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私も毎日クスリを飲んでいるが・・・ [気まぐれに病気のこと]

 先日の医局会で新しいシステムで処方する時は、いつから服用するかに注意するよう、ほどんどが昼になっていたと報告があった。外来処方をしているが何月何日から開始とあり用法にそって朝/昼/夕などと書かれている(と思う)。病棟処方では朝/昼/夕等についても正確に求められたのだ。

 薬剤師さんの指導上からも必要だろうが、以前から感じているが薬物の過量投与を防ぐためもあるのでないだろうか。病棟では看護師さんが一日分・一服分・二服分不足で処方して欲しいと僕に頼まれることが頻回だった。処方をキッチリ合わせるために医師も、スタッフも非常に神経を使っている。これは厚労省の御指導だろう。

 僕は患者さんって、東北地震津波などの例を出すまでもなく、突発的に病院に来られなくなることもある。災害ではクスリを持ち出す間がないとも思うが、身内の不幸・交通の乱れ・病院アクセス不能など手元に数日分余分の薬を持つべきだと思っている。同じように病棟でも二日分なら止むなしとしたほうが余分な神経を使わなくても良いと思っていた。不足分を処方して後、イヤー有った(看護師の声)と数錠のクスリが見つかることは割とある。僕は処方を中止すれば良いことだが、もし認識/連絡不足で二回分を一度に飲ませるリスクがあるとも思う。

 これを云っちゃあおしまいだが、患者さんって処方通り服用しているのだろうか?外来糖尿病患者さんのコントロールが悪く、入院後すぐに改善され確認するとクスリを飲んでいなかったとの話も聞いたことがある。風邪薬などは処方されたものを全部のむ方はいないだろう(僕もそれで良いと思っています)、そのように処方されているクスリを患者さんは全て飲んでいると感じている薬剤師さんは少ないのでないだろうか?ある循環器の医師が僕に話しかけて、処方されたクスリを毎日忘れずに全部飲む人ってオカシインじゃないですか?と。いやー僕は毎日飲んでいるけど・・・、時に朝忘れて昼に、年数回夕に思い出して・・・。

 患者さんがキッチリ飲んでいなければ、いつから内服と新しいクスリをだすと、古いクスリが捨てられる気がする(自分で薬の量を調節されている患者さんは多いと感じます)。

 僕が外来処方していた時は、あるクスリが一回処方分丸々残ると申告して貰って、その回休薬。クスリによって服用の必要性を説明、自分でも必要性が少ないと思うと暫く止めてみますかとやっていました。新しくクスリを出した時、変更があった時以外はあまり厳密に開始時を指定しなくても患者さんは判っていると思う。

P.S.
  と僕が感じているだけかな?
  コンピュータでやっていることだから何日間に何日分処方されたかすぐ判る。
  PC画面に表示させればすむことでないだろうか?
  検討してみては? > 誰に?知らない人に(^^; someone somewhere

  毎日書くのは、やはりキツイ・・・かな?

From space to Earth [気まぐれに病気のこと]

気まぐれに病気のこと
From space to Earth

 先日当ブログにてPV数の多いものを御紹介した。その13番目に多かった記事が長期臥床の予防を (医療関係者以外の方が対象です)だった。大体のことは上記をクリックして頂ければご理解頂けると思うが、補足の記事です。題名はずばり「宇宙から地球へ」。

 話せば長いことながら(何時も無駄に長いと自覚)、回復期リハビリテーション(病棟)(以後、回復期リハ(病棟))に関わった。病院がそちらのほうに力を入れることになり、常勤医に声をかけていたが私がなりますと立候補される先生はいなかった。それまでの仕事量から云っても白羽の矢は僕かと思っていたが、やはり矢傷を負った。しかし僕としてはリハビリテーション医(以後、リハ医)の仕事を知らない。2ちゃんねるにリハ医の集まりがあったので、それを読むことにした。やはり他科の先生方のイメージを読むと医局で本ばかり読んでいるイメージ・書類ばかり書いているイメージ・患者さんが重症化(基本的に回復期に重症の患者さんはいない)して専門の先生が治療に入ると看護師さんがホッとするイメージであった。東京の会場にてカンヅメ状態で講習を受け、私自身の経験(多発性神経炎・歩行困難・歩き遍路)をPT/OT/STに述べることとした。

 回復期リハ病棟での僕の仕事の話はおいて、(病院内でなく他施設にての)勉強会に出席されているPT(理学療法士)さんがこんな文献がありましたと教えてくれたのが From space to Earth: advances in human physiology from 20 years of bed rest studies (1986-2006)。Eur J Appl Physiol (2007) 101:143-194 である。一言で云えば重力の影響は1960年代にヒトが宇宙に行くまで判らなかった、その後2006年までの生理学的研究の総説である。10年も前の文献であるが、すぐに最新文献を読むよりまずその頃のまとめを読んで、最新文献を読むほうが何が判ったのか理解しやすい。

 たとえば長期臥床にて高アルドステロン症が出現するが、思っていたより早くから出現するようだった。回復期リハ病棟では低カリウム血症のためアスパラK・アルダクトンAの処方が多いと感じられる薬剤師さんも多いのでないだろうか(女房殿-他院の薬剤師-も多いと感じていた)。その解決法は確立されているかどうか知らないが-不勉強です m(_ _)m -結構難しいと思う。基本は薬物でなく、それまでよりは増量しゆっくりしたNa補給によるアルドステロン減少を図ることだろうが、浮腫の問題がある。浮腫に対し安易に利尿剤を使用することは、僕が医者になった頃は普通に云われていたが「特発性浮腫」を生じる。特発性浮腫って原因は利尿剤だとされ、利尿剤の使用が減って「特発性浮腫」も今は死語のようだ。僕としては浮腫が身体(生命)に悪影響を与えない限り利尿剤を投与せず、使用やむない時もNa補給しつつ間歇的投与(入れて抜くって前からされていたと思います)とすべきと考えます(実際に薬物はほかの内科医が投与していたので見守るだけ、元々内分泌に強い先生で御理解頂けたようだった)。リハ的には浮腫は線維成分の増殖の可能性があり利尿剤で早期に対応すべきとされていたが、早期投与で良い結果だけが得られれば問題ないが「特発性浮腫」様に服用しないと強い浮腫が見られるのでないだろうか?

 回復期リハ病棟にこれから勤めようとなさる方は、最新の情報を読まれる前に本文献を一読されると理解が早いかもしれません。スタッフで英文の勉強会をされる方はすでに読まれていましたが・・・。

 とまあ、スタッフ向けに文献の紹介のみです。m(_ _)m御自分デ勉強シテネ

P.S.
 最近もっと良い文献が出てるよって情報は是非コメントにてお願いします。
 僕は回復期リハビリテーション病棟勤務から外れましたが・・・。


ご自分は普通なのか? [気まぐれに病気のこと]

(ご多忙な方は、下の「ここから」より読んで下さい)
 私は約10年前に末梢神経障害を生じた。原因となる病名は昔は血管炎であったが、新しい病名では肉芽腫症である。手足が痺れ、足の痺れ一つ取ってもヘェー色々な感覚があるものだと驚いたものだ。幸い薬のおかげで改善し、チョット異和感は残っているがどうってことはない。筋力も落ちていたが歩き遍路のおかげで不自由は全くない。

 しかし、こんなことがあった。この春のことだが、歩き遍路に行かなくなり一年半経った頃、朝起きると足が不安定でブルブル震えている。力が弱くなっていたのだ。手すりを持ちながら階段を降り立ったままで軽い食事をすませた。その後トイレで用をたして立ちあがると震えはなくなっていた。普段は座って仕事(まあスタッフは書いている以外普通立っていますm(_ _)m )をしていたが、その日は極力立っていることにして帰宅。タブレットでゲームなどしているもので、立ったままやって少しでも筋肉をつけようと考えた。

 その時ビックリした。仕事場では立っていても動く、直立不動で立っている訳ではない。しかし、タブレットをスタンドに動かないようにセットしてゲームをするとほぼ直立不動に近い。普段は全くなかったことだが10分を過ぎた頃から腰の筋肉が重くなり、徐々に痛みが出現し強くなった。30分辛抱できずに椅子に座ると、そう時間もかからず楽になった。その後同じことを何回か繰り返した。翌日もゲームをして腰の症状が出てきたが、前日に比べると出現してくる時間も耐えられなくなってくる時間も長くなっていた。そして気付いた。この感覚は歩き遍路中に座って休みたくなった際と同じだと。

 なにせ歩き遍路をする前は、この blogを毎日書いていたり(^^;して、ほとんど自宅内で生活していた。歩き遍路をはじめてもまともに 1Km以上は足が痺れて歩けず、休み休み歩く癖が付いていた。痺れがなくなり、楽になっても45-60分に一度は休んでいた。長時間(必要にて2-3時間、普通は1時間超)歩き続けたかったので、その後数日同じように立ったまま何かをすることを心掛けた。15Kmほど歩いてみると以前に比べて歩き続けられる!!(勿論15Kmを連続で歩いたわけではないよ)。その後は週一~二回は歩くようにしている。梅雨の間はサボったから遍路本番を再開するのに大丈夫だろうかと思っている(^^;。

「ここから」
 友人の奥方と話していると散歩中に腰が重くなるが、散歩が終わるので痛みになるかどうかは判らないとのことだった。私はやはり腰背部筋力の低下だと思う。何分われら団塊世代、買ったか買わされたかクルマとともに生きてきた部分がある(と思う)。御年輩の按摩サンに聞いたところでは腰から臀部にかけて昔の堅い筋肉でなく軟らかい筋肉になっていると(私の経験で卒業当時の農業従事の方は腹筋が強く触診の際、手が入らなかったが数十年前から入りやすくなったと云った時に聞いた話)。

 腰背部筋に力が入らないと立位/歩行が不安定になる。回復期リハビリテーション病棟では立位/歩行が不安定だと歩行の許可がもらえ難い。ダメと云われても私は大丈夫と転倒される方が結構いらっしゃる。私は大丈夫と感じられダメと云われてお互い気まずくなることも多いが、その話はまたの機会に。(それが良いとも思わないが)長期のベッド生活を余儀なくされた方でも入院前の鍛え方で回復速度も違う(農業に従事されていた方のほうが早い)感じがするので、普段から鍛えておくことが大事だと思います。

 ボツボツ楽なクルマの常用を止めて、歩ける距離であれば自分のおみ足を使うようにしたいですね。私も通勤の際、駅まで駅からを歩こうと思ったのですが、駅から仕事場まで交通量が多いのに歩道がない距離が長く、そこはバスかなと考えている所です。クルマの利用という点から云えば、地方在住の方のほうが筋力低下の危険が大きいですね。都会の方はよく歩かれているもの。

P.S.
そのような歩きの練習中に出合ったお遍路O大M君。
結願おめでとう、また結願の連絡ありがとう。  m(_ _)m

ニンニク注射 [気まぐれに病気のこと]

ニンニク注射

 保険外診療として、ニンニク注射の評価が高い。"にんにく注射"と検索をかけると主に都市部の医療機関で、「お安くしています」・「都下で一番安いです」とかお値段のことを書いている。保険診療では「お安く」できない(保険点数が決まっている)ので、保険外診療・自由診療なのだ。だから NHKでニンニクの効用を放映した際、アナウンサーの方が「これでニンニク注射の効果が証明されたわけですね」とニンマリとのたまわった際、多少カチンときた。私は一応(まあ一応ですが・・・)保険診療の枠内で臨床をやってきた。病院も経営が苦しいが、患者さんからみて病院受診の垣根が低いことは決して悪いことではない、ただ低すぎることが問題だと思ってきた。垣根が低いとは国民皆保険の賜物だと思っている。 NHKだろう、国民皆保険について多少理解しての発言かと(民間医療保険を勧めたいなら違ってくるが・・・)。

 で、このニンニク注射。ビタミンB1の吸収増加、作用維持効果があると理解していた。だから、私が医者になった頃は随分と一般的に行われていた(私は現在使用しないが、効果を否定するものではない、自分でビタミン剤を購入しスポーツドリンクも飲めば日にち単位では同じかと・・・アッ、点滴すればすぐに良くなった気はするようです)。筋肉労働で疲労が強いと「先生、注射」と来られる患者さんは少なくなかった。大学の医師はビタミン不足は激減していると考えて積極的に使用しなかったから、診療所に行った際など事務の方から断らずにやってあげて下さいと云われたものだ。でも、この「ビタミン不足は激減」という考え方から、保険診療でビタミン剤を使用することが非常に困難になった時期がある。民間病院で勤めていた際、婦長(今なら師長)から「先生、看護婦にも歳をとった者がいる。色が付いていない点滴の残量が判りにくいと云っている。色を付けてあげてくれませんか。」と相談された。総合ビタミン剤などを入れると色が付く。その手が使えなくなったわけだ。

 インターネットが普及しはじめた頃、旧厚生省のサイトにビックリする記事が載っていた。重症のつわりの患者さんにビタミンB1 を(保険適応が非常に厳しいので)投与できずにいたら、ウェルニッケ脳症を発症したという内容だった。1例報告でなく、3例だったか、6例だったか複数例だった。(@_@; 旧厚生省がダメと云って使いにくいのに・・・と。数日でその記事は見えなくなったのでまずいと思ったのだろう。そんなことなどもあったからだろうか、以前に比べるとビタミン剤の使用は「病的」と考えられる際には使いやすくなった。アルコール多飲者・長い食欲不振者などには結構潜在的なビタミン不足の方はいる。

 それでも20-30年前のように注射してと云われて、ビタミン剤投与をすることは(病院では)まずなくなった。そのような経過があるから、ニンニク注射が大きく取り上げられるようになると保険適応外だろう、医師の堕落でないかと私は反感を持った。医師のサイトでは、本心から医師が述べるのか、アジるために医師以外の方が声高に云うのか、自由診療を!!との意見もある。問題はここなのだ。何でニンニク注射をするのかと問えば、「ビル診などしていると、家賃が高く現在の保険制度では赤字になってしまう」とのことだった。エッ、そうであれば保険診療を守ろうとして全額を抑えていること、そのことが保険診療から離脱せざるを得ない医師が増えるってことになるのだが・・・。厚労省も単に抑制抑制ではダメだと判って欲しいなあ。


こいつは不幸だ、日本の医療(4) [気まぐれに病気のこと]

こいつは不幸だ、日本の医療(4)

 前回の続きとして、過度の期待を医療に持ち込まないことだと結論づけて終わるつもりだった。煩悩と云っては身も蓋もないが、欲望が大きいと満足が得られない。かっては医者にかかるだけで有難かったが、今は当然のように医院・診療所・病院を訪れることができる。そのような医療制度下で全く普通のことの幸せが、より普通でないことを望めば不幸になると思うって筋書きだった。また、その健康に対する欲望をパンパンに膨らませたのはマスコミと思うが・・・。

 現在のマスコミ論評などからもっともっと内容を高度に、サービスも良くして!!と正しく聞こえる医療批判がある。それらの底には現在の医療保険制度から新たなアメリカ的保険制度への移行を目論んでいると、私には思われる。でもそれらを証明することも、普通の方々に納得いただけるように反論することも私には書けない。

 一方、私は全く無料で医療が受けられて当然とは思っていない。医療従事者(医者だけでないよ、もっとも人数の多い看護師さん、技師さん、事務方などなど)は多く、他業種と同等に近い利益(ってことは収入なのだが・・・)が得られても問題はないはずだ。でも医療従事者は増やしても、保険制度枠で収入が増えないので、実質減少している。国立病院・地方公立病院からはじまった赤字問題も、一般病院にまで広がっている現状だ。頑張って利益を上げている病院もあり、そうすれば良いとの意見もあるが、保険制度枠では厳しい。

 そこで一昨日 NHKラジオで取り上げられていた、"ドラッグ・ラグ"問題を私の視点から書いてみたい。いや、解説者の言葉を使ってどうだろうと書くだけだが・・・。クルマの運転中で熱心に聞いていたわけではないので、ラジオからかけ離れた内容になるかもしれない。とにかく、"命が全てだ"ですむ問題ではないと考えられて妥協点をどこのするかの問題と理解していただければ幸いだ。そこで日本の医療保険制度の満足度を(今では15%とされているが・・・)上げるにはどうすれば良いか、どう考えれば良いかが見えてくるのではないかと思う。

 まず、命が大事だってことが強調される。勿論反対意見を述べる必要はない。でも"命がすべてだ"となると本当だろうか?かって血液透析療法が保険適応でなく社会保障も充分でない頃、お金の切れ目が命の切れ目って時があった。戸主が病気になって田畑を売り払い家族が難渋し家庭崩壊した例もある。ここでドラッグ・ラグで解説者の云った言葉を引用したい。彼は「外国企業が日本で積極的に売り込まないのは、日本ではクスリの値段が安いからである」と述べた。私だって、命を値段で決めたくはない。しかし、それが現実である(そういえば、患者さんと同様(逆なのだが・・・)医療スタッフもあまりに安い(給与的に (^^; )医療制度に不満がある)。

 日本でクスリが安いってことは、保険が認めないと使えないから、薬価を決める時点で製薬会社と厚労省との相談となる。そこで値段が叩かれるのだろう。患者さんにとって、安全に(ラジオではこちらが強調されていた)安く医療が提供できる方法のひとつとしてメリットのはずなのだ。問題は"ラグ"と云われる時間差に患者さんが納得できないことである。実はお金が充分にあれば、外国で医療を受けるとドラッグ・ラグは発生しない。非常に高額になるがアメリカに行けば良いのである。敢えてこのように書くのは、さもお困りでしょうと云いながら云っている本人たちは、結構日本にこだわっていないグローバル経済推進派の方が多いのでないかと思うからだ。でも、一般の患者さんご自身には、今が問題だから深刻である。

 抗ガン剤のため(だけでなかったかもしれないが)に導入された特定療養費だったが、そのような「高額」医療費は一時的に私費診療でも止むを得ないと思う。ドラッグ・ラグも最小限で、治験的なものと考えれば良い。保険のほうから云えば、患者さんにコスト的負担がかからない通常の治験と私費診療を認めるかわりに住所・氏名は出さないが病気に係わる一切のデータを提供して貰う特定療養費型治験の二本立てとすると考えてはどうだろうか?一定期間(と云うか評価が可能になる一定の症例数が揃う迄)の後には、有効であれば保険診療に採用することが前提だ。できれば通常治験と特定療養費型治験の開始時期は同時が好ましいが、多少特定療養費型治験を先行しても許されるのでないだろうか?
 
 さて、高額医療も保険で診るようになると、更に現在の医療費不足に拍車をかけることは目に見えている。現状でもそうなのだが、お国が不足分を補うことに私は抵抗がない。(^^;保険と税金の割合をどうするか、いずれにしても国民に跳ね返ることだから、そのコスト意識を皆に持って貰いたいと思う。このコスト意識がないから現在の医療保険制度下の医療で満足できないのだろう。コスト意識があれば、現在の医療の満足度は高くなって当然と私は思っている。いつものように書くと、安いけど良いんだよってこと。やっている当事者だから安かろう悪かろうと書くけど、内容は悪くないって (^^; 。コスト意識があると無益な受診も減ると思うけど・・・。

 マスコミは、サプリを売るためか保険制度をアメリカ的にするためか、不安を煽ることに一生懸命である。そのまま信用して、オピニオン・リーダー(自覚していないアナウンサーも私からみるとそうなんです。自覚してね)に従って痛い目に遭わないためにいろいろの見方をして考えましょう。


こいつは不幸だ、日本の医療(3) [気まぐれに病気のこと]

こいつは不幸だ、日本の医療(3)

 前回保険外診療をnaishoとして、悪いことをしたと思わないと書いた。現在の医療従事者からみるとトンでもないことに思われるだろうが、根拠はある。かって武見太郎氏が医師会会長だった頃、当時の厚生省と相談して保険外であっても文献的根拠があれば、認めるという次官通達があった。m(_ _)m念ノタメ

 高度成長期・バブルと成長を遂げた日本経済もパンク。総中流社会と云われた平等性も崩れた。医療だけは進歩のために更に高度に高額になっていった。まず国保の赤字が増加し、それを補えと各保険団体が赤字経営になった。これは当初のように健康保険組合の構成年齢が若いから病院にかからない、その分出費が少なく黒字だから赤字を埋めろで赤字が大きくなっただけではない。患者さんと医療側のニーズが高くなり、医療の高額化と医療のコンビニ化が進行したためと思うべきだ。

 正直、受診患者数が増加したから、医療費が高騰した訳ではないとなっている。大きな手術などの治療費が莫大な金額となり、そのことが医療費高騰の主な原因とされている(そういう意味ではコンビニ化が絶対悪いとは云えないかもしれないが、云わして貰うと「医療資源の浪費」である)。莫大な医療費を要する治療をどう扱うか、厚労省の悩みであってかなり前から一部私費診療の導入で対応している。

 厚労省の戦略のひとつが、ジェネリック薬剤の導入であるが、効果のほうはどうだろう?上記のように高額医療の問題が主となれば、期待するほどの医療費減少は得られないのかもしれない。でも、有用性が高く廉価な薬剤が患者さんの手許に届くのなら良いだろうが、未だに「有用性」の保証が薬剤師会からも公表されていないようだが・・・(アメリカの薬剤師さんと違うか・・・)。また、致命的な欠陥と思われることをひとつ。医師の処方がメーカー品の場合、(絶対ダメとされてなければ)薬剤師さんがジェネリックに変更することはできる。医師がジェネリックを処方した際、より高価だが自分に効くと患者さんが希望してもメーカー品が使えない。これって制度的には欺瞞以外の何者でもなく、それだけ医療費を安くしたいだけと見え見えである。

 保険診療への一部私費診療の導入に戻るが、これはこういうことである。昨日先輩医師から「保険適応がないからとクスリを使わずに、患者さんを死なせてはならない」と云われた話をしたが、この問題は新薬・新治療法が開発される限り続く。当時外国で使われていた抗ガン剤が日本で使用できないのでマスコミの後押しもあり、特定療養費が導入されたと記憶する。現在の保険制度についてはマスコミは不備を指摘するだけでなく、何回も内容を報道すべきと考える。

 例えば混合診療の禁止というものがあって、保険適応外の診療をすると、その患者さんについての保険診療報酬がその月に請求できない。言葉を変えると、保険外診療を行い患者さんからその費用を貰う(私費診療)とその月の保険診療費が払われない。だから病院は一切を私費診療とする、または保険外診療は(保険上)なかったことにして病院が負担し、それ以外は通常の保険診療で請求するしかなかった。普通、後者の方法が選択された。でも、病院の赤字が大きくなるに従って、また高度先進医療が高額になって、「保険適応がないため、患者さんを死なせてはならない」と云っても病院は大きな犠牲を払うことができなくなった。そういう点では私費診療導入も止むなしとせざるを得ないかもしれないが・・・。(続く)

P.S.
 書きはじめと違った展開になっているが明日あたりから好きに書けるかな (^^;


こいつは不幸だ、日本の医療(2) [気まぐれに病気のこと]

こいつは不幸だ、日本の医療(2)


 時代と医療と外食を一緒に話しているが、これらは同じ経過をとったと思われる。時代という横軸の上で、食という必須(衣食住)な事柄と、医療というその基盤に成り立つ事柄が縦軸にあると考えて貰っても良いだろう。

 昭和36年の国民皆保険開始の頃、本当は少し前だろうが、デパートの食堂や町で大きなレストランが一般化していた。病院も町に大きな建物が建ちはじめて、デパートと同じくなんでもやっている総合病院が徐々に増加、地方にも市立病院・町立病院ができるようになった。まあ、本当のことは私が医者になる前だから違うかもしれないが、イメージとしては間違っていないだろう。

 この頃の総合病院とは、以前の医者にかかることができれば有難かった時代を引きずっていた。正直、医学書の中身も今とは全く違う。専門的と云っても診断法・治療法ともさほど深くなく、むしろ診療技術の進歩普及の時代とも云えるだろう。

 時代が豊かになり、デパートの食堂やレストランのメニューも豊富になり、医療は開業医の先生方が主に診療され患者さんの病態・重篤度により総合病院に紹介された。医療のほうも豊かさと一緒に、総合病院ではnaisho(内緒・・・昨日使ったので今日も。一般的な医療用語ではありません)ができた。Naishoとは、保険診療外の医療である。開業医の先生方の多くは、保険診療範囲内という制限のために、それ以上の(主に)治療法のために総合病院を紹介される場合もあった。

 Naishoと云いながら、保険診療の枠外だからと、悪いことをしていたとは全く思っていない。時代は医療にかけるお金にも余裕があって、常識外の場合は保険のチェックがあったかもしれないが、多くの診療はその後保険適応になっていった。例えば、(医学的に今はどうなのだろう?)キシロカインと云うクスリは局所麻酔剤としてのみ保険適応があり、心筋梗塞時の心室性期外収縮には未適応だった。大学に入局した頃、先生は「保険適応がないとクスリを使わずに患者さんを死なせてはならない」と指導してくれた。未適応だったループス腎炎の血漿交換を行った際、保険の判断は材料費はみましょう、でも手技料はゼロですよって粋な計らいだった。前者の場合は安いが、後者は高額になってしまう。今は保険の査定で金額によらず概ね認められないだろうし、医療側が損を承知で高額な保険未適応な治療(数日後に再出予定)を行う体力もなくなっている。医療従事者にとってのバブルとは文献に書いてある治療法が直ちに行うことが出来たってことだけ(自分に得しなかった)と納得している。

 はじめの頃は患者さんが病院を訪れる状態は一般的に遅めだった。救急の現場で看護師さんが「もっと早く病院に来なければ」と云う言葉をよく言っていた。しかし、病院診療が普及するにつれて垣根が低くなってそれらの言葉を聞くことは減ってきた。徐々に、しかし確実に、患者さんは増加してきた。デパートの食堂やなんでもやっているレストランよりフレンチ・イタリアン・中華(こちらは早くから専門が多かった)の専門店が増加し、病院も専門化が進んでいった。でも概ね患者さんは医療に、まだ、満足されていた。

 ところが治療法が高度になってくると、それにかかる医療費の高騰しはじめた。大きな手術や重症な場合、都市部では月一千万円以上になるらしいと聞こえてきた。この頃から保険の査定も厳しくなり、医者の常識でない査定が突然バシィとされるようになった。文献を読む勉強より、クスリの添付文書(保険適応が明記されている)を読むほうが大事だとなった。こうなると面白くない。また新しいタイプのクスリが発売されると、それらは従来のクスリとはかけ離れた薬価(お値段)だった。

 こうなると当然のこととして、医療費がみるみる不足気味となって、従来の保険診療では病院経営も苦しくなってきた。まあ、「従来の保険診療」の問題なのか「従来の病院経営・診療体制」の問題なのかと云う議論はある。でも保険診療の枠内を守る限り苦しくなってきたのだろうが実感である。この保険診療の枠内って問題が、医療従事者と一般の方々とで認識があまりにも違いすぎると思いますが、今日はここまで(明日同じことが続くとは限らない m(_ _)m )。


こいつは不幸だ、日本の医療(1) [気まぐれに病気のこと]

こいつは不幸だ、日本の医療(1)


 先日、日本の医療満足度が世界先進国の中で最低、15%の人しか満足していないと報道された。例えばGoogleで、"医療満足度"と"15%"を入力して検索をかけて欲しい。ズラーっと、その題目にお目にかかれるだろう。まあ、【ワシントン共同】として同じニュースだからひとつ読めば結構で、あればブログ・ツィッター・ 2chでも(というかそちらのほうで)読んで欲しいものだ。

 はっきり云って日本の医療制度が判らない(もしくは判っていて商業的利益から意図的に破壊しようとする)マスコミに、視聴者が騙されているとしか思えない。マスコミの中にも本当の良心から書いているだろうなと思うものもあるから困るのだが・・・。

 そりゃ、私も公的病院の勤務医だった。保険診療の枠が邪魔で仕方なかった(今じゃ通用しないけど、公的病院だから保険診療から多少はみ出しても仕方ないかってことで務めることができたとも云える (^^;naisho )。でも長い目で見ると、確実な診療法の大部分は(全てでないことが問題のひとつだろうけど)保険適応になり、一時流行っていても保険適応にならず消えて問題ないものもある。それなりに意味があると思っている。

 私は、今の保険診療を「安かろう悪かろう」と一貫して書いていた。反って判らなくなるかもしれないが、こういうことだ。昔々、日本国民は腹が減っていた。食堂の中には質より量、誰でもお金を払えば何かを食べさせてくれるお店で、まずくなければ満足できた。医療もそうだ、医者にかかることができれば有難かった時代があった。それでは医者にかかれない人が困るってことで、国民皆保険になった。まあ、食堂で云えばデパートへ行ったり、地方の名物のいくつかがお江戸時代から新たに全国的に有名になって旅行先で買って帰ろうとの習慣ができた頃だろう(情報が豊富な今とは違うよ)。正直、今の医療保険制度は丁度この頃できた。だから古くさいと云われると、ウンそうですねと云わざるを得ない。でもホンの十年前は世界でもっとも優秀な保険制度と云われ国民も概ね満足していた。

 保険制度は、大きな転換点を迎えているが、概ね変わっていない。でも、確かに医療への満足度が急速に低下している。現場でも患者さんのニーズが急膨張し、患者さんは不安で、病気にどう対応すれば良いかが判らなくなっている。結局(多くの医者はこうなるのはまだ先と思っていたが)、アメリカ追従まっしぐらでサプリメント業界が万々歳の世の中となった。このコマーシャリズムを見ると医療を破壊したのはマスコミだと指摘してもおかしくないだろう。例えば、医療問題を本当に前向きに考えたいとマスコミが追求したのであれば、あれだけ急速な医療崩壊(確かに時間の問題だった)が進んだろうか。医療は患者と医師の信頼関係(当面の話として、スマン、スタッフの方々)の上に成り立つと、医師は習っていて(多くの開業医は)そうだと理解している。その信頼関係を壊す報道ばかりしたのが、ここ数年のマスコミでなかったか?

 私には医療保険制度の答えはない。でも、こうならこうかな、そうならそうなるだろうとは書ける。とにかく、満足度があまりにも低いのでは日本医療の将来が不安だ。とりあえず、2chとかここでも読んで・・・。

 あのねGoogleなどでパッと見て自分が理解すると百聞は一見にしかずの逆で、判った気持ちになって真実が隠されることがある。マスコミなんかは、この生理学的な事実をよく知っているからあまりすぐに信じ込むことは危険ですよ。私のものを読んでいると、違うとかおかしいとか思えますよね。それだけの脳の余力を持って判断しなくては。ニュースばかり読んでいると欺されますよ。

 この段落妄想だが(^^;、例えば【ワシントン共同】で、オッ出所はアメリカかと読んで、どこの機関の発表かと読む。日米中など先進、新興22カ国を対象にした医療制度に関する満足度調査と書かれているだけで、どこの機関とは書いていない。この時点でオバマの医療保険改革で(かなり骨抜きにしたが)利益が減るかもしれない業界が、手頃なデータで発表した日本向けのコメント(郵政の次は医療だ!!がアメリカの戦略とは云われる、本当かどうかは知らない)かもしれないと考えなくては。それをパッとだす、マスコミも大丈夫?

P.S.
 ラジオとか CD/レコードなら同じ曲を何回も聴けるよね。DVD/ビデオでは、どう?一回見ると二回目はしんどいよね。脳はそれだけ情報処理量に差があるの。見ることだけでは誤ることが多い。百聞は一見にしかずは本当だろうが、見えていることを信じちゃダメ(逆にほとんど見えていないことも理解しなくては、君のディスプレイの左上に何かマークある?あるかないか知らないけど、ディスプレイを何回も見ていても見えていないでしょう?)。


納得 [気まぐれに病気のこと]

納得


 New Engl J Medと云う医学雑誌がある。医学文献を翻訳する方々には、この雑誌が練習にもってこいであるとされているようだ。総合医学雑誌であり、専門的な学会誌・医学雑誌に比べるとチョット遅れ気味になるともされるが、内容の信頼性は高い。オリジナル研究の原著もさることながら、綜説(総説)としてまとめられたものも引用文献が多く勉強になる。比較的新しい2009年 3月 5日号(第360巻10号)の綜説は薬物療法:喘息であった。

 そのなかでロイコトリエン拮抗薬の項に、非常に稀な副作用であるアレルギー性肉芽腫性血管炎(Churg-Strauss症候群 )が詳しくではないが取り上げられていた。副作用報告がされはじめた初期の考察から、副腎皮質ステロイドホルモン療法によって喘息病状が改善し、ステロイド減量にて隠されていた原疾患(血管炎)が現れたりする可能性が通説になっているが、そうでないとする意見もあると紹介されていた。

 私はロイコトリエン拮抗薬を服用して両足が痺れはじめたのが、病気の始まりだった。そしてステロイド剤を使用していなかったので、納得できない説明だった。でも、上の文献に引用されたそうでないとする意見の文献を見てみるとfree full textとなっている。(^_^)タダで読める

 Churg-Strauss syndrome and leukotriene antagonist use: a respiratory perspectiveが、その文献である。稀な副作用であり自験例からの報告ではないが、喘息コントロールにステロイド剤を服用していなかった群、服用していたが用量に変化なかった群、服用していて用量を変化させた群に分けて検討。結論として「Currently available evidence suggests an association between LTA and CSS that may be causal.」としている。まあ「 may」を「 suggest」であり、実際この文献からLTA (ロイコトリエン拮抗薬)がCSS (Churg-Strauss症候群 )の原因であるとすることはできない。

 (マスクされていたと云うより)喘息症状が主だった原疾患がロイコトリエン拮抗薬で明らかになった可能性は依然残るが、副作用かどうか今後の研究によるだろう(例数が少ないから、しかるべきところが積極的に症例を集めないと判らないだろうな)。でも副腎皮質ステロイドホルモン剤を中止することによって、マスクされていた原疾患が明らかになったりする説は否定されたと思う。やっと納得である。

  CSSで云われるANCA陽性例と陰性例の障害臓器が LTA関連 CSSでは顕著でないとされていたのは興味深いですね。>同業者へ・・・今回は医家向けかな?


単細胞(^^;として気になる記事(糖尿病) [気まぐれに病気のこと]

単細胞(^^;として気になる記事(糖尿病)


 糖尿病を定義しろと云われても困るが、「インスリンの絶対的または相対的不足に基づく、高血糖による病気」でいかがだろうか。そこでインスリンが充分量あれば血糖値は下がるだろうが、それが糖尿病の根本治療になるのだろうか?先日、自戒を込めて単細胞云々の記事を書いたが、記事を書くほうも単細胞化しているのでないかと・・・。m(_ _)mアル意味、誤報ダヨ

 共同通信社から各社に配信されm3.comニュースでお目にかかった記事だが、下記にリンク。

血糖下げる細胞の源を発見 九大、糖尿病根本治療に道

(原文より任意に抜粋)
 血糖値を下げるインスリンを膵臓内で分泌する「ベータ細胞」の源となる細胞を、九州大大学院医学研究院の稲田明理特任准教授らのグループがマウスで突き止め、糖尿病の新たな治療法に道を開く発見と注目されている。

 糖尿病では、ベータ細胞が減少してインスリン分泌が減り、血糖値を調節できなくなる。このため、ベータ細胞を再生できれば根本的な治療になると考えられている。

 ベータ細胞の供給源を探っていた同グループは、膵液を運ぶ膵管の細胞に着目。マウスを使い、遺伝子操作で膵管細胞に印を付けて追跡し、この細胞の一部がベータ細胞へ分化したことを確認した。

 稲田特任准教授は「人体でも膵管細胞を刺激してベータ細胞の増加を促すことができれば、新たな治療法につながる可能性がある。今後はベータ細胞に分化する仕組みの研究が期待される」と話している。

 正直に、ヘェーッ、外分泌細胞と内分泌細胞は関係するの?と思った。成人では文字通り身体の内と外の違いがある。まあ、そこらは発生の専門家でもないし、造化の妙でいろいろあるのだろう。不勉強で知らないが腺細胞は元来すべて上皮由来で良い気もする・・・。少なくとも内分泌細胞といえど血流は豊富だが、血管内皮に覆われた腔の中にあるものではない。(後でインターネットで調べよう (^^; ・・・やはり wikipedia「腺細胞」では「一般に上皮に由来する」と書かれていた(外分泌腺のことだけではないよね・・・)。この段落消去しようかな・・・。正直に(^^;置いておく。)

 稲田特任准教授(準教授しか出ないよ >ATOK)は「新たな治療法につながる可能性」と仰有っていても、根本的治療云々には触れられていないのでないかと考える。九大の先生のどなたかが根本的治療云々と云ったのなら記者さんに罪はないが、そうでなければベータ細胞が再生できても根本治療にはならず、単細胞動物的見解でないかと・・・。m(_ _)m

 現在増加している糖尿病は2型糖尿病であり、相対的インスリン不足によるものだ。相対的とは、インスリンの絶対量とともにインスリン感受性が問題であり、インスリン量が増加しても感受性がさらに低下すれば、同じ病態であるってことになる。もともとベータ細胞は日本では通常の働きを何世紀も問題なく行ってきた。明治の頃は糖尿病患者さんは数千人に数人だ。食糧の過剰摂取によって、例えば細胞膜のインスリンによって働く糖輸送担体が細胞内から発現しなくなり、インスリンの働く場所が減少している可能性もある。インスリン自身によって細胞膜での糖輸送担体は増えるので、一時的に改善する可能性は否定しない。それでもベータ細胞再生が実用化されても、薬品としてインスリンが登場したと同じ状況になるだけだろう(インスリン注に較べ、ベータ細胞なら自動調節もあるだろうし、患者さんのクオリティ・オブ・ライフの改善などには大いに期待できるが・・・)。インスリン感受性の改善がなければ2型糖尿病の根本解決にならない。

 食事療法と運動療法の価値(2型糖尿病にて重要、1型糖尿病で無視すると悲惨)を、クスリへの幻想で放棄してはいけない。僕が退職する前の文献では、インスリンは内皮細胞のサイトカインに影響して動脈硬化を促進する可能性も指摘されていたと記憶する(詳細は忘れたm(_ _)m 当方阿呆ナタメ、ゴメン)。インスリン様々ではない。

 一言で云えばもともとあったベータ細胞を酷使する人(2型糖尿病でHbA1c 10以上)は食事療法を守らず、糖尿病は続き、ベータ細胞が再生されても更に短命になる可能性もあると僕は思う。不明な領域だが、細胞内に過剰な糖が入って不都合が生じるかもしれないでないか。また、インスリンがでると空腹感が強くなる。普段からあまり食べない方は、インスリン量も少ないのか、あの人は腹が減らないのだろうかと思うほど昼食抜きで頑張れますが、僕はダメ(低血糖症状を出してしまう)。ついつい食べてしまうのです。

 糖尿病治療に有益な研究だとは思いますが、誰が根本的な治療になると考えたのだろう・・・?1型の場合でも、免疫が関係していないとは云えないし・・・どうだろう(2型よりは期待できる?記事は1型2型と書いていない)。もし、取材による見解でなければ、お勉強を。
m(_ _)m他ノ方ノ見解ナラ臨床家ノ見解モ尋ネテ下サイ 当方糖尿病学会未加入


P.S.
 今日のHbA1c 8.1%(主治医と相談して、ステロイド量を減さずに、朝夕投与から朝一回に。低血糖なければアマリールを継続)。今日は内科・皮膚科・整形外科・歯科を受診。ほぼ一日潰れた・・・。


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