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アベノミクスって [社会経済妄想]

アベノミクスって

 昔、こんな話を聞いたことがある。レーガン大統領にある経済学者が、横軸に税率そして縦軸に税収のグラフを紙に書きながら説明した。税率が 0%ならば税収もない。高くなりすぎると労働意欲がなくなり働かず税収も減少する。つまりゼロからなら税率が高くなるに従い税収は増加するが、ある点からは税収も減収する上に凸のカーブを描く。そして当時の税率はその点を超えているから減税をすることで税収が増加すると。レーガン大統領はなるほどそうだと減税したが、残念(国民、それ以上に企業はバンザイか)税収は低下しアメリカ財政は悪化したと。

 アベノミクスってこの話に似ている感じがする。レーガノミクス・アベノミクスと名付けたのは誰だろう?なんとなく富を独占しようとする金融関係者御用達の経済学者によるものでないだろうか。いや、いつもの妄想なのだが・・・。すでにアメリカの金融関係者は大きな利益を得ているのではないかとの報道(「アベノミクス」で大もうけ 円安利用、米ファンド:2013/2/14 15:50, 東京新聞(他) ニューヨーク共同)もある。

 株式市場の好況が伝えられるが、昨年も一・二月は株価は上昇していたのではないか?確かに今年のほうが上げ幅は大きい。他の産業界を見るかぎり今のところあまり実体がなく、なんとなくバブルの臭いがする。アベノミクスで唱えられるインフレ率2-3%物価上昇が目論み以上になれば、国民生活はかなりきつくなる可能性がある。もう一つの目論見である企業業績の改善に伴う雇用の拡大が伴えば我慢できるだろうけど、その業績を吸い上げるビッグマネーのみ潤うことになれば何をやっているのだろう。いつもの妄想であれば良いのだが・・・。

 僕は自由経済が世界の発展に寄与したと認めることにやぶさかでない。しかしお金について考えてから、、現在欧米が唱え日本も参加しようとしている国々が市場原理を放置する現在のやり方は金融(パワーを持ったお金が集まった所)のみを膨張させる大きな誤りと思われる。この誤りはアメリカ国民がノーという(その実態は判らないが大構造革命ですな)まで世界で続くことになるのだろうか?一部の人のためにお金を刷っているってことか。富を独占しようとする金融関係者御用達の経済学に基づいて・・・妄想かな?アベノミクスってそんなものでないと良いのだが。

P.S.
 久しぶりに書くとP.S.に何を書いて良いか判らない(^^;


私はお金が判らない、考えてみると二つあった [社会経済妄想]

私はお金が判らない、考えてみると二つあった

 私は、お金が判らないと書き続けて、ある意味不満を述べてきた。いや、発端は簡単なことだ。ファンド・金融の連中が高額な給料を貰いながら、その理由として、良く勉強・研究をしているからと宣っていた。私は不勉強な医者だったからそうでもないが、医師の中には良く勉強・研究をされている方々も数多くいる。それは不公平でないかと・・・(ついでに書けば医師の世界では、そのような方々より、勉強・研究から見れば医師として?の方々のほうに金回りが良さそうだ (^^; 、一般的に良く勉強・研究する医師は以前はお金持ちでなかった、これからは自由経済の中に入り違ってくるかもしれないが・・・)。

 基本的に金回りの良い方々は、お金の近くにいるだけだろうと思っていた。まあ、その直感は間違っていないと思う。でも、それなりに生活できるから、どうしてそうなるか、お金ってなんなのと云うことをじっくり考えてこなかった。三年前に全ての指先の一部が黒くなって、お腹の診察をしようとすると患者さんから、ヒヤァー(土佐弁で冷たい)と云われてしまう。私も痛みに耐えかねて、院長に医者を止めたいとお願いしてドロップアウトすると(当面は傷病手当を頂き、そのことも含めて)お金って何だろうか?と以前に較べ更に気になった。お金って何かを知るには経済だろうと経済関係の新書を読んでみた。さっぱり判らなかったが、以下はそれによる妄想です。

 お金って直接納める年貢や労働の代わりに国が普及させたものだろう。そう思うと見通しが良くなった。物々交換を便利にするためという自然発生的なものは規模が小さく、国が関わって価値が一段とついた。別に古代の話だけではない。ドイツやアルゼンチンなどでは戦争の後、ソ連・ロシアでは自由経済に参加した時、お金の価値が一気に下がった。現在はお金の価値を決めるのは経済界でも、そのバックボーンとしてには国がある。まあ国のお金ってことだ、これがひとつ。

 ある時代では、国は基本的に税をどのように取るか、国の借金をどう帳消しにするかは自由だった(軍事力と云うか刀など武器を持っていたから (^^; )。それは歴史を見れば多くの国で認められるだろう。一方経済界のほうは利子と云うもので膨張を続けてきた。欧米は植民地化政策の過程で金融の優位性を認識したのでないだろうか?せっせと勤勉に働いた新教徒の利子がヨーロッパ経済発展の基礎となったと読んだような気がする(間違っていればゴメン)。アメリカって植民地争奪戦にはやや遅く参加した。ヨーロッパに追いつき追い越せで、徹底した拝金主義をとったのでないだろうか。アメリカだけに限らず利子によって大きくなったお金(だから持ち主はお金持ちだよ)が民間資本であり、このお金が二つ目だ。

 そう考えると国 vs 民間の違いも見えてくる。国のお金は「国民のため」というのが一応名目だ、決して役人のためではない。民間のお金は「利益を生むため」(決して悪いことではない)が主目的だ。でも民間のお金も動向によっては国から大きく支えられているものだと最近のリーマン破綻で見えている。儲けてやろうとか損をしないようにとかウロウロする民間のお金だから、イケイケムードだけでバブルになったり不安感に襲われたりする。そして不景気が続くと国に対策を求める。本来、民間資本は国に関与をして欲しくないはずだが・・・。

 そう考えると、マスコミの経済は何でも「民間」って考え方には同意しかねる。20年前くらいだろうか、アメリカ(国)の敵はソ連・ロシア・共産主義でなく大企業だと云われたことがある。そのアメリカでは手で何かをする職業は低レベル者で手を汚さずに金融のようなもので生活する方が高レベル者となっていた時機がある。でも、最近中国経済が活発で日本にも大金を持って来られる方が増えたという。まじめに生産することが結局は金融だけでやろうとするよりシッカリしているのだろう。勿論将来のわが国は、金融でも生産でも、それなりの経済国家でなければならないが。

 ちなみにわが国なんて考えは、グローバル経済にそぐわないと云われる方々もいらっしゃる。気持ちは判るが国がなければお金なんて単なる紙切れだと判らないのだろうか?利子で膨らんでも保障してくれないと・・・ね。


私の場合、自由に生きたい [社会経済妄想]

私の場合、自由に生きたい


 先日LUST,CAUTION色・戒の記事を書いた。その時には触れなかったが、最初の事件の後、主人公ワン・チアチー(タン・ウェイ)以外の大学演劇部員は蒋介石の国民党組織に属するようになっていた。クァン・ユイミン(ワン・リーホン)はチアチーに、自分たちはその組織に見張られていたようでツァオ(チェン・ガーロウ)殺害の後始末もその組織がしたと告げる。組織は以前の筋書き通りにイー暗殺を目論み、チアチーも組織教育を受け再びイー(トニー・レオン)に近づいて行く。

 社会も広い意味の組織かもしれないが、人は組織の一員か個人かが問われることがある。勿論戦時下のチアチーら元演劇部員の場合は、上の命令は絶対服従でそうでなければ規律が保たれない。また組織は必要によって所属員の命も扱う(お国の戦争)。いずれにしてもチョットしたことから大層なことまで、規律と自由の間を組織組織の自由度の中で個人は悩み行動する。

 そこで久しぶりに政治のことを見てみると、自民党からの離党問題が結構多い。政治家が政党を選ぶのは、自分がやりたい政策からどの政党が一番実現可能性が高いかを考慮してと思う(ここが違うのだろうな)。野党になって政権党にならなければ実現不可能となれば、どうすれば良いかを考えるのは当然だろうし、離党ってこともありうるだろう。しかし、執行部云々はいただけない。自分は自民党を選んだが、たまたま今のお偉方が気に入らないから出ていきますってことにならないか?こういうことをしたい、だが今の自民党ではこれこれでできないので離党します。そう云って欲しい。以前から自民党は大物政治家と云われる方々がいて、その方々が割と雑音を発していた。その名残で自由に発現できるはずだ。

 で、一方の(スマン>他の政党)の民主党、最低。小沢さんのことを批判する方々がいても良いと思う。それが表沙汰になれば、解任そして留任と何なの?国民をバカにしているの?一番腹が立つのは、おかしいと思っている民主党議員が多いのならば、参議院選挙のためにジッと我慢で沈黙なんておかしい。もし、参議院選挙前に小沢さんが幹事長辞任なんかしてみるならば、本当に選挙第一で倫理もクソもあったものでないと思う。幹事長は、選挙のために徹底的に国民をバカにしたことをハッキリとマスコミは指摘して欲しいものだ。

 私は自由を守ることって大変だろうなと思う。でも、あれだけの議員さんがいながら小沢問題について自由に発現できない党って、かって中国国民党くらい地下で戦ってきた経験を持つ共産党(宮本委員長のチョー長期政権)くらいだと思っていた(今は違う?まあ、時代も違ったしね)。自由のない政党に魅力があるのだろうか?>小沢チルドレン 私は自由が大事だと思っているが。

P.S.
 自由勝手にするって本当に損なことが多いよなあ。


NHKドラマ「大仏開眼」を見て、GDPを考えた(^^; [社会経済妄想]

NHKドラマ「大仏開眼」を見て、GDPを考えた(^^;

 昨日は NHKドラマ「大仏開眼」を観ていた。同名の「大佛開眼」(京マチ子)を観ていたので気になったのだ。まあ、今と昔との違いもあり、観点が全く違うドラマのようだ。学者肌の政治家吉備真備が主人公だとは云え、すこしナヨナヨしすぎではと女房殿の感想。藤原仲麻呂との対決は迫力があったが・・・。

 今日の感想は、行基様。いえ、聖人としてではなく彼の行った経済行動についてだ。ドラマでは吉備真備らがいる所の上の道を、「来~い、来~い」と村人たちが人を集めながら行基のもとに集まる。そして橋を造ってゆく。僕はお金が判らないと何回も書いているが、主な疑問点はここなのだ。

 戦後のインフレや共産党崩壊後のロシアなど、お金を保証しているのは国家であろう。本来国民が労役や産物で納めていたお国への義務を、金銭(マネー)に変えてきたのは国民の希望でなく、国家の都合だろう。私は物々交換より便利だからお金が発達したとは思えない。とりあえず、今回はマネーのことは置いておく。

 行基が建造している「橋」は国家も作るだろう。国家が作る場合、天平の当時なら労役を課することでなされると思う(間違っていればゴメン)。現代風に変えれば、お国に払った税金で「橋」が造られるわけだ。しかし、行基の場合には国民が必要としているものを国民自身が造る仲立ちをしているに過ぎない(いや、大事なことでご立派なことだ)。行基の場合、労役(税金)は基本的に介在しないだろう。宿泊地・食料などで経済活動があったかもしれないが、助け合ったと考えることもできる。

 いずれにしても国家が建造する「橋」に較べ、行基の建造する「橋」は経済活動が甚だ少ない。同じ規模の「橋」ができあがると仮定すると、国家のものに較べるとゼロに近いものだろう。近隣の村人が「来~い、来~い」と呼び集めるだけだから(食べ物や宿泊地の最小限の経済活動)。

 ここで GDPを考えてみると、国家の造った「橋」に対しては国家から労役に対し何らかの国家の損失が伴っている(今で云えば税金でお金が払われる)から経済活動と云えるだろうが、行基の造る「橋」には参加した村人の労役は国家とは無縁のもので対価がない(得られる便利さは考えない、建造費の問題に絞る)。

 私は決してお金が悪いものだとは思わない。資本が蓄えられるようになって人間は進歩を速めることが出来たし、それも民間に資本が集まってからと思う(共産主義が好きになれない)。でも、お金が全てだとは思えない。白川郷、合掌造りの屋根を昔は村人が集って葺き替えることができた。お金の世の中になると、現在では数千万円掛かり葺き替えることが困難になっているとか。

  GDPに寄与することは出来ないが、行基様のような活動ができる方々は、今の世で云えば NGOってことだろうか。少し違う気がするが・・・。

 他人様のブログも読まなければと、積極的に読んでいた頃のものですが、まあ、田舎の経済活動のひとつとして。(^^;
 弾丸!自転車四国一周一人旅2日目 リターンズ(投げ屋のつぶやき:kiさん、2010/3/15)
何か・・・・・・自分が普段住んでいるところでは考えられないようなこと・・・・・

それは・・・・四国では当たり前の習慣なのかもしれない・・・・・
でも自分は・・・自分が昔持っていて・・・・今忘れ掛けてしまっていた・・・・
人に対する思いやり・・・・・人に対しての感謝・・・・・・
これが・・・今蘇ってきて・・・・・自分の心を熱くさせた・・・・・・

 ご本人も書かれていますが、以前の日本人ならば当然だったこと。他人を思いやり、利益追求でない行いを忘れたくないものですね。 GDPには現れないだろうけど・・・。


【特報!!】フジテレビより面白い(と思う)BPO [社会経済妄想]

【特報!!】フジテレビより面白い(と思う)BPO


 昨日のニュース(asahi.com(2010年 3月 3日))なのだが、昨年11月の放送倫理・番組向上機構(BPO)の意見書に対し、間違いや訂正すべき点はなく、ノウハウはこれまで通り進めたいとフジテレビの鈴木編成制作局長らが記者会見で述べたそうだ。

 フジテレビのサイトでは私たちのフジテレビバラエティ宣言として詳しく述べていて、実際の回答番組として 2月27日「めちゃ×2イケてるッ!」を放送したようだ。私は見ていないが m(_ _)m、このサイトで「やっぱり 楽しくなければテレビじゃない!」と宣言し、意見書に相当する映像を含めて、フジテレビバラエティ宣言に沿った内容だったようだ。まあ、岡村隆史さん(私も嫌いじゃない)が一生懸命やっていて感動したってことかもしれない。Directors' Messageがcoming soon!となっていて現時点では読めないので堪忍。

 でも 10年以上も前だが、BBCで日本のテレビ事情を尋ねられた放送関係者が「才能のないタレントと呼ばれる人たち」が多く出演していると云って個人的に笑わせて貰った頃から、事情は変わらないと思っている私は早速放送倫理・番組向上機構のサイトに行った。いやー、面白かった。

 まず、2009(平成21)年11月17日放送倫理検証委員会決定第 7号「最近のテレビ・バラエティー番組に関する意見」が、「委員会自身が、従来の様式や文体から逸脱していくスタイルを意識的に採用することこそが、バラエティーの質の向上と倫理問題を同時に論じうる唯一の道であると思い至ったためである。」とされるスタイルを取っていること。おまけに、あの(^^;里中満智子さん(委員会メンバー)がカットを書いている。

 意見のテーマは(志が高いよ)、「公権力を監視すべき放送メディアが、公権力によってじかに管理・指導される」ことへの危惧である。過去の行政当局による「注意」・「厳重注意」・「警告」の七割が広い意味でのバラエティー番組であり、昨年の三件全てバラエティーに関してであったことへの危惧である。「バラエティー番組が頻繁に公権力の干渉を受けるような隙を作っている現実」が表現の自由を危うくし、ひいては民主主義の進展を阻害する(エッと思われる方。詳細は元本で m(_ _)mバラエティー番組ノ意義モ考察シテイマス)ものだとの自覚が制作者、放送界全体に自覚があるのかと問うているのである。

 そしてあれこれ云うわけでなく、「あれ」と「これ」しか云わないと続く。「あれ」とは、 BPOによせられたバラエティーが、「嫌われる」瞬間のことである。ここで制作者側から見ると面白くないかもしれないことが指摘されるが・・・、まあ。具体的には1.下ネタ 2.イジメや差別 3.内輪話や仲間内のバカ騒ぎ 4.制作の手の内がバレバレのもの 5.生きることの基本を粗末に扱うこと である。視聴者からの意見が載せられているが、本意見書はこの分類に沿って説明も詳しい。一言で云って、今の視聴者はこれらに「つまんねえよ」・「大人としてみっともないよ」と呟かれていますよってこと。そこで本委員会のメンバーの一人、日本放送作家協会理事長市川森一氏も係わった「テレビ作家たちの50年」がかなり引用されるが、当時と現在を比較するのはチョット可哀想と私は思うのだが・・・。TVが面白くないってことは賛成なので、まあ仕方ないか。本意見書でも「ここに漂っている閉塞感は、おそらくバラエティーだけの問題ではない。バラエティーが民主主義の進展と二人三脚、人と時代と世の中に寄り添い、動かしてきたことを考えれば、同じことが、いまの人と世の中の側についてもそっくり当てはまる、ということであろう」と理解を示している。

 「これ」は難しい。(^^; 「視聴者個々のナマの気持ち。いったいいま、この世の中で、視聴者は日々、何を感じ、どんなことを思いながら暮らしているか。そういう切実な気持ちや思いを発生させているものの正体、人々の日常を条件付けているものの正体は何なのか。それこそ昔の旧習・旧弊にとってかわって、人々をがんじがらめにし、息苦しい思いをさせているもののはずである。
(二段落略)
 おそらくはたぶん、このちょっと先に、これからのバラエティーが視聴者とのあいだに共感・共振の窓を開き、世の中を揺さぶるような堂々としたコミュニケーション空間を作るステージがある。そう考えるのは、誇大妄想だろうか?
冒頭で言った、「これ」の話である。


 本当に志の高い意見であるが、ノウハウはこれまで通りとしたフジテレビの志は大丈夫?かって大宅壮一氏が指摘されたことだし、このままで良いんじゃないでは少し寂しい。まあ、私はバラエティーと云えば「夢逢い」とか「シャボホリ(勝手に略したが・・・)」の世代だから、クレイジーキャッツを別にすれば毒もクスリもないかもしれない。(^^;でも、職業柄(それなりに)時間的余裕がなくドラマは見ずに以後もバラエティー番組を楽しませて貰ってきた。最近はTVの前でブツブツ云うものだから女房殿から、そんなに文句があれば観ずに二階に行きなさいと云われるのも事実なのだ。(^^;

 本意見書で「番組が送りっ放し(=放送? まさか!)」とある。私は、今ではなく昔々のその昔であるが、ビデオテープなどがなかった頃、テレビ関係者にはまさしく、この「送りっ放し」の意識があり今でも多少(憧れの伝説としてかも)残っているのではないかと感じる時がある。まあ、時代が変わっているので、さらになくなるだろうけど・・・。

 つぎに題名の「フジテレビより面白い(と思う)BPO」だが、ここ、および向かって右側の年度別視聴者意見一覧。BPO のサイトらしく、視聴者から寄せられた意見を載せている。適当な年の適当な月をクリックすると、あゝこんな事件・出来事があったと思うし、ヘェーこんな感じを持つ方がいるのだと思う。昨夜は随分と楽しんだ。それ故、【特報!!】などとやったが、まあ、私の感想を述べるより読むほうが楽しめると思う。

 楽しんで下さい。m(_ _)m

 v(^_^)ドウ面白イ?

漫画の話で「サンクチュアリ」 [社会経済妄想]

漫画の話で「サンクチュアリ」


 昔こんな漫画があった。カンボジアで地獄を見た二人の青年が同じ志で政治家(浅見)と暴力団(北条)のトップを目指す。表と裏から日本を変えようと云う志だ。史村翔/池上遼一の「サンクチュアリ」である。

 二人が選挙に立候補して結局は暴力団の北条(勿論、良い人に描かれている)は落選する。その選挙の際、劣勢になっていた二人に強力な助っ人が現れる。政治家を追い詰めていたが、立件できなかった検察の方が辞職して応援にくるのである。彼は「私が浅見を応援することで、正義がどちらにあるか判ると思う」(浅見のほうだったと・・・、曖昧記憶)と叫ぶ。

 政治家が不起訴になり、正義がどこにあるか検察の方で地団駄踏んでいる方がいるかと思い鎮魂歌(検察の正義がいつも納得かは今回おいて m(_ _)m )。

 実際、私は不起訴になった政治家が有罪か無罪か知らない。不起訴というのは黒ではないと云うことで、白だとは云っていないとの意見もあるとラジオで云っていた。このままでは、知らないと云えば通るってことなのだろう。それが政治家さんの場合のみとなれば、どんな国なのかと思うのだが・・・。

 最近の国会で、首相の云う「命を大切にする政治とは、政治家さんの政治生命を大切にする政治なのか」と質問があったようだ。残念ながら答弁を知らない。でも国民からみると首相は、選挙のために、政治家さんを大切にしているのは丸見えである。それが友愛の精神なのですか!!(私は鳩山さんのような政治家、嫌いじゃないが)

 法律って、関係ない人はあまり知らずにいるものだと私には思われる。霞ヶ関でもっとも政治資金規正法に詳しい政治家って、きっとそのような法律ギリギリで活動している方と私は信じている。今回は自民党頑張れ。(T_T)マア、迫力ノナイコト、明日ハ我ガ身?

 妄想中で、政治家さんの名前も忘れたし・・・。あっ、伊佐岡だ。法条/浅見の前に立ちはだかる伊佐岡紀元(いさおか のりもと)の紹介をWikipediaからすると「民自党幹事長。強大な権力を持ち、日本の政治を操る。国民の政治への無関心を利用し、今の地位を築き上げた。浅見率いる若い政治家たちを敵視し、自分の権力を守るために様々な策を巡らす。

 今からでも国民が政治へ関心を持つべきだろう。無関心ではいけないと、私は思う。それそれ、そこの若奥さん。子供手当が貰えるかどうか審議中ですよ。(^^;北条も伊佐岡も教育を受けた子供に日本の未来を託したいようで。
m(_ _)m内容ト現実混在ノ妄想終ワリ

あれっ、私は何の話を書いているのだろう?

P.S.
そう云えば、サンクチュアリに仙石代議士が出てくる。保幼一元化に待ったをかけて利益を上げていた族議員がいると仙石代議士が云っていた。名前を出しましょうかと云われてビビるより自民党も自浄活動を。
m(_ _)mあっ、妄想だからね



新自由[資本]主義(neoliberalism)に関する歴史的一考察、じゃなかった一妄想 [社会経済妄想]

新自由[資本]主義(neoliberalism)に関する歴史的一考察、じゃなかった一妄想


 久しぶりに書くのが妄想では、読まれる方にはお気の毒と思う(^^;。でも、今日・明日ってことではないが、時機を逸すると後悔するかもしれないので書いてみたい。また、以前のようにネットや手持ちの書物で(あくまでもそれなりにだが)ウラをとったものでなく、単なる思いつきです。

 以前、リーマン・ブラザーズが破綻した時の見事なものだ、アメリカ人に引用した箇所を再掲する。

 誰がもっともよく知っているかは誰も知りえず、それを見つけうる道は、すべての人が自分でできることをやってみて、知ることを許されるような社会的過程を通しての他にはないから普遍的に適用される正義に適う行動ルールだけには拘束されるが、自らの意図のために自らの知識を利用することが万人に許されている自由のひとつの条件が、自分の狙いを達成するための最良の状態を、万人にもたらしてくれるように思われる。
ハイエク:「正義と政治経済学との自由主義的原理に関する新しい学説」
(佐光隆光編「現在経済学の名著」(中公新書、1989年)より引用)


 経済に何からの自由が大事かと考えると、政府からだろう(上に引用したところでは無理?でもついでに西洋ではキリスト教も加えたいほどだ)。政府って云っても歴史的には行われ、現代日本にはないものだ。領主・大名などによる借金帳消しだ。折角儲けても、借金はなしにしてくれで終わっては成り立ち難い(実際はそうでもなかったようだが、折角の儲けが減ってしまう)。現代流の言葉に直すと、過酷な重税ってことになるのだろうか。(政府の後に法律と書いていたが、アメリカを見ると「普遍的に適用される正義に適う行動ルールだけには拘束」を逆読みして法律の中なら何でも良いと法を使用していると感じるので除いた。お前が逆読みだと・・・、スマン m(_ _)m )

 で、僕は以前から書いているが「お金」が判らない (T_T)。市場の物々交換の便宜上発達したものであるかの如く習っていたから判らなかったのでないかと最近思っている。国家が税を効率的に納めさせるために導入したものと考えると、何となく理解できることが多い。物々交換用の貨幣はあまりパワーを持たなかったが、政治的に利用されるようになり「金力」を発揮できるようになったのでないだろうか。纏まって使う際、国家のお墨付きがあるわけだから。

 で、その金力を集めることができるのは経済界である。国家的事業が、経済界の事業としてできるようになった意義は大きいし、共産主義国家が資本主義国家に後れをとった原因にもなるだろう。でも政治を行うほうから借金を帳消しにしてくれなどと云われると折角の儲けが減るので当然面白くない。現在流の言葉で云えば税が重いと儲けが減る。(政治でお金がいることと云えば、社会政策のこともある。だから、新自由資本主義が高度に発達した国では社会主義は悪いとか自己責任とか声高々に云う人が現れたのだろう。アメリカのように社会主義共産主義=悪として、禁句にしてはいけない。オッと脱線。)

 アメリカさんもGM、クライスラーが政治的救済を受けたことだし、新自由資本主義経済から脱却すべきでないだろうか。ひとつは(随分昔になったが)電力会社エンロン社の破綻にみられた効率主義のもろさが内在していること(きっとこの時も経済学者はエンロン社のやり方が悪いので理論は間違っていないと云ったのだろうな)。ひとつはアメリカも日本も中産階級が元気だった時が、一番良い国でなかったのだろうかと思われるので。直感的に云うと、効率を追求するとお金持ちだけにお金が集まるのでは?無駄が多少は必要だろう。オッと又脱線。

 脱線ばかりになりそうなので(^^;。お金は国家的に使われるようになりパワーを持った。そのパワーは税として国家に集まるよりも金融の発達により経済界に集まるようになった(これは貨幣の使用後割とすぐからだと思う)。昔は政府と経済界で支配力(ここで西洋ではキリスト教が顔を出す)の差があったが、西洋においては個人主義の発達により政府の支配力が弱まった。政府は、国民の生活を保障する一大責務のため、社会的政策を取らざるを得なくなる。新自由資本主義は、完全なる経済的自由のために国家から自由になる考え方だろう。その見返りは社会的政策の国家による放棄になるのでは?オバマ大統領の政策に社会主義的だとクレームがつくようだが、国家って「国民の生活を保障して」なんぼでしょう(なんぼ=なにほど、ここでは評価が定まるだろうってことで)。

 以上たわ言(間違い・・・でもないか (^^; )、妄想終わり。


タグ:neoliberalism

別の火薬に火がついて、妄想爆発 [社会経済妄想]

別の火薬に火がついて、妄想爆発

 アメリカでもやっていますね。
 オバマ・クリントンvs保険業界。

あなたは現在のような国民皆保険を望みますか?
アメリカ的民間保険を望みますか?
それとも全く新しい保険制度を考えますか?

今が大事な時です。m(_ _)m
その・・・(本日は番外 m(_ _)m 医療関係ではありません。)

 昨日は飲み会。ブログを途切れなくするために写真で誤魔化して・・・と、できた!!でもアップする前にトイレに行って寝てしまった。歳だなあ・・・。そんなレベルの今日の妄想は、以下のものである。

 以前、見事なものだ、アメリカ人の中で、佐光隆光編「現在経済学の名著」からハイエクの言葉、「普遍的に適用される正義に適う行動ルールだけには拘束されるが、自らの意図のために自らの知識を利用することが万人に許されている自由のひとつの条件が、自分の狙いを達成するための最良の状態を、万人にもたらしてくれるように思われるということ(「正義と政治経済学との自由主義的原理に関する新しい学説」)」を引用した(今回読んでも、何ちゅう日本語?!と思う)。その「正義に適う行動ルール」を破壊するためにマスコミは動いているのではないだろうかということである。

 いや、マスコミ個々の方々を直接責めるわけではない。マスコミの責務として、良かれと思う方向に国民を導くことがあると信じていらっしゃる方も多いと思う。でも何かをしようとしても本人の意志とは逆の方向に捉えられることもある。だから医者の領域で云えば、クスリの目的とする作用と副作用のように、結果として思わぬ方向に国民を導いていたってこともあるだろう。しかし正直なところ、最近のニュースの取り上げ方などは皆がやるから自分もやるってだけのことが多い感じがするし、一応好意的に見て国民の喜びそうなものを出しているとしても、その結果を熟慮している気配は少ないと云わざるを得ない。

 なによりも"サンキュー・スモーキング"(映像雑感) で描かれた情報操作も、そのつもりでみていると、マスコミの宿命だろうが、結構上手にやっている。何って?イベントがあれば国民の注目を集めなくてはいけないし、新番組があれば興味を持って貰うためにやってるじゃないですか。そのTVやラジオのテクニックを上手にオブラートで隠し商品以外は多様性を勧め商品に関しては特定のものに幻想を抱かせる・・・、一方ことの重要さのランク付けがない多量の情報で国民を欺くとか・・・、これは違うか。

 マスコミは本当の「正義にかなう行動ルール」を破壊するのでなく、形成し国民に如何ですかと提示できる方向を目指すべきだろう。あまりにも自由資本主義経済の勝ち組に、自分も参加するために、荷担したのでないだろうか・・・。>マスコミ経営者諸氏

妄想・・・かな?ジャーナリスト諸氏は違うってところをみせて欲しい。

P.S.
 今回は医療保険の記事ではありませんでしたが、命に関する民間医療保険導入に反対するものであり、現在の医療保険制度がパーフェクトとは思っていません。m(_ _)m


豊かな国に [社会経済妄想]

豊かな国に


 私の持論に、「日本って貧乏」がある。今はそうでもないだろうが、戦争に負けて昔はそうだった。例えば日本製品は優秀だと認められても、すでにある製品の品質を高めることが多く、まったく新たな製品開発は少なかったと思う。これは企業が成功間違いないものしか力を入れず、海のものとも山のものとも判らない所へお金をつぎ込むことができなかったのだ。そのため優秀な頭脳が国外に出て行くのは、詰まるところ日本の貧しさ故と考えていた。今は多少事情が違っていると思うが優秀な方にドンとお金を出すのがアメリカ流だから、その傾向が残っているだろう。

 お金はないといけないが、いっぱいあるからそれで豊かであるか?と考えると判らない。お金って多いほうが良いと思うと際限がない。お金のダイナミズムのために、もっともっとと忙しくなるだけで豊かな幸せから遠ざかるのではないだろうか?違うって?アメリカを見るとそう感じるのだが・・・。50・60年代の憧れのアメリカではなくなっている。

 さて、国民を幸せにしないシステムがあるかもしれない(^^;日本だが、ボツボツ貧しさから抜け出て豊かさを目指すべきではないだろうか?

 そこで、この記事。  (正直、適当に借用って感じ(^^;)
ぴあフィルムフェスティバル、国立の組織が共催へ

(原文より任意に抜粋)
 東京国立近代美術館フィルムセンターが、自主映画の祭典ぴあフィルムフェスティバル( PFF)を、ぴあと共催することになった。今年 7月に開かれる第31回から、東京都中央区の同センターを会場に提供するほか、協力態勢を取る。同センターが自主映画を上映すること自体、これまでほとんどなく、国立の映画機関が自主映画を支援することで注目を集めそうだ。

  PFFは77年に始まった若手監督の登竜門。(中略)近年は入選作が海外で賞を受けるなど、世界的にも認知されつつある。

 一方、フィルムセンターはその前身が52年に国立近代美術館の映画部門として生まれた。国内外の映画フィルムの保存・修復や研究、上映などが主な仕事。若い才能の支援に力を入れていこうとしていた同センターと、 PFFの新たなパートナーを探していたぴあとの思いが一致した。

 今年のPFFは東京開催の後、名古屋、京都、神戸、福岡など各都市を巡回する。(石飛徳樹)

 インディペンデントとエスタブリッシュメントのコラボレーションと書くとエッと思うが、 NHKと民放キー局のコラボのように政府関係機関と大中資本の協力と思えば納得である。そして、方向性として今後は豊かな日本になるためにお金にならない文化的投資をこそ心がけるべきだろう。政府機関・政府出先機関が貧しさ故の失敗を恐れて大中資本との協力ばかりでは、いつまでも貧しい国であると云うことだ。

 アメリカには楽天的かつ理想主義者のオバマ大統領が国民に夢を与えている(もう覚めた?)。ここはひとつ夢を見てみよう(ハイ、妄想です)。

 国と企業は、少し前のアメリカのように基本的に対立関係にあって良い。しかし企業の利益は、構成社員が住む国に還元するべきと企業が納得すればよい。海外進出すればその国に、その利益を吸い取る本社が日本にあれば、海外で吸い取った利益に応じて税金を納めるシステムが必要なだけだ。だから極端に安い税金で国際企業を呼び込むような国は、国際法でなくする必要がある。

 また、企業(そして国民も)は税金を払わなければならないのだが、大前提がある。国がその税金を魅力的に使わなければならない。企業・国民の信頼を得られる国であることが必須条件だ。国が信頼を得るとは、お役人が信頼されていることに他ならない。いくら優れたシステムを構築しても、お役人が私利私欲を求めたりサボタージュしていれば税金を払いたくなくなるのが当然なのだ。

 税金で入ったお金を歴史学や文学のようなすぐに役立たないかもしれない所に使えるようになって豊かな国と云えるだろう。この点がまだまだわが国は弱いと思う。役立つだろう学問(ハイ、必要です。でも企業も出す)だけに投資することは貧乏性の表れだ。半年ほど前に歴史学の教授の現地調査につき合って、ご馳走になりホテルで一泊させて貰った。MITSUBISHI財団からの補助であったようだ。もちろん、お国も研究費をいっぱい出しているのだが、もっと調査費として国民に還元できるような形で補助されては如何だろうか。

 働いてお金を貰って生活できるのが幸せだ。お金持ちが貧しい方々に施しをすること(アメリカの教会での炊き出しなど)で生活を保障するのはおかしい。働く意欲のある人が普通に働けば普通の家庭を持つことができ、その子供たちが良い国に生まれたと納得できる国、日本になって欲しい。そのためには広く(ぴあって云っても地方では・・・)文化的にお金をばらまくような国になって欲しい。地方大学にもお金を・・・、高知工科大学に補助金ありがとうございました、入学金が安くなったようですm(_ _)m。 モット(^^;

 どうも最近の日本が厳しい道を歩きはじめているようなので、進むべき他の道もあるのではないかと。お金の豊かさが大事なのは認める、でも心の(政治的に云えば、良い意味での日本精神の)豊かさに立ち戻りたい。そうすれば日本人の美徳とされた(アッ、決して本質ではなかったのですね、今違うもの)勤勉を取り戻せると思うけどなあ。今の日本で若い人たちに勤勉に働けって云っても、可哀想すぎる。


基本的に円が強くなるのは良いと思っている僕だが・・・ [社会経済妄想]

基本的に円が強くなるのは良いと思っている僕だが・・・


 僕はお金が判らない (T_T)。経済は全く判らない (T_T)。でも一般的に社会的通念として、世の中は理想通りにはならない、理論通りには動かないと云うことがあると思う。グローバル経済学者だけはこの通念が該当せず、間違っているのは政治や社会で、自分たちは間違っていないと思っているようだ (T_T)。以前からその種の本を読んでいるときにも感じたし、最近元蔵相がそのような発言をしたようだ。1+1は2であっても米一升と大豆一升では二升にならず、粒の大きさを云々するよりも、数学のような純粋科学でも数字をはじめかなり抽象化されたもので、科学って仮定から導き出される結論を常に吟味するものだと理解すべきと思うのだが・・・。

 効果がハッキリ出てくる抗ガン剤がある。グローバル経済医師が使用すると腫瘍が小さくなって目立たなくなっている。グローバル経済医師が著効例であると全身状態を評価せずその薬を使い続け、食欲不振でやせが目立ってきていたが、突然ショック状態となり社会は瀕死状態となった。グローバル経済医師は腫瘍専門医であり、このお薬を使い続けて腫瘍がなくなれば患者さんは元気になるのにと感想を述べたようなものだ(多少そのような考え方はあり得るかなあ・・・、専門の先生スミマセンm(_ _)m グローバル経済医師の問題です)。

 とにかく、経済がわからない者が、こんなことも起こるのかなと思ったことがあった。近頃のニュースで下記があったので、素人なりに考えて、どうなんだろうと思ったままを妄想として。
(^^:

「中国は為替操作」オバマ大統領認識とガイトナー氏表明

(原文より任意に抜粋)
 米上院財政委員会で財務長官への就任が承認されたガイトナー・ニューヨーク連銀総裁は22日、中国政府が人民元の為替レートを操作しているとオバマ大統領が認識し、中国に為替政策の修正を迫るため積極的な外交手段を取る構えであることを明らかにした。

 米議会では、中国政府が人民元の対ドルレートの上昇を抑えることで輸出攻勢を維持し、米国の対中貿易赤字が拡大しているとの批判が続いている。しかし、ブッシュ前政権下で、中国との経済対話路線を主導したポールソン前財務長官が「為替操作国」の認定を見送ってきた。

 1ドルが 120円の時に日本側の総経費が 110円であり、アメリカで1ドルで売られていたとする。1ドル 100円になった場合、(その頃考えたのだろう)売値は 1.2ドルとなったが売れないので、 1.1ドルにしたいとアメリカ側から要望が来る。そうなると日本側では、今までかかっていた 110円をどこかで削る必要が出るだろう。(数字なんかも適当でスミマセン、あり得ない数字でも傾向として m(_ _)m )

1ドルが120円時 1 ドル   110円(0.92ドル)
1ドルが100円時 1.2ドル   110円(1.10ドル)
         1.1ドル   110円

 ドルに対して円高になれば、売りにくいだけでなく、値下げ要望にてはより強く日本側にメリットのない、コストカットを求める事態が生じる可能性があるかなと考えた。

 もちろん、ある時期の日本は円高になりつつ日本側企業社員の給与が上昇した時代もあったのでこれほど単純でないだろうと思う。また日本の場合円が強くなれば材料費がコストダウンできる利点もあるかなと思う。云いたいのは為替レートが変化した際、製品の値下げ要求が来るとボディブローのように生産側に負担がかかるだろうと思った。企業の方々って、それに対応してきたのだから偉い。

 オバマ大統領は強いドルを目指す政策だったと思うが、先ずすることが元レートのドル安とは皮肉なものかもしれない。でもドル安って(アメリカが)うまく使えばアメリカへ輸出する国を全てアメリカの下請け企業にさせる手段かもしれない・・・(元々が下請け企業なのだろうが・・・)。もちろん、これほど単純でなく妄想だからね。(^^;


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