまい。騙されて戦死してしまったというのは、戦後の発想だ。すでにない旧憲法下での不幸な犠牲者でも、生きている時は赤心より陛下のために働いたはずだ。

 でも、その後も自衛隊の方などで国のために命を落とされた方がいる。彼らは天皇に統帥される軍には所属しない。キリスト教徒で合祀され問題になった方がいらっしゃったと思うが、戦没者と一緒に祭る施設を必要とするだろう。我々は太平洋戦争までに亡くなられた方々にも当然感謝し、今後の平和を祈念しなければならない。そのための施設を天皇制軍国主義の象徴としての靖国神社(そこでは旧憲法下の方々がやすんでおられる)以外に必要とする。

 怨親平等は当然のことである。ただ、その場所が靖国神社であることが問題。好意に甘えたくても絶対に来られない敵さんのいることを忘れておられるのでは?心の問題と云われるが、明治以降に靖国神社とともに形作られた「心」が問題だろうと戦後生まれは思う。


【評論】すべての川が遊泳禁止? [コラム・評論]

【評論】すべての川が遊泳禁止?


 今回、都賀川の水難に遭われた方々のご家族・ご親類・ご近所の皆様には、かける言葉もございません。それでも引用記事を見て、僕の考え方を聞いて貰いたく、関係者の方々におかれては、何を書いているのか!!と思われるかもしれません。ご寛容のほどをお願いいたします。

夏休みの学童保育、頭悩ます 神戸の濁流死亡事故

(原文より任意に抜粋)
 今回の事故を受け、夏休み中に「街中での川遊び」を予定していた学童保育所は頭を悩ませている。

 神戸市東灘区の学童保育所「住吉ピノキオクラブ」は、夏休みに近所の住吉川で遊ぶのが恒例行事。しかし、実施について8月上旬の保護者会で議論することにした。引率には例年、保護者やアルバイトが加わるが、仕事や予算の問題で確保が難しい。指導員の木下幸代さん(34)は「子ども25人を大人5人くらいで見たい。川で遊ぶ子どもたちは生き生きと楽しそうで、遊びには行かせてあげたいのですが……」と話す。

 事故が起きた都賀川でよく遊んでいた神戸市灘区のNPO法人学童保育「むぎっ子」は夏休み中に数回実施していた川遊びと、8月下旬に予定していた都賀川での夕涼み会の中止を決めた。指導員の桜井由賀さん(45)は「都賀川が急に増水することは知られており、子どもたちには怖い川だよと教えていた。改めて危険性を思い知り、自粛することにした」と話す。

 兵庫県西宮市の市社会福祉協議会は今年から、市内に40ある学童保育施設「留守家庭児童育成センター」に、水難事故防止のため水辺で泳ぐことは控えるように指導している。市内には流量の増減が激しい川があり、気象条件次第で神戸と同様の事故が起こりうるという。小西一雄事業課長は「学童保育に携わるものとしてショックな事故。各施設の指導員に改めて事故防止を呼びかけたい」としている。

 記事では、今回の事故を受け「神戸市の子育て支援部は29日、市内の公設、民間の学童保育所約180施設に、屋外活動時に天候の変化や気象警報に注意するよう、文書で呼びかける」、「京都市も同日、学童クラブのある児童館と学童保育所計126カ所に注意喚起の文書を流した」と市町村の対応を紹介するとともに、「西宮市の市社会福祉協議会は今年から、市内に40ある学童保育施設「留守家庭児童育成センター」に、水難事故防止のため水辺で泳ぐことは控えるように指導している」のように水難事故防止の対応をしていた市町村を紹介している。

 でも考えてほしい。西宮市のように「水難事故防止のため水辺で泳ぐことは控えるよう指導」が本当によいのだろうか?もちろん、僕は西宮市の川を知らないので、キレイな水が流れ泳ぐことが可能な場所が安全かそうでないか知らない。そしてお役所としては、すべてが危険な場所でない限り、充分な監視員を準備して積極的に親水のよろこびを提供すべきと考える。

 残念な事故があった今、声高に主張し、納得して貰うことは難しいかと考えられる。水辺で泳ぐことは生きていくのに必須ではない。またプールが絶対安全だとも云えないが、少なくとも流れがあり深さが変化する川よりも不測の事故が少ないのは間違いない。水辺の水泳は絶対安全と保証することはできないと考えている。でも、以下のことから泳ぐことも社会勉強として必要だと考えてほしい。

 まず、監視員・指導者の命令に対して従うことを徹底させる。このことは正直に云って、家族の要望や判断でなく、ルールを守ると云う家族教育かもしれない。以下で述べるように最終的な責任は個人が負うべきと考えるが、監視員・指導者は泳いでいる年齢の子供たちができることと出来ないことを知っていると思う(思うじゃいけないんだけど)。大人なら平気で歩ける水量でも、子供は流される可能性が高い。今回のように川の上流の天気に気をつけて、雨雲があって水量が増えれば危険性が高いと判断することも必要なのだ。そのためには、経験が必要だ。普段から水泳に親しんでおけば、監視員・指導者から家族・子供たちへ安全とリスクの伝達が出来るだろう。それが大事なのだ。

 水難事故防止のため水辺で泳ぐことを控えるような指導は、市町村として責任逃れにも思われる。その市町村の住民がほかの所で、水辺で泳ごうかとなった際に、安全性が低下するのではと思えないのだろうか?水は怖い、でも、以前の子供たちは年齢によって泳ぐ場所も少しずつ異なり、自分の力量と安全を知っていたと思う(それでも水難事故は今以上にあったことは認める、泳いでいる絶対数からはどうなのだろうか?)。そのような判断力が低下してしまっていると考えるが、いかがなものだろうか。もっとも、学校のプールが普及して川で泳ぐ機会がめっきり減ったとも感じる。

 どうして、危険を最大限避ける方向で考えないかと云えば、櫻島爆発記念碑を読んで欲しい。シチュエーションはかなり違うが桜島が噴火しそうだと島民が避難していて、測候所が心配ないと宣言した後の大爆発による被害の記念碑でもあり「住民は理論に信頼せず、異変を認知する時は、未然に避難の用意、尤も肝要とし、平素勤倹、産を治め、何時変災に遭うも路頭に迷はざる覚悟なかるべからず」とある。市民と理論に関して、いつも市民が正しいとも思わない。でも、水辺で泳ぐことがある限り、それをお役所の考え方ひとつで控えるよう指導すれば、市民が異変を感じる能力が低下するばかりで、それによる危険も大きい。トータル的な安全性を考えると、リスクがあるからと水辺での泳ぎは制限するものではないと考える。

 バイアグラというクスリがある。そのクスリを使うことによるメリット(ご存じですよね)と心血管系の副作用(致死例も少なくない)のデメリットを考えて、アメリカでは自己責任で使ってくださいとなっている(日本では医者の処方箋がいるようになっている)。安全なときに水辺で泳いで得られる至福の時間・・・、西宮市の関係者はそれをご存じなかったのかもしれない。100%の安全性を求めてはいけないだろう、この世は生きる歓びのためにある。

P.S.
 むぎっ子の場合、鎮魂の意もふくめ今年中止はやむを得ないと思います。でも、来年からは今年の悲劇を伝えるためにも再開をお願いいたします。


爆破予告?!と高知県人 [コラム・評論]

爆破予告?!と高知県人

 暑さでくたびれかけの女房殿に元気をだして貰おうと、21日昼食を牧野植物園レストラン、アルブルへ出かけた。通常牧野植物園には高知市北環状線を利用するが、昨日は買い物があって電車通りより南を走った。女房殿が警察のクルマ・・・と目に留め、オレンジ・ホールに警察官が多くみられたので、要人が来ているのだろうかと話ながら通り過ぎた。夕方のTVニュースで映画"靖国"の上映会だったと知ったが、インタビューを受ける観客が(主催者の挨拶にあった言葉かとも思ったが)口々に「表現の自由を脅かす脅迫に負けない」ことを述べていて、さすが土佐っぽ(僕から見ると彼らは圏外人だから・・・ジョークです)と感じた。そこでこの記事。

靖国神社と日本刀
(原文より任意に抜粋)
「映画『靖国』を上映したら爆破する」という脅迫電話が会場と県庁知事室にかかったので、「表現の自由を封殺する脅しは許せない!!」と憤慨した県民のみなさんが『靖国YASUKUNI』に詰めかけました。4回の上映で1103名。爆弾処理班を含む県警も80名態勢で、金属探知やボディチェックなど警備にあたりました。会場には、反戦運動労組や市民団体と官権が恊働する不思議な光景がありました。

『靖国YASUKUNI』
http://www.yasukuni-movie.com/
高知県在住の刀鍛冶Kさんが冒頭から随所に登場して、日本刀が完成していく過程が描写され、また、日本刀と靖国に対するKさんの想いへのインタビューが試みられたが「戦争は二度としたらいかん」と言ったきり、おだやかな表情で、言語的な表現はあまりなかった。ただ、「休みのとき聴く音楽」と訊かれ「靖国の音楽」と解釈してか、昭和天皇の音声テープを再生しようとして音がでず、Kさんが「ありゃ、ものを言わんが・・」と土佐弁でいぶかしんだとき、高知市の会場ならではのあたたかい静かな笑い声がおこった。

(依光追記:この後、映画"靖国"の感想が書かれています。)

 「反戦運動労組や市民団体と官権が恊働する不思議な光景」とあるが、一緒にテロ行為に対するのだから何ら不思議はないだろう。むしろ、良い光景と思う。国家が言論の自由を圧迫すれば、極右と極左が協同するかもしれない。正直、チョット云い過ぎかな?(^^; TVニュースのアナウンサーが金属探知機はやり過ぎでないかと云いたそうであったが、バカなことを云ってはいけない(実際、云わなかった)。爆破予告に対しての対応だから間違ってはいない。むしろ、何でも一言文句を云いたくなるマスコミに問題があるだろう。予告電話が実質のないものとすれば、主催者による話題作りの可能性も、マスコミによるネタ作りの可能性もある(実際そうだとは思っていないから)。放火していた消防団員もいたから、機動隊員かも知れない。(^^; あまりに軽い警備で良かったのではと云うと、マスコミによるネタ作りの電話だったのかと一瞬疑う。(ウソ)

 幸い爆破もなく観客も満足して終わったようだ。万一、爆破が実際に起こって被害が出た場合、マスコミは強行した主催者を責めるだろう。それではダメだと、この記事を書く。今回の場合、問題になったのは「言論の自由」でしょう。マスコミ、あなたたちの根本的な問題のはず。だから、上映辞退を行った団体・施設をこそマスコミは追求すべきだったと思う。

 人命が掛かるから遠慮して強く追求できなかったと思うが、違う。世の中全てが安全に問題なく行われると考えることが妄想なのだ。場合によれば、リスクも覚悟で行わなければならないこともある。映画"靖国"は明らかに国会で問題となり、その後の経過などを見ると自主規制も含めて「言論の自由」が脅かされた。観客の生命が第一ですから、ハイそうですかで済ますなら、マスコミは義務を放棄したと考えたい。世界を観てほしい、さまざまな時・場所でリスク覚悟の集会やデモがなされている。絶対安全とは限らないものであることが、本当なのだ。

 例えが適当でないだろうが、病院での転倒による大腿骨頸部骨折予防と同じであると考える。長期臥床になると足を持って体位交換するだけで骨折したりするが、二流の病院では患者の歩行を制限(安全になるまではリハビリテーション科に任せてそこから許可があるまでは歩行を禁止など)することがある。歩行を禁止されるとベッド上の生活で更に骨がもろくなり、悪循環だ。本来、この問題はベッドサイド・病棟での生活訓練・歩行訓練を第一として、如何に転倒を防ぐかを考る体制作りが求められる。万一、患者さんが転倒して骨折されても、病院としてはこれだけ転倒に気をつけてやっていると自信を持って云えることが大事で、絶対転倒しないように出来るかと云えば否である。これは不可抗力だと認めて貰える勤務態勢だとかマニュアルだとかが大事で、寝かせるだけでは解決しないのだ。

 爆破予告の信憑性にもよるだろうが、その全てに対して上映中止を行うことは如何なものだろうか。言論の自由を守りたいマスコミ諸氏には強力な援護をする必要があるだろう。万一、あってはならないことだが、実際にテロに準ずる行為が行われ被害者が出た際には、強行した主催者・施設を責めることなくテロ行為そのものを厳しく追及すべきだろう。勿論、テロ行為が連続して危険性が高い場合にはその時その時の判断が必要だ。そのようにテロの論理に屈しないためにも、ボディチェックや金属探知機など対抗手段として有効なものは使用すべきだろう。

 多少の妨害に対しては勇気を持って主催者・施設は対応して欲しい。今回のように爆破予告の場合、信憑性の評価も難しいが、強行して被害が生じてもマスコミは先ずテロ行為そのものを追求しても、主催者や施設が無策であった場合を除いて彼らを追求してはならない。むしろ彼らを責める意見を諭す論評こそ「言論の自由」を守るために必要でないだろうか。まあ、爆破は現実起こっていないことだけど・・・、何かあった際マスコミさんに叩かれることを怖れて現実上映中止した施設がないと証明できるかな。

 こんなことを書くと、主催者・施設を責めたい方の言論の自由を妨げる?まあ、よくよく考えて書くも書かぬも記者さんの自由だから。(^_^)  本作はあちらこちらで上映されているようだ。皆さん頑張っていらっしゃる。

P.S.
 生じていない爆破のことを書くなら妄想だと・・・、爆破があればこんなことかけないでしょう。(原則は変わらない)
 今回はマスコミへの応援歌として m(_ _)m


【評論】福田の爺さん、チャンスだよ [コラム・評論]

【評論】福田の爺さん、起死回生のチャンスだよ

 僕如きがG8について書くことはないと思っていた。むしろ反グローバリゼイションの NGOに感じ方も近い。そこに中国をめぐって各国から非難があり、福田首相が議長でありながら擁護したようだ。

中国のアフリカ援助に懸念 G8「説明責任果たせ」

中国の対アフリカODA、サミットで懸念相次ぐ 福田首相は擁護

(後者の全文)
 8日の北海道洞爺湖サミットの「開発・アフリカ」に関する討議で、中国がアフリカに行っている不透明な支援に対する懸念の声が相次いだが、議長の福田康夫首相は「日本も中国と対話をしている。理解も進んできている」と擁護した。

 この日の会合では、G8首脳から、中国の対アフリカ支援に関し、支援事業の国際入札が行われていない実態や、自国から労働者をアフリカに連れていくなど国際ルールを守らない中国政府の姿勢が指摘された。これに対して福田首相は、「中国とどう対話し、理解を深めていくかが重要」と述べ、各国首脳に中国との対話促進を求めた。


 福田首相は、中国にも国際ルールを守るよう、今、積極的に働きかける姿勢を示すべきである。現在の世界の動き方について理解しておくほうが中国にも有利だから、その気持ちを込めて。

 そして、本当は違うが(今回の中国の場合共産党時代のやり方だろう。そう云えば、旧ソ連の終末期に関税のなんたるかも理解せずアメリカだったかカナダだったかへ毛皮を売りに行くソ連船の映像があった)取りあえず、十分な理解が出来ていなかったということで中国に謝って貰おう。中国人の面子って、フランス人並みだからなあ。でも胡锦涛さんは政治家と思う。

 その後だが、マハティールさんの名前を出してアジア型経済(今回の中国のやり方がそうだとは思わない)について理解して欲しいと、金銭を仲立ちとしない経済活動を紹介すればよい。例としては NHKが有する白川郷合掌造りの屋根の葺き替えのビデオを渡して検討して欲しいと云えばよい。そして、全て金銭に換えるグローバリゼイションが真に人類に明るい未来をもたらすか、アジアの一員として不安があると云えばよい。

 いかがでしょうか?少なくとも合掌造りの屋根の葺き替えは旧態依然とした方法でのみ可能であって、それを給料を払うことでは不可能とされていたはず。大きな経済活動を行う、ひとつの方法でないだろうかと思うと云ってみては。今回の中国のやり方も、それに沿うもの(詭弁だ)として仲介すると云うことで。

 世界の首脳を納得させるためには中国の謝罪が必要だから、それを含めて・・・。時間的に無理だろうなあ。あれっ、反 NGOも喜ぶかも。ああ、僕ってホント経済素人。(^^;

P.S.
 こんなのを評論と言っていいのか?

【コラム】禅の極意 [コラム・評論]

【コラム】禅の極意

 ある夫婦が坊主の説教を定期的に聞き、帰る際気持ちの入った封筒を置いていた。ある時帰っていると、坊主が追いかけて来て封筒の気持ちが一枚少ないという。夫婦は普段と同じく気持ちを入れたつもりで、一枚少なかったのだ。奥さんは坊主の癖に勘定高いと思ったが、坊主は何も考えずに少ないこと告げたとご主人は思った。坊主はお金の多寡とは無関係で後者が正しかったらしい。少し異なるが、自衛隊機による中国緊急援助物資の輸送が中止された。援助物資が欲しいと要請があり自衛隊機でも良いとの時点で、何も考えず早急に対応され、出発時に簡単に発表したほうが両国に良かったのでないだろうか。日本で自衛隊機が中国を飛ぶ意義を考えると、当然中国内では反発が起こる。緊急援助物資を届けるためだけに自衛隊機が飛んで、後から日本または中国のマスコミが問題化しても素直に対応しただけと謝り、「意義を一切つけない」のが禅の極意かも知れない。

P.S.
 それですめば楽だよと思って読む人がいるだろうな。国がバカになってはいけないのかなあ、利口にしていて大きなバカをやった遺産の問題でしょう。 m(_ _)m


【コラム】そして自民党は国民の支持を失った?ってことにならなければ良いが [コラム・評論]

【コラム】そして自民党は国民の支持を失った?ってことにならなければ良いが

 政治は国民に国際競争に打ち勝つことを求めた。企業はリストラによるスリム化を図り、政治もまた自身にスリム化を求める国民の声に気付いていた。国会議員数を減らすのは良い。しかし、参議院と統合して一院制はないだろう。如何にもねじれ国会で参議院が邪魔だから一院制にしたい政権党のイメージしか出てこない。審議が反復に終始しているなら正すことが議員の責任だ。いや、職員・運営費も減らせるからと答えるかも知れない。それも事実だが二院制である意義が大きい。自衛艦による給油問題でもアメリカ属国民には都合が悪かっただろうが、日本という国の日本らしいゆらぎを示して、一方的にアメリカの言いなりではないと国際的なメッセージになっている。その合理的精神に溢れるアメリカ合衆国でも上院・下院制をとっている。一院制のほうがスピードに勝るだろうが、誤った判断では速効を示し最悪。私は二院制を支持し、この動きで次期選挙は自民党を見限る。


【コラム】SONYって会社は・・・好き [コラム・評論]

【コラム】SONYって会社は・・・好き

私たち団塊世代はSONY好き。技術の裏付けで時代を先取りした様々な生活スタイルを提案してくれた。瞑想する猿君が勧めたウォークマンのおかげで、今の若者にも音楽が持ち運びできる身近なものとなっている。そのSONYが一敗地に塗えたのは、ベータvs VHSのビデオ・テープ戦争。技術的にリードしていたと云われながら、オープン規格に近い VHS陣に商戦で敗れた。その当初勝敗を決したのは技術云々でなく、米レンタルビデオ界であったという。いや、SONYの自滅だったかもしれない(SONYはレンタルでなく、自分で録画して楽しむと考えていた)。別の見方ではテープを売りたい企業と著作権を主張する映画界の対立にも見える。あの邪魔なCPRMだが、著作権を上回る権利がないと、コピーガードを回避してコピーを作成する事は違法のはずだ。So-net ランキング上位の記事も、撤回をお願いしないと法を無視することにならないか。

P.S.
 CPRMってボツボツ止めるの?
 映画の場合、販売DVDは別にして放送分はハイビジョンのためにdegradeしているはずだが、ハイビジョンだから綺麗だキレイだと聞くと、映画以外でしょと云いたくなる。

P.S.の追加(2008/07/09)
 その後、ダビング10がニュースになっていた。一時はちゃぶ台をひっくり返したメーカーのために見通しが立たなくなった。あくまでも噂だが、ちゃぶ台をひっくり返したのはsonyでないかという。そうであれば、CPRM外しの記事がソネブロのランキング上位にいたのは、確信犯か。まあ、噂と云うことで・・・。Sonyって日本企業っぽくなくなった?

【コラム】法律は邪魔なものであるが・・・ [コラム・評論]

法律は邪魔なものであるが・・・

今年もレコ大が30日に催され、昨年 5月発売の「千の風になって」に特別賞を与え、大賞はコブクロ「蕾」となった。レコ大については様々に批判があるが、特定の会社のお祭りと思えば目くじらを立てることもない。しかし、最優秀新人賞を受賞した℃-uteについて書かなくてはいられなくなった。受賞については、当方の感受性に問題があるだろうから、問題でない。受賞後彼女らは未成年であり出られないと、その旨が述べられていた。それはいつものことで、労働基準法第60条関係だと思う(ネットで調べたが判らなかった、違っていればゴメン)。しかし、 TBSはバスに乗るまでのチョットした時間として彼女らにインタビューを行っている。観るほうも、どうってことない問題のようだが、彼女らの顔を放映することは好ましくない。マスコミが法律を盾に様々な問題にアプローチする現状では、自らが法を守る姿勢を破ってはいけない。こだわりを捨てた後が危ないのだ。

P.S.
 今日は休もうと思っていましたが、やはり書いておきたいので・・・。書きながら、法を考える必要がない社会が良い社会と思っていましたが、厳しい現状で(むしろ利潤追求のためにかな)法律ギリギリの所でやっていく社会になったのかとボンヤリ考えていました。


コツコツと続けたい [コラム・評論]

コツコツと続けたい

父も母も考えることの大切さを教えてくれた。それでも二人の言葉で覚えているのは、父は「アホウの考え、休むに似たり」であり、母の場合は「目は臆病者、手は器用者」である。今日のようになぜかBlogを書くのもしんどいと感じていると思い出す。小賢しいことを考える前に手を出せ、何かしろと。実際、仕事が鬱陶しくてもいざ着手してコツコツとやると案外片付いていく。今の世の中、楽をする者が偉いとの発想を感じることがある。人間は楽をせず、多少の苦労で何かをやって行く。コツコツと限らなくても何かをする。それが大事だと考える。本当に大事なのは楽をすることでなく、生きる喜びを感じることであり、それは残念ながら働いて成し遂げたほうが得られやすい。本能とはそうしたもののようだ。何かしなくてはと考えるよりも目の前の仕事に手を出して、ホラもう片付いた。


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