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'さぶ' [書物(本・雑誌)雑感]

さぶ
山本周五郎
筑摩書房 (昭和国民文学全集10)
昭和四十八年八月十五日 初版第一刷
ISBN 0393-10710-4604


 山本周五郎の小説は読んだことがなかった。"樅ノ木は残った"の作者であり、周五郎ブームが続いていたせいもある。どうも人が良い良いというのは、何時か読めると避けてしまう。そして、手にしたこの"さぶ"、忙しい時であれば、主人公栄二が無実の罪で荒れはじめた所で読むのを止めたと思う。確かにきっかけは無実だが、こんなに心が頑なになって行くのは不自然だと感じた。でも、これは数学で云えば、このような人が居ればの仮定を述べているところだった。栄二が落ちるところまで落ちて、他の人とは口を利かなくなってからが、この小説のはじまりだ。

 芳古堂に見習いとしている栄二とさぶ、ふたりは小料理屋すみよしのおのぶと仲良しだった。栄二が小さい時から仕事に行っていた綿文には二人の娘おきみとおそのが居て、栄二は女中のおよしに惚れていた。その綿文で栄二に盗人の嫌疑がかかり、芳古堂に連絡があって親方芳兵衛から休むように云われる。身に覚えのない栄二は、酒と女の力を借りその勢いで綿分へ押し入る。最初は眠ってしまい、素面で再度訪れるが、そこでの扱いから、綿分、綿分から引きずり出した火消し(い組の三人)、目明かしを憎悪して、いつかはかたきを取ってやると心に誓う栄二だった。
「人間の気持ちなんてものはいつも同じじゃねぇ、殴られても笑っていられる時があるし、ちょっとからかわれただけで相手を殺したくなるようなことも有る」と和助は云った。「本町のお店(綿文)にとって、おめえはしょせん出入りの職人だ、まして向こうは大金持、なにか事があればいくらひいきにした人間でも、遠慮や会釈はしねえだろう」

 これが納得いかない考え方で、前半はこの論理でどんどんと栄二は頑なになっていく。栄二も育ち盛りの頃、芳古堂のお金に手を出してお上さんから諭され止めたことがある。その時のように、今回も事情を聞かれるべきだろうが、全く事情を説明することもできず一方的に追い詰められる栄二なのだ。納得できない。(^^;

 幸い町廻り与力青木功之進の気をひくことができ、石川島の人足寄場に送られる。当時の栄二の状態は、
彼は自分の中に閉じこもって、外からはなにものも入れまいと思った。世間全体が敵だ。これを忘れてはいけない。金持ちは金の力で、役人は役人の権力で、罪のない者を罪人にすることができる。自分のように金もなく権力もない者には、かれらに対抗することはできない。これが事実なんだ、と彼は思った。すると、怒りがまたつきあげてきた。

 この小説は、いかにも孤独で腕の立つ無法者らしくなった栄二の再生物語なのだ。ひとかどの職人になろうとしていた栄二が、他の人と口を利かない状態になり、心の中では復讐のみを考えている。仮定が完成したから、その仮定の元での解答が得られるかどうか。解答のキーワードが"さぶ"である。
 又敵(またがたき)が天下の御法度になったのは、仇討(あだうち)であっても親を殺された子はまた相手を恨み、その子が相手を討てば討たれた子がまた相手を仇と狙う、これでははてしがないし世の中というものが成り立ってゆかないからだ

 このような講釈を聞いてもハイそうですかとならないのが、人の心だろう。(でも、復讐の心を燃やす限り平穏は訪れないと紛争が続く地域の人は諦めて欲しい。諦めしかないだろうか・・・。)栄二だって考える。
小さな錺職人が必要に迫られ、小粒金を鋳つぶして材料に使うことがある。みつかれば通用金をつぶした罪で罰せられる。綿文では小僧を使って、殆んど公然と小判を削っている。両替商ならどこでもすることだというが、それが罪にならないのはどういうわけか。-小粒金を鋳つぶした錺職人は、貧しくて地金が買えないからであり、綿文が小判を削るのは、必要からでなく利欲のためだ。しんじつ罪に問われるとしたらどっちなんだ、と栄二は心の中でなに者にともなく反問した。

 与力青木功之進配下の岡安喜兵衛の存在が、この反問への解答(義一の件)になるかどうかは判らない(^^;が、一応なるとしておこう。とにかく栄二は自分が行動することにより石川島で人望を集め、嵐の夜に人を助け、杭打ち作業では自分が砂に埋まり助けられる。そうして、社会で生きて行くことに気づきはじめる。いやー、流石山本周五郎、この頃になるとグイグイと読ませてくれます。おのぶの姉の仇、女衒の六の最後(嵐の日老人が海に落ち救おうとして飛び込む)が入ってきて、小説の筋つくりの巧さを実感します。

 いろいろなタイプに対しての人間性回復のドラマと考えて読んでみると、うーーん、他の人がいつも周りにいてくれることがクスリなら、昨今難しいでしょうか?しっかりとした人間性を持ちながら、周りと上手く行かず悩まれて、うつという状態になっておられる方も、周りの「人」と話しましょう。良いクスリと思います。あっ、さぶの言葉も書いておきます。
「おら、思うんだが」とさぶは口ごもりながら云った。 「--人間のすることに、いちいちわけがなくっちゃならない、ってことはないんじゃないか、お互い人間てものは、どうしてそんなことをしたのか、自分でもわからないようなことをするときがあるんじゃないだろうか」

ついでに栄二を慕う、おのぶの言葉
--世間からあにいとか親方とかって、人にたてられていく者には、みんなさぶちゃんのような人が幾人か付いているわ、ほんとよ、栄さん(おのぶの言葉)

 で、さぶちゃんってどんな人?自分で読んでね(^^;、主人公を越える(題名に来る)主人公なのだから。


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'流域' [書物(本・雑誌)雑感]

流域
李恢成
群像(1992年 4月号) 講談社
第四十七巻第四号(平成 4年 4月 1日発行)
雑誌コードT1003201041000


 李恢成、在日作家の小説である。在日と云っても、在日アメリカ人・在日ロシア人・在日ユダヤ人とはわけが違う。過去日本が植民地政策をとり公的には不幸な出来事を詫びつつもネットなどでは好ましくない情報が飛び交っている在日朝鮮民族(以下朝鮮人)である。学生時代か卒業してすぐ在日朝鮮人の小説が群像に載った際、東京音頭の掛け声コリャコリャがKorea、Koreaに聞こえるとか、惚れ合った同姓の男女が日本人になれば結婚できるが朝鮮人の誇りを保とうとすれば結婚できないとかの苦悩が描かれていた(李恢成氏の作品ではなかったと思う)。その民族の中でも李恢成氏は異色のようで、父親が(小説では)日本協力者であり日本の敗戦による解放後、サハリンを脱出(針尾島へ送られる)せざるを得ない境遇だったようだ。成人してサハリンの親族を訪れ、そこが故郷であると実感するが李恢成氏はさらに次のように書く。
(前略)ひと降り、雨が来て、去った。それでも町を歩いていて、ふと周りに人が歩いているのに気づいた。まるで今しがたまでいなかったのが忽然と地から湧き出てきたみたいに。男や女、大人や子供がいた。金髪も茶褐色も、黒髪もいた。髭もじゃもそうでないのもいた。中には自分と同じ年配の男もいた。彼らは、おしなべていえば、ソ連人であった。だれがロシア人でだれがドイツ人で、グルジア人でウクライナ人でユダヤ人なのか、あるいはアイヌでツングースでさらにべつの民族なのかは、知るよしもないことだった。まったく神のみぞ知るだ。それでいてひとつだけは共通していた。誰もが、ぱらつく雨など眼中にないみたいに町を歩いていていることだった。髪や肩に雨の滴が光るのをそれぞれに楽しんでいるのだった。その様子を眺めていると、春洙は急に胸がじいんとしてくるのをおぼえた。ふいに彼らが親しい人びとに思えたのだ。この瞬間までこの地は自分の故郷であった。まぎれもないその生い立ちの根拠と感情の深さによって。だが、そのときになって考えが変わっていた。この地は自分の故郷でもあるが、しかし同時に、彼らの故郷でもあるのではないか。閃くようにそう思った。しかしこの思いがどこからやってきたのか春洙はしかとはわからなかった。強いていえば、ぱらつく雨だった。

 僕にも、スコールのような雨が降ってきてその中を自転車で学生が通ると、アア高知に帰ってきたなあと実感した記憶がある。残念ながら、彼らの故郷でもあると実感はしなかったが・・・同じ日本人だし m(_ _)m。だから気持ちは半分しか判らないが、この文章で李恢成氏の実感は理解できた。その土地が何という国家に属するかよりは、そこで住んでいる人間が -どの民族かよりも人間が- 大事に思える方なのだ。彼自身、朝鮮民族は激しいと書くし、哭く民族とも悲しく指摘する。でも、この小説は朝鮮民族の今(1990年頃)を自分と朝鮮民族を考える旅から浮き彫りにしようとしたものかもしれない。その旅とは、遠東からソ連「国家」により内陸部に強制移動させられた37年問題(参考:『コリョサラム(高麗人)』 記録映像 ラウレンティー・ソン作品)を調べるものだった。

 主人公春洙(チユンス)は小説家、友人のルポライター姜昌鎬(カンチャンホ)とカザフ作家同盟の招待でソ連を訪れていた。目的は二つで三七年問題の調査とU・キムのインタビューだった。朝鮮戦争当時国費留学生としてソ連に送られ、固い友情に結ばれた三真の一人兪真(ユジン、他は朴真・河真)が案内人兼通訳として同行する。

 長編小説ですが、文章が短く内容(多いです)も理解しながら読み進めることができます。多少朝鮮半島の近代史を予習しておけば、より面白いかと。当然、半島の南北問題や在日の問題にも触れられていますが、より深い人間性にまでアプローチしようとしています。上記引用のように心の中では到達していますが、これら現実問題があまりにも重いために、小説として描かれる「人間性」はやや不消化でしょうか・・・、一文一文でキラリと描かれてはいますが。

 僕なんかもことにより是々非々で対応したいタイプですが、事を成し遂げたい方から見ると分派主義者とか場合によれば民族主義者とか相手の尺度でなんとでも呼ばれるのでしょうね。組織の中にドップリとは浸かれない性格 (^^; 。良い悪いは知らない。それも場合場合で当方の判断ってことで・・・、分派主義者だなあ。

 太平洋戦争中は朝鮮民族はソ連から見て敵性民族であり、赤軍の中には通訳 6名しか朝鮮人はいなかったとかの知識も得られます。またカザフでもカザフ人が敵性民族として移住させられた歴史が語られます。この歴史のダイナミズムも読みながら感じて欲しいところ。15年チョット前ですが、以下の文章がありました。激動中だぜ、頑張れ日本。あっ朝鮮民族も悲願達成を祈念して m(_ _)m、また頑張って下さい。
(日本は情けないと云った後)「どう思われるか知りませんが、まずそんなところですね」尻切れトンボな言い方をしたので自分でも納得いかなかった。シューマイを食べながら春洙は何か忘れていたものを探すように眉根を寄せていた。すると、自分が「日本」に住んでいて一体どれほど幸福感を味わっているのだろうという気になった。日本は先進資本主義国だ。いまではなんでもアメリカをぬいてナンバー・ワンになろうとしている国だった。日本のテレビや新聞の世論調査では、「日本に生まれてよかった」というのが国民的常識に近かった。しかし、「日本で生まれてよかった」といっている日本人のかなりかなりの層は「日本で生まれて困った」とか、「日本でくらしていてつらい」と思っている在日外国人のことを知らない人間でもあった。

 前半の日本の認識を持ったことがありますよね、わずか前に。安住の地なし、頑張るしかないね。

 でも、ある国でお金が消えた、消えたお金を増刷して、元を取るために、世界の大事なものを買って、世界の罪のない人々を苦しめて儲けようとする。こんな資本主義はいらない。共産主義はもっといらないが、現状に世界が対応できなければ復活か・・・、いやだなあ。

P.S.
 単行本化の際、「流域へ」に? 流域について以下ご参考
(西ドイツで韓国を発見・体験する春洙)だが、本来ならば、「祖国」で知るべき歓びをこの「外国」でしかあじわえぬというのはどこか理不尽でないか。
 そう考えていくと、ここは流域だった。ひとびとは流域にありながら歴史のおもみに耐え、そのときどきの人間の友情や記憶をこころに温めながら生きているのだ。人間の市のたくましい現実の中に自分はいるのだった。春洙は街路樹の匂いを胸ふかく吸いこみ、おもわず身ぶるいをした。


'アフリカの蹄' [書物(本・雑誌)雑感]

アフリカの蹄
帚木蓬生
講談社 (講談社文庫 は-47-1)
2003年 8月22日第14刷発行(1997年 7月15日第1刷) (単行本1993年3月講談社)
ISBN 4-06-263587-9


 僕は絶対正しいとか絶対間違っているとか、この世の中にはないと思っている人間だ。でも不当な差別、この本では人種差別だが、はやはり間違っていると思う。たとえ、きっかけが「曾祖父の時代、黒人の使用人が外部の黒人グループと通じて家と倉庫を焼き打ちしたのが理由だ。武装した五十人の黒人集団に家族十人が立ち向かうすべはなく、倉庫の中身は持ち去られ、曾祖母と小さな子供ふたりが煙に巻かれて死んだ。祖父はかろうじて家を抜け出し、畑の藁積みの中に隠れて難を逃れた」(ノーマン・フォックスについての記載)であっても。

 人種差別と云えば、南アフリカ共和国のイメージが私どもには強い。解説を読むまで気付かなかったが、本書には「南アフリカ共和国」の文字は一切でないようだ。でも、題名が「アフリカの蹄」である。
「ドクター、この国がどうして<アフリカの蹄>と言うのか教えてやろうか」
 作田は黙って頷く。
「エチオピアやスーダンは<アフリカの角>と呼ばれるね。アフリカ大陸は牡牛の形をしているだろう。この国はちょうどその足にあたる。だからアフリカの蹄。しかし、この国はまた別の意味で蹄なんだ。白人が我々黒人を牡牛の蹄で蹴散らし、踏みにじっている場所なんだよ。俺たちはこの国にいながら、実際は存在していない。俺たちの身分証明書がいい証拠さ」

 黒人たちの身分証明書の国籍には「現在のところ未定」と記入されている。そこにカラードでありながら、名誉白人である日本人のひとりとして主人公作田が行っているわけだ。

 作田はお医者さん。まだ(当時)日本で行われていない心臓移植の勉強のために、この国を訪れていた。ブラック・スポットと呼ばれる黒人居住区の診療所に出入りするようになり、「二歳くらいの男児が母親に抱かれている。小豆大の水疱が全身を覆っていた。枯れて消褪しかけている皮疹や丘疹もなく、虫の吸い口もみあたらない。すべて水疱が。熱は三十七度五分だった」患児を診る。そして病気に対応する過程で、その裏にある陰謀に気付くわけだが、この過程はやや強引である。もっと知的にアプローチして欲しかったが、全体の流れから無理も云えないかも知れない。その陰謀を打ち砕くため、またワクチンを作るために国外脱出することになる。

 無事脱出して、僕だったら再び<アフリカの蹄>に戻るだろうか?消される危険性も高いのだ。映画「遠い夜明け」(南アフリカ共和国でこの映画が公開され、劇場爆破が相次いだと書かれている)を御覧になられた方は判ると思う。身に危険が迫り、それまで全力で患者さんへの治療も行った、根本的な対策への最大の努力も行った、今は安全な国にいて自分の祖国は日本だ・・・。正直、戻れないと考えて戻らないと思う。

 でも作田医師は恋人パメラがいるし、アフリカの蹄に戻る。医者って本当に楽観的な考え方をする人が多いのではないだろうか。そうでなければ出来ない商売だと思う。医者は家族を診てはいけないと云う鉄則も、楽観的に診断してしまうからだ。そういうこともあり、生命の危機を顧みず戻った作田だが結果的には良かったことになる。恋人パメラは、アフリカの蹄について(上の引用説明は彼女の兄ニールによるが)云う「フフ。でも私があなたに言って欲しいのはそうじゃない。逆よ。みんなはアフリカの蹄なんだ。蹄が動かないと、牡牛は歩けない、走れない。だから、みんなで力を合わせてアフリカの蹄になり、走ろう。高らかに蹄の音を響かせるのよって」。そのような光景に出会えることになる。そんな小説だ。

 登場人物もレフ父子なんか良いですね。息子のジュリアンが作田に長崎の国際ウイルス学会へ出席したことなどから話しかける。
-日本人は黄色人種かと思っていましたが、白人よりも肌の白い女性もいるし、インド人なみに色の黒いのもいるのには驚きました。
 彼はそう言い、日本のいくつかの地域に多い成人T細胞白血病にも言及した。ATL ウイルスによってひきおこされる白血病で、ウイルスのキャリアのうち二十人に一人が発病する重篤な疾患だ。面白いことに、同じウイルスによる白血病は、アフリカの象牙海岸や内陸部のザイールにも多発地帯があった。
-日本の南部のいくつかの地域に患者が多いと聞いて、私はピーンときました。アフリカの黒人がその昔、奴隷としてそれらの地域に売られてきたのではないかと思ったのです。
 その助教授は特徴のある長い顔を作田に近づけた。
-彼らは日本人と結婚もし、子供も生まれたが、奴隷売買は一時期で途絶え、黒人の血は次第に薄くなった。しかし、ウイルスだけは、御存知のように母乳で子供に感染していくため、代々引き継がれていったのです。しかも、日本は長い間鎖国をしていて、住民の移動も少なかったというではありませんか。ほんの二、三人の黒人女性が日本の南部のいくつかの地域に上陸したと仮定しても、二、三百年後には、ウイルスのキャリアは数万人になります。立派に説明がつくのです。このことを学会に来ていた日本人学者に話したら、口をポカーンとあけてあきれ返っていました。文献上、そんな黒人奴隷が日本に上陸した記録はないと反論するのです。しかしこんな交流は地方におけるしかも庶民レベルの出来事で、記録に残るほうがおかしいのです。研究者というものはもっと想像力をたくましくしなければいけません。

(「ウィルス」とあったのを「ウイルス」と書いたが、そのままで。m(_ _)m )

 このウイルスは日本西南部のみでなく北にもあり、元々の日本人が持っていた所へ、持たない民族が近畿を中心としてやってきて同心円状に日本の片隅に追いやられたと思うけど・・・。まあ、学者が想像力を働かせるのは発表しない限り問題ないし、必要だろう。この方とお父さんのモーリス氏、非常に大事です。

 また長くなり(^^;、心臓移植と名誉白人について簡単に。心臓移植はこの国では黒人から白人への一方的なものだったという指摘は重い。ジョンQなんか観ていると、貧乏人からお金持ち(その逆は絶対ないということ)がアメリカだとすれば・・・。そして名誉白人については「まさか、自分たちが白人同様金持で頭が良いから、とは思っていないだろうね。いや確かに、日本人は頭が良くて、金持かも知れない。俺は知らんよ。何しろ直接口をきいた日本人はあんたが最初だからな。あんたの国は、この国の貿易相手国としてはナンバー・ワンなんだ。輸出二十五億ドル、輸入二十億ドル、合計四十五億ドル。その見返りとしての称号が<白人>さ。世界の工業国のほとんどがこの国との取引を拒んでいた時にも、日本だけは脇目もふらず商売に専念していた。だから、日本は、白人にとって実に有難い頼りになるパートナーなのさ」と説明される。さすが、元 TBS勤務の帚木氏だ。以前からの疑問、どうして名誉白人だったの、が氷解しました。

 楽天的な作田でもどう感じるかと思うリンチのこと、天然痘の猛威、因果応報のこといろいろ書くことある本だけど、これにて。m(_ _)m 自分で読んでね。最後は感動ものだから。

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'終戦の表情' [書物(本・雑誌)雑感]

終戦の表情
鈴木貫太郎
平凡社 (日本人の自伝12)
1981年 6月10日 初版第1刷発行
ISBN 0323-486120-7600


 本巻には「鈴木貫太郎自伝」と「今村均回顧録(抄)」が同時に収められている。以前「今村均回顧録(抄)」を読んだので、鈴木貫太郎の短いものを選んだ。丁度、終戦を迎える頃を回顧したものだ。自分で老齢七十九、辞退していたが組閣の大命が下り、政治には全くの素人としている。そして、「しかも余の決意の中心となったものは、長年の侍従長奉仕、枢密院議長奉仕の間に、陛下の思召の奈辺にあるかを身をもって感得したところを、政治上の原理として発露させて行こうと決意」している。

 鈴木は大正七年サンフランシスコで「仮にアメリカが日本を占領するとしても、日本には数千万の人間がおり、ちょっと手ごたえがありますぞ、この日本人を徹底的に殺すというようなことになれば、アメリカも数十万数百万の犠牲を出さなければいけないことになる。そんな犠牲を払われて、いったい何ほどの得るものが日本にはあるのだろうか。日本はカリフォルニア州一州のねうちもないものである。また逆に日本がアメリカに上陸したとして、果たしてロッキー山脈を越えてワシントン、ニューヨークまで進軍することができようか、それはまったく不可能なことだと思う」と述べている。この意見は承知のごとく山本五十六元帥と同じで、日米開戦になり、長引けば必ず日本は負けると云うことである。でも、カリフォルニア一州の値打ちもないと・・・、素直な人なのだろうけど、向こうも砂漠多いですよね。

 さすが軍人の指摘と思うところは、
 しかも戦争というものはあくまで一時的の現象であって、長期の現象ではにということを知らねばならない。この点に関して日本の戦争指導者は、初期において電撃戦を唱え、三カ月で大東亜全域を席巻してみせると称していながら、太平洋の広さを忘れ、長期化し、ついには本土決戦を怒号し、一億玉砕にまで引きずって行こうとしたのである。
 これは、もはや戦争とはいえない。戦争とは戦うべき時機を十分に策定して戦い、矛を収める時には速やかに収めることが戦争である。この原則を忘れれば近代戦争ではなく、それは原始人の闘争にしか過ぎない。

と書いている所なのだが、相手もあることだし、ここまでという線引きも難しいだろう。でも長期間やるものではないとの指摘は大事。アッ、戦争放棄していたんだ(^^;。第九条を除けようとしている方たちって理解しているのだろうか。良く判らないなら第九条は置いていたほうがよい。「世界の理想・戦争放棄」についても言及していて、(日本も入る)弱小諸国を国際連合のような組織(まだ国際連盟ができていない)が大きな力を発揮して保護し、この理想に邁進して貰わねばならぬであろうとしています。

 まあ、この鈴木貫太郎氏を一言で云えば「ものにどうじない」方だろう。数十隻の艦隊を率いて暴風雨に遭遇。航海長から「閣下、進路変更はどうします」と聞かれて、ただちに「直進航海を続けよ」と命令している。航海長が聞くということは、進路変更しましょうとの意があると思う。この状況下で進路変更すれば艦同士の衝突などのリスクが高く、直進航路のほうが暴風雨圏を切り抜ける捷径(ちかみち・はやみち ご参考までに m(_ _)m )だろうと考えている。自分では死ぬ目にあっているからとされているが、二・二六事件では実弾四発を打ち込まれ頸に止めのピストルをあてがわれている。奥さんが制止するが、襲撃将校が安藤輝三大尉であったことが幸いしたと解説の村上兵衛氏が書いている。彼はその人格をもっとも推量されていた将校だという。

 で、鈴木貫太郎の失敗というか反省というか、ポツダム宣言黙殺の方針だったが七月二十八日の内閣記者団との会見において「この宣言は重視する要なきものと思う」と答弁した。以下、再び引用、
 この一言は後々に至まで、余の誠に遺憾と思う点であり、この一言を余に無理強いに答弁させたところに、当時の軍部の極端なところの抗戦意識が、いかに冷静なる判断を欠いていたかが判るのである。
 ところで余の談話はたちまち外国に報道され、我が方の宣言拒絶を外字紙は大々的に取り扱ったのである。そしてこのことはまた、後日ソ連をして参戦せしめる絶好の理由をも作ったのであった。

 まあ、状況は異なるが今はマスコミが徹底的にコメントを求めたりしますから、鈴木氏も苦労するでしょう。実に陛下の意を汲み、終戦に向けて工作中なのである。それがばれれば、抗戦派が一気に主導権をとか物騒な世界です。とにかく、鈴木は日本を破滅させることなく、無条件降伏してその責任-「自分の名誉などという小さな問題ではない、陛下の、国家の不名誉を将来したのであるから責任は誠に重い」-を取った。殉死してその責めが済ませるなら問題ないと心底思っていたのだろう。

 阿南陸相の最期についてwikipedia鈴木貫太郎にも触れられているが、本書でも触れられている。鈴木は下記御前会議の後の阿南陸相の言葉「自分は陸軍の意志を代表して随分強硬な意見を述べ、総理をお助けするつもりが返って種々意見の対立を招き、閣僚として甚だ至らなかったことを、深く陳謝いたします」を紹介し、その御前会議の前に自分の所に到来物のシガー一箱(洋モク一箱ですな)を持ってきてくれたことから、「陸相は決して自己の主張する抗戦論が容れられなかったから自刃したという、そんな単純な心境ではなかったと思う。真に国を思う誠忠の人として、最後まで善処され、陸軍部内の心中を思い、自ら犠牲になられた人として、誠に余は尊敬を禁じ得ない立派な人物だと考えているのである」としています。阿南の後ろ姿に「彼は死ぬ覚悟だね」と呟いたことを記すのは迫水書記官の本で、この本では「すでに深く期するところがあったのではないかと思われる」と実に控えめ。

 その鈴木が「敗戦日本の一年」として書いているメッセージは今にも通じると思うが、残念それから遠ざかっているようだ。またまた大国意識が幅を利かせようとしている(今は、こう云っては何だが、経済敗戦中でやや下火)。「人間はたとえ間違ったことであっても、それを繰り返し繰り返し耳にしていると、いつの間にかそれが真実にそのように聞こえて来、やがてそれ以外のことは一切間違っているかのような錯覚に捉われてしまうものだ」と書いているが、僕には現在マスコミが政治的・社会的・健康的などなどに不安感を煽りすぎているのではないかと思う。キャスター・コメンテーターはご自分は正しいことを述べているつもりだろうし(うん、大旨正しい)、上手に柔らかく話しているが、今できないことをどうにかしなくてはどうにかしなくてはと訴えかけられて不安にならないほうがオカシイ。今の日本は小泉とマスコミの作品かな?

 健康だってそう、今の90歳台に入った大正生まれは結構長生きできた世代だ。彼らにサプリなんかなかった。食い過ぎている日本人が健康食品で寿命が延びたというデータなんかまだないだろう。患者さんからどうでしょうかと尋ねられても、申し訳ないが判らない、不都合があれば止めて貰うからどうぞとだけ云ってきた私だが、勧めるつもりは全くない(腎不全患者が、青汁を希望する場合などは絶対駄目と即答でしたが)。

 最後に、本書の一番大事な昭和天皇について触れることは遠慮します。昭和天皇・今上天皇(小さい頃に終戦を迎えられた)・浩宮殿下(小さい頃、どうして皆が僕にカメラを向けるの、僕がしたことをどうして同級生が皆知ってるのと悩まれた)ら天皇家を信じています。これ以上書くと右からも左からも責められるポジションと思う。
m(_ _)m

 時間があるので、長い引用をします。歴史家の先生方は他の資料も多く、事実このままでないかも知れませんが、日本にとって非常に大事だった情景です。
m(_ _)m 日本男子タルモノ、泣クヨ

 果たして八月十四日、宮中より先の御前会議に列した者および全閣僚にたいして再度のお召しがあった。
 余等は衣服を取りかえる暇もなく、急遽参内した。
 戦争に関して最終と思われる御前会議が厳かに開催せられたのである。
 まず論議においては、両総長、陸軍大臣が交々立って声涙下る意見の開陳を行ったのである。連合国の回答に満足せず、かかる不明瞭なままでの終戦ならば、むしろ国家百年のために玉砕戦法に出で死中に活路を求めよとの意見であった。
 かくて、三名の意見開陳後、陛下には最後の断を下し給うたのである。
 「自分の意見は去る九日の会議に示したところとなんら変わらない。先方の回答もあれで満足して良いと思う」と仰せられ、合わせて、その理由とするところは、前回の御前会議で述べさせられたご趣旨とご同様、世界平和を念慮され、皇国悠久の存続のため終戦の必要を述べさせられ、純白のお手袋にてお眼鏡をお拭き遊ばされていたが、陛下は一段と声を励まされ
 「このような状態において戦争を終結することについては、さぞ、皇軍将兵、戦没者、その遺家族、戦災者らの心中はいかがであろうと思えば胸奥の張り裂くる心地がする。しかも時運の赴くところいかんともなし難い。よって、われらは堪え難きを堪え忍び難きを忍び・・・」
と仰せられたかと思うと、玉音は暫し途切れたのである。仰ぎ見れば、おお、おいたわしや、陛下はお泣き遊ばされているではないか・・・。
 列席者一同は今度の再度のご聖断を給わるについては非常に緊張し、いう者も聞く者も涙で終始したのであるが、この陛下の
「堪え難きを堪え・・・」
の玉音を拝するや、たまり兼ねた一同は御前もはばからずドット泣き伏したのである。なかには身をもだえ号泣する者もあったのである・・・。
 誠にこの光景は、またこの心懐は敗者のみの知る、しかも底深い愛情によって結ばれ、強い明日への希望を抱く者のみの知る万感迫る思いであった。終戦のご詔書はこの最後のご聖断の折、陛下より給わった有難きお言葉を主に作られたものであるから、どうか諸君は彼の終戦の詔書を再読されることを希望する。


 資源もない、やって来たことが新しい国々でなされはじめた。今までの日本でいられると思うほうがオカシイ。国の行き先についても、新しい検討をはじめなければならないだろう。敗戦後のように、謙虚たれ日本・・・、と思う。m(_ _)m


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'権力とは何か 中国七大兵書を読む' [書物(本・雑誌)雑感]

権力とは何か 中国七大兵書を読む
安能務
文藝春秋 (文春新書071)
平成11年10月20日第1刷
4-16-660071-0


 一度読んでみて最後にまとめられていたが、自分が期待した権力の話でないと納得いかなかった。以前からの悪い癖で、一つで躓くと次に進まないことがある。今読書がそうなっては、楽しみも減るので、もう一度読んでみようとすると「はじめに」にしっかりと書かれていた。

 「ところで共存の範囲が、徐々に拡大されて国家社会が出現すると、権力が魔物のように、勝手に一人歩きを始めた。秩序の維持に寄与していた権力が、人々に服従を強いる横暴な国家権力、あるいは政治権力と化したのである。中国人が忌諱し嫌悪したのは、この国家権力や政治権力であった」と自分が理解しようとした<権力>のことに触れ、西欧世界は中国世界ほど<権力>とは何かを知らず未だに定義されていないと指摘する。定義はできなくとも説明はできると「権力とは一定の生活的な価値、すなわち財貨、知識、名誉、尊敬、快適などの社会的な配分体系の正当性に対する一般的な承認に支えられて、潜在的な社会的圧力および物理的な強制手段を動員することにより、社会的な配分体系を決定、維持、変更する能力のことである」と一例をだす。(T_T)余計判ンナイ  いつも頼りのWikipedia権力も少し・・・。そこで中国国家形成時の七大兵書から<権力>とは何かを探ろうという本である。

 ここで結論というか最後の文章を書くと、「初めに「権力」は「秩序」であった。そして究極的にも、権力はやはり秩序である。
権力は「法」に保障されて存在し、秩序は「制度」に支えられて存続した。
制度は権力の表徴で、権力者はその表徴の具現である。単なる標識で「交通信号」のようなものだ。
」と説明し、牛馬を川に連れて行くのは<権力>でできるが水を飲めと強制はできず、「権力はなんでも出来る。しかし、すべてのことが出来るわけではない。」と結んでいる。

 だから、上二段の間がこの本の内容である。そう思うともう一度読んでみようかと思うが思うだけ。(^^;もともと権力って好きでない。でも、本を読んでいて、なるほどと思う所が多かったのも事実。例えば西欧はキリスト教の支配権力から政治が独立してくるわけで、神から与えられた権力とは何かを考える必要性が少なく、如何に有効に使うかの問題だったと指摘している。そうだろうな。

 権力とは関係ないかも知れないが、当方素人。政治について、アッそうなんだと思ったのが、「常識的なことだが、政治には「理想の追求」と「現実の処理」の二本の柱がある。それは政治学の世界における政治哲学(理想の追求)と行動論的な政治学(現実処理)に対応するが、古来、儒教の徒は理想の追求に専念して、現実処理にはほとんど関心を示さず、それを下級官吏の「吏治」に委ねた」である。そうか、政治には理想の追求があったのだ。現実の処理とばかり思っていた。(^^; まあ、確かに所信演説などはそんなものかも知れない。大事なのは現実の処理と思うが・・・、一度福田さんに大風呂敷で日本の未来像(小泉の先を行く)を示して欲しい。元々が代打なんだから、気楽に。(^^;

 あれっと思うことは多々ある。読んでいて「身内だけが親しみ合えば、他人を差別して、自分だけを愛すれば、他人との感情が険しくなる。民衆がこぞってそうしたから、世の中が乱れた。この時、人々は他人に勝とうとして腕力を使う。それによって争いが起こり、相手の理不尽を詰り合うが、それを決める基準はなかった。だからお互いに、その信じることを押し通すことは出来ない。(親親則別、愛礼則険、民衆而以別険為務。則民乱・・・。当此時也、民務勝而力征。務勝則争、力征則訟。訟而無正、則莫得其性也・・・)」とあった。決して今のことではない。これは商君書「開塞第七」に述べられる政治社会のそもそものはじまりの状態を述べている所である。「人々はその母親が誰であるかを知るのみで、その父親を知らない。そして身内だけで親しみ合い、自分だけを愛した。 (民知其母。而不知其父、其道親親而愛私・・・)」母系家族の頃の話である。なんと現状と似ていることか。一般的に云って、男性は家庭から旅立ちたがり、女性は現実的に生きて今を生活する。戦後、女性が強くなった影響なのだろうか・・・?女性云々は置いておき、再び秩序を取り戻さなければならない現状だと、権力につく方々は認識して欲しい。(嗚呼、権力嫌いの僕がこんな事書くなんて。今の日本が余程、自己中毒に溢れていると思ってしまっているのだなあ、僕が。)

 ついでに新婦に良いことを教えてあげる。結婚してすぐに女房殿に云われた、あなたは女性を誤解している、あなたのお母さんやご兄弟のような立派な女性は少ない。私があの方たちと同じと思わないでと。肉親を誉められ悪い気はしないし、その頃は女房殿にもオオよし良しってもので、多少のX点(伏せ字を使ってみたかった)を快く無視できる。ウン、使って御覧。(^_^)自分ガ新婦ニナレバ絶対使ウ手ダ

 更についでにマスコミさんも、表現の自由を守るため思い切った内容で伏せ字をいっぱい使って書いてみられては。インパクトあると思うよ。数日前のタスポ記事の際伏せ字記事を書いてみた。あまりに嫌らしいので、伏せ字をやめると毒が消えた。(^^;伏せ字のほうが毒が出るかも。v(^_^  国家権力が伏せ字を伏せるのだろうか????

 猛スピードで進むと、「権」は計ることである、秩序があると守らせるために人がいる。役人の出現であるが、彼らの評価を含めて正当にいろいろなことを評価する力が<権力>である。<権力>と<権威>(今の意味とは違う)が異なる指摘もある。また、法家の間では「君主は官職を売り、臣下は才能を売る取引相手、商売仲間だという概念が生まれた」らしい。彼らの商売相手はわれら大衆なのだろうが、日本で政治家と役人が仲良いのも理解できた(^^;。だから、絶対的な権力がないということになる(オイオイ、中共さんよ、ボツボツそんな思想止めようよ)。そう云えば、この本。官吏のための権謀術数にも触れられています。官場は宝の山と思われているあなたもぜひ(もともとが権謀術数に対抗するため君主向けに書かれていますが・・・)。

 最後に、斉桓公三十五年(BC651)葵丘における「五禁」の第二条は「毋遏糴」:食糧の流通をとど(遏)めるなかれだったそうですよ。世界の指導者の皆様。 m(_ _)m  やはり中国(中共じゃないよ)の知恵って凄い!!この本は理解できてないので、再読することもあるかも知れません(ないだろう)。政治に疲れた政治家先生に是非。また、この本を読むと民衆は基本的にアナーキストのようで安心した。(無政府主義って名前が悪いのでないか、共和主義に近いかなとか悩んでいたの m(_ _)m 秩序は守るよ。)

帝力于我 何有哉!

P.S.
 自分で良い政治・良い病院事務って思っていたものは、老子「太上不知有之」によるものだったのだ。いやー、無視してきてスマン。m(_ _)m 辞める時に大声出してゴメン>ある方に それまでいろいろ無視していた当方が悪かった。


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'魔術はささやく' [書物(本・雑誌)雑感]

魔術はささやく
宮部みゆき
新潮社 (新潮文庫 み-22-1)
平成五年一月二十五日発行(平成十九年四月二十日六十六刷)
ISBN 978-4-10-136911-2


 以前宮部みゆきさんは、情景が目の前に浮かんでそれを書ける才能がある人でないかと思ったが、本書ではそのように感じる所が極めて少ない。むしろ川向こうのバスの駐車場の情景は、実際にある景色を練習のために描いている感じすらある。もっとも、抜群のストーリーテーラーである宮部みゆきさんだから本書も面白かった。

 事件そのものの中心は若い四人の女性である。作者は最初から関係づけて描くが、別々に起こったと思われる二人の自殺事件があって、三人目の女性が交通事故死する様子が描かれる。その交通事故の際、運転していて拘留されてしまう個人タクシーの運転手さんの妻(より子)にとって甥、日下守が物語の主人公である。守の父親は公金横領で行方をくらましていた。残った母親と守は田舎の周囲からの目で居たたまれない環境で暮らし、彼はいじめにあう。そこで知り合った老人から特殊技能(宮部作品から云えば普通の技能?)を教えられる、物語に絡む面白い発想です。守の母親は父親の帰りを信じて待っていたのだった。その母親が亡くなって東京の伯母の家で暮らすことになっていたのだった。より子の娘真紀も面白く描かれるが、より子自身が良くできたお母さんという感じだ。

 交通事故と書いたが、三人目の犠牲者も全く周辺の状況が把握できない状態となって交差点に飛び出して行ったのだった(ここの所の、決して自殺を勧めたのではないという説明も説得力がある)。目撃者もなく伯父さんは警察に拘留され続けるが、主人公に関係した男性が目撃情報を警察に伝える。その男性は愛人のアパートに行っていたため、警察へ伝えることが遅くなってしまった事情があったようだ。

 犠牲者となる四人の女性を激しく恨む犯人。犯人に好意を持たれる若き主人公。そして目撃情報を伝えた男性とは・・・、と云った話。主人公のまわりにいじめや心強い女友達(時田沙織「あねご」)・気の弱い正直な友人(宮下陽一)、そしてバイト先での出来事が描かれる。バイト先の話も重要な挿話だけれどすなおに読むことが出来る。話のトリックは・・・、これは書けない。(^^;

 四人目の犠牲予定者高木和子さんの恐怖感がやや少ない感じがするのが残念。もっと描くと恐怖小説になるのだろうが・・・、割と宮部さんって読後感を大事にするのだろうか?また守が四人の関係を明らかにする過程で登場する橋本信彦の人物像も興味深い。

 でも最終部二つの警察出頭については僕には納得できない。一つは古い事件で罪があると罰さなくてはならないのだろうか、後悔し償ってきただろう人を。「許す」ことも大切なのでないだろうか。人を許すことができないほど完璧な人っているのだろうか。

 そう云えば昔の話。馴染みの食堂のオバちゃん。店じまいした後に、娘が他のお店のもので食中毒。(医者は食中毒を診断すると届け出なくてはいけない、でも)届け出る?と相談した。食堂を経営していると、一発で暫く商売ができなくなる届け出の怖さを知っているだろうから。医者としては届け出たいが、その後大変になったお店も見たことがある。届け出ずに大流行になると責任問題だが、食べた日時、病原体、その後の流行の有無、娘さんの健康状態を考えて相談したのだ。答えは、先生私のような店でも一生懸命食中毒を出さないようにやってきた、届け出て下さいと・・・。店じまいしているし、やってきた自信があるので云えたのだろう。誰が判断するか難しいが、保健所も不可抗力と判断される際には営業停止処分まで出さなくてもと思う。そのほうが届け出やすい。でも、緩すぎでもダメか。

 「許す」か「許さない」かも問題か。僕は最後の警察出頭については「許す」。もう一つは、新しい事件について警察に出頭すれば良いのか。やはり「許されない」だろう。現実的に事件発覚前なら自首で刑も軽くなるようだが、予め自首を覚悟して起こすやむを得ない犯罪なら仕方ないが、悪いことをしていてある時点で自首とは都合が良すぎるのではないか。まあ、自首しないよりされたほうが良いので減刑は納得。

 本に戻って、事件の発端となった若き女性四人の行動・考え方は実に現代的である。でも、この軽さは人として大切なものを失った結果ではないのかと僕は、世代的にかも知れないが、考えてしまう。騙されるのは騙されるほうが悪いのか・・・。ひとつのネタバレになるが以下の引用で。m(_ _)m ドウシテ憎ムノカハ読ンデネ


「坊や、私は君の四倍以上の歳月を生きてきた。そしてわかったことが一つある。いつの世にも、真の悪人というものが確かに存在するということだ」 演説。手を広げて。 「しかし、幸いなことに彼らは絶対数が少ない。彼らだけでできることなどたかが知れている。本当の問題は、その彼らについていく者たちなのだよ。恋人商法だけではない、あまた満ちあふれている悪質な金融犯罪も、それを考え出した一握りの者たちだけでは成り立つことはない。それを成り立たせ、実行し、蔓延させているのは、もっと大勢の追従者たちなのだ。そこで何が行なわれ、自分がどういう役割を果たしているのか充分承知していながら、いざというときには逃げ道を探せる者たちだ。悪意はなかった、知らなかった、自分も騙されていた、事情があってどうしても金が欲しかった、私も被害者だ-言い訳、言い訳、果てしない言い訳だ」


 どうでしょう、これが魔法の男の科白なのですが。やっていることが悪いと判断すれば止めるべきです。「汝の良心の声のみを怖れ、それに従え」と信じています。でも、この良心が'二〇世紀精神病理学史' 1.ご理解のためにでいう〈力としての歴史〉下にあるもので全員の人には当てはまらないだろうと・・・考えるしかない。僕は長らく性善説を信じてきたが、性善説も性悪説も間違いではなく、実際のところ〈力としての歴史〉(以前は時代とか育ちという言葉で考えていた)によって人間は性善にも性悪にも成り得るのだ。一言で時代が悪いと片付けたくもないが。




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'二〇世紀精神病理学史' (2/2) [書物(本・雑誌)雑感]

二〇世紀精神病理学史 2.雑感
渡辺哲夫
筑摩書房 ちくま学芸文庫(わ-8-3)
二〇〇五年一月十日 第一刷発行)
ISBN 4-480-08892-X


 やっと、いつもの雑感に入れるが、本書は2001年に著した「二十世紀精神病理学史序説」の改訂増補版とのこと(あとがき)である。読みながら文学者かと思うくらい連想される言葉が並んでいたりして?だった。著者によれば序説が不親切すぎたので、「新たな言葉を捜し、問題意識を至るところで明瞭化することを心掛けて書いているうちに、原稿枚数は「序説」の二倍近くにまで膨れあがった」とのことである。今度は理解を得られるだろう言葉を残し削って削って見られてはと思う。

 精神病理学の話はおいておいても、本書にて目からウロコのことは多い。先生オリジナルではないのだろうが、ヨーロッパの碩学の考え方に親しむことができる。デカルト先生を見てみよう。「では、デカルトは実験開始のまえに何をしたか。彼は自分の生活史を広範かつ詳細に書きとめる作業に没頭した。身につけた教養全般に磨きをかけ、そして旅に出た。多くの世俗の人びとと親しく交わり、自身をも世俗化した。慣れ親しんだ慣習に従って生活した。つまり彼は良識的なひとりの一七世紀ヨーロッパ人となって生活基盤の「広さ」を徹底的に体得したのち、はじめてゴギトへの上昇を開始したのである。「哲学的な問題の取り扱いに際して講じられる衛生法」とのブランケンブルクの評は適切である。」確かに「方法序説」で弁護士と医者を友人に持っておけとアドバイスできるデカルトって、若い時には失望したが、頼りになると思うべきなのだろう。そう云えば「存在と時間」を読んでいて息子がムクムクと大きくなって、やはりハイデガーよりフロイト先生だろうと読みはじめて、こじつけ?と感じたこともあったなあ。日本文学一辺倒ではなかったと思い出した。(^_^

 ナチズム自体およびそれと関係を持たざるを得なかった碩学の考察も面白い。ヨーロッパはキリスト教一辺倒(+ギリシア・ローマ)と思っていたが、ヴォータンも残っていたのですね。ソフィア・ローレン「ローマ帝国の滅亡」で描かれた頃に滅亡したと思っていたのに・・・。そこで、フロイト。「こんにち極めて露骨にユダヤ人憎悪を示しているすべての民族が歴史時代もかなり経過してからはじめてキリスト教徒になった事実、しかも多くの場合、流血の惨を見る強制によってキリスト教徒にさせれた事実が忘れられてはなるまい。これらの民族はみな「粗末に改宗させられた」のであり、キリスト教という薄いうわべの飾りの下で、彼らは野蛮な多神教に忠誠を誓っていた彼らの先祖と何ら変わらないままであった、と言ってよかろう。」(モーゼと一神教)。さすが、イスラムと同じ神を唯一と敬うユダヤ教のプライド。一神教の歴史が違うと・・・。フロイトも書きたくなかったのを、ナチに対して書きはじめたわけで著者はフロイトの「わが闘争」であるという。いろいろなところで「闘争」が出るが、その低音部には精神病理学があるのかな?まあ、上記のフロイトの云う神々、その背後でうごめく野蛮な力の正体をヴォータンと先に見抜いていた人がユングだ。「ドイツは精神的な破局の国である。ある種の自然条件が、世界の支配者である理性と見かけの平和しか結ぼうとしないのだ。和を肯じないものは風である。無窮と始源のアジアに発して、トラキアからゲルマニア一帯に広がってヨーロッパに吹き込んでくる風である。外からは諸民族を枯れ葉のように?きまわし、内からは世界を揺るがす思想を吹き込むこの風は、アポロン的秩序を打ち砕く自然神ディオニュソスにほかならない。嵐を巻き起こすものはヴォータンと呼ばれてきた。」(ヴォータンにはもっと格好がよい文章があるのですが、ヴォータン+ギリシア・ローマの神々と云うことでこちらを。)

 アメリカの悪口を書いていたと思って捜すが見つからない。そこで「おのれの、〈生命〉の現れかたのいっさいを保護的に間接化し限定してくれていた〈力としての歴史〉を簒奪し、その巨大な主体性をわがものと勘違いして矮小化してしまった野蛮人の群れはどうなるのか。おのれこそ唯一の主体だと叫ぶ、思い上がった「人間」はどうなるのか。詳しく論証するまでもあるまい。現今のわれわれの時代光景を見れば否応なく思い知らされる。高度の技術と膨大量の情報を手に入れた野蛮人の群れ、物質的・官能的な満足、進歩を血眼になって追い求める自然人の群れが右往左往している。歴史的使命に応じる鋭敏な感受性を有していた「人間」にとっての「高さ」はここまで歪み、傾き、荒廃し、朽ち果ててしまっている。もはや、われわれにはいかなる「高さ」も許されないと言ってよかろう。千差万別の、と言ってもじつは千編一律のフェアシュティーゲンハイトのみがわれわれに許されているだけである。われわれはここまで「病んで」しまった。」まあ、アメリカを追い掛けているのが日本ですから・・・。でも、日本には神々がいて遅れて仏も入ってきた。先生が勉強されたのはもちろん西洋医学なのだが、書かれるものの中にアジア的臭いが全くないのが気になった。

 本書では南米インディアン部落でピエール・クラストルが見た光景が述べられる。酋長がいろいろ言っているが誰も聞かない。その言葉はいつも同じこと、「われわれの祖先達は、彼ららしい生き方をして幸せであった。彼らの範に従い、そうすることでわれわれも平安に暮らそうではないか」であった。この中に権力の言葉・命令はない。クラストルは「この権力の拒否に自らの全体を賭けているのは、文化そのもの、自然からの差異の上限としての文化そのものに他ならないのだ。そしてまた、文化は自然に対し常に変わらぬ深さをもった否認をつきつけはしないだろうか。拒否におけるこの同一性からわれわれは、これらの社会が権力と自然とを同一視していることを発見する。文化は、権力と自然両者の否定なのだ。それも、両者が、文化という第三項に対してもつ関係-否定的関係-の同一性のみを共有する、相互に異なった二種の危険という意味ではなく、文化は権力を自然の再出現として把握するという意味での否定なのだ」と述べる( (@_@)サッパリ判ラン、洋物も読んでみようかと思ったが、その気が失せる)。まあ、権力に従わなかったのは中国人民(中共にもだよ)であり、意味は異なるが自然と一体化しようとしたのは数十年前のわが民族だ。世界でいろいろな生き方があるのだから、他の視点も・・・、二〇世紀精神病理学史だからシャーないか。

 精神病理学史の視点を除いて、現代を生き抜く知恵はやはり欧米でなくアジアにある感を深くした。まずは、破れ袋に風を入れよう。(新しい知識が入るために忘れても良いのよ。)

 けど、総じて面白い本だった。v(^_^)

P.S.
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'二〇世紀精神病理学史' (1/2) [書物(本・雑誌)雑感]

二〇世紀精神病理学史 1.ご理解のために
渡辺哲夫
筑摩書房 ちくま学芸文庫(わ-8-3)
二〇〇五年一月十日 第一刷発行
ISBN 4-480-08892-X


 難しい本を手にしてしまった。(^^; 僕も再び患者さんの前に座ることができるかも知れない。その際、患者さんの不安・うつ状態には対応したいと以前から思っていた。外来診療で患者さんの不安が以前と違って非常に大きく切羽詰まったものになっていると医者たちは感じている。正直ブログをはじめたのは、読んでくれた人の不安が少しは減るようにと思ってもいたのだが、医者に掛かる垣根をもう少し高くと云っているので不安を煽っているかも知れない。(^^;でも、僕以上に不安を煽っているのはマスコミだからね。マスコミによる情報であなたたちが不安になることで商売をしている人がいるってこと。例えばサプリ。アメリカのように国民がサプリメントにお金を使うようになるとは思ってもいなかった。サプリに払う金があれば保険のお金に払ってよ。一頃は明治・大正生まれを例に取り、あの人たちは戦争のために成人病ができなかった世代、サプリがなくても長寿を得られる実例でしょう、あなたも同じようになりたければ食費を削るだけだから経済的と思うよなんて云っていたが・・・。オッと、メタボの話でなく不安とうつ状態だ(本書は統合失調症がメインとなる、でも不安とうつ状態の説明にも充分使える (^^;ダカラ僕ハダメナノ?使エルヨネ。)。

-----<ご理解のために>-----
 ここからはじめよう。「私は必要もなく問題を大きくしたわけではない。〈歴史不在〉という小さな言葉、首都圏内の一精神病院内の小さな場所で痛感し続けた〈歴史不在の想起〉という孤独で悲惨な闘争に私が巻き込まれて発した小さな問いが、じつは巨大な謎への問いであった、私の予感を越えた大きなポテンシャルを秘めていた、それだけのことである。」(P.254)と語る。孤独で悲惨な闘争をしているのは統合失調症の患者さんである。先生が臨床医として、「今年の動向」・「最近の知識」・「最新の治療」などに迷わされることなく(お医者さんなら「」が判る (^^; )患者さんと向き合った臨床医の視点なのだ。でも〈歴史不在〉の歴史が、この言葉から受けるだろうイメージとチョット違う。

 そこで先生は、歴史からはじめる(序章 歴史の概念)。ランボーと小林秀雄を引用し解説していく。「ランボーも小林も〈歴史〉を憎悪している。アンビヴァレンツなどという心理をはるかに超えた狂おしいまでのパッションの次元で、〈歴史〉を憎悪している。〈歴史〉が、「普遍的知性」が、言葉が、「大自然」を自然生命直接的に「見る・千里眼」を全的に阻害しているからである。〈歴史〉の「俘囚」となってしまった人間は、せいぜいのところ、歴史的・人造的世界を間接的に、既知の事実として「知る」ことしかできないからである。人間が「疑い様のない確かな或る外的実在」から排除されていることに二人は苛立っている。」(P.12)と説明し、この「疑い様のない確かな或る外的実在」を「途方もなく強力な〈歴史〉、ヘーゲル的な歴史概念がその表層的な一産物に過ぎないような〈力〉としての〈歴史〉である。この抜きがたい”記憶”としての言語的網状組織がそれであるところの〈力としての歴史〉こそが、二人の敵、尋常ならざる敵である。」(P.14)とする。以後、「力としての歴史」がひとつのキーワードとなる。

 そして〈歴史〉(うゎ、僕までカッコを使ってしまった)について、「すなわち「もの、事物、個別的事件、人物」のリアルな連鎖として抽象的に観念される「歴史」と「現実・現在」がそこに依拠する根拠としてのアクチュアルな〈力としての歴史〉とを分けて考えることは必要であると考える。リアルな「歴史」は言わば「死物連鎖世界」である。この「死物連鎖世界」を賦活し「活物」としての「生き生きとした現在」にするのがアクチュアルな〈力としての歴史〉あるいは〈歴史の力〉である。このアクチュアルな〈力としての歴史〉こそが「現存在」がそれに依拠している根拠、言うならば「現存在」の真下にて「現存在」のまとまりを与えているアクチュアルな”記憶”なのである。」(P.46)とその歴史はアクチュアルなものであると強調している。

 では、この〈歴史〉に対するヒトはどうなのかというと、「人間は動物性から離脱した。自然直接的な瞬間的生命から解放された。しかし、この離脱は高貴な自由への脱出ではなく、〈歴史〉という牢獄に閉じこめられることでしかなかった。」(P.13)のであり、「ランボー、小林の感性において、〈自然生命直接的祝祭性〉を人間から隠蔽するかたちで剥奪する〈歴史〉が、あたかもそれが諸悪の根源であるかのごとく問われた。〈大いなる祝祭のとき〉を人間から奪い去り続ける〈力としての歴史〉の不健全性、不自然性、その「真理・錯誤」性が問われた。言わば、〈生命の勢い〉を個別化し、限定し拘束、凍結している元凶としての、憎むべき〈歴史の力〉が問われたのである。だが、この問いを反復しているうちに露呈してきたのは、〈自然生命直接的事態〉の、〈生命の激烈な祝祭性〉の、人間にとっての危険性であった。」(P.17)と動物的な自然直接性が人間であるが故に危険であるとの認識(これは著者の臨床での認識?お勉強してからの認識?前者なら素晴らしいが・・・)に至り、直ちに「〈力としての歴史〉によってその都度間接化され意味分節化された有意味の世界が人間にとって刺激保護的に作用していることが、事実として認定されざるをえなくなった。人間は〈動物性〉ないし〈反・反・動物性〉を欲しているのか、それとも〈力としての歴史〉を欲しているのか?人間は発狂せんと欲しているのか、発狂を回避せんと欲しているのか?本書はこのような問いでもって始まらざるをえないのである。」(同P.17)とされる。

 動物として〈力としての歴史〉に取り囲まれることがなければ、外からの刺激に反応するだけですんだかも知れない。だが、ヒトは〈力としての歴史〉を纏うことにより外からの刺激から身を守ると同時に、刺激の性質・強さによってはヒトの〈自然生命直接的事態〉の、〈生命の激烈な祝祭性〉が生じて狂うことができるようになるとの考えである。序章は、「繰り返す。〈力としての歴史〉は、個別化された〈生命の勢い〉としての人間が発狂することを防ぐ守護神であり、かつまた同時に、人間にとっておそらくは最奥の自由の場所である〈自然生命直接的・瞬間的・祝祭性〉を人間に禁じている獄卒なのである。」で終わる。

 そして、「ほんらい、〈生命〉と〈歴史〉は、実体化ないし対象化しえない、言わば原理的な、目に見えない、純粋なアクチュアリティとしての〈力〉である。われわれは、各自的にも公共的にも〈生命〉的存在と〈歴史〉的存在の相互隠蔽的運動として、相互の緊張関係のなかで、日々生活している。いな、この相互隠蔽的な運動そのものが「人間」として生きて行くことなのである。」(P.63)とこの視点は個人を対象とするだけでなく、社会をも対象とすることができるのである。

 この調子でやっていくと、いい加減長くなり誰も読まないだろう(ここまでも読まないか (^^;僕ダッタラ読マナイ)。以下均衡・不均衡を考える際の大事な言葉について説明のための引用のみ。
m(_ _)m

<<フェアシュティーゲンハイト Verstiegenheit>>
 フェアシュティーゲンハイトの訳はむつかしい。「思い上がり」という訳は臨床経験に即して言うなら不適切であると思われる。少なくとも私は医師になって以来、カルテに「思い上がり」と記したことは一度もない。「現実遊離」あるいは「奇矯な理想形成」との訳のほうがまだ病者の「精神」の真実に近いだろう。素朴に「登り間違い」とするのもよいかもしれない。要するに自己の可能性の限界を踏み破って高きところに登り、精神的な身動きがとれなくなって、病者の「精神」が、あるいは凝固し、あるいは揮発してしまうことだ。

<<フェアファーレン(ハイト) Verfallen(-heit)>>
 Verfallen を「頽落」と訳するのはおかしいと思うときがある。デカルトは「頽落」したのだろうか?そうではあるまい。ハイデガーの思想家の資質からして「頽落」なる訳語が妥当な文脈もたしかにあるが、これは、本来、「世俗性への着地」というほどの意味に解すべきことであろう。ともかくVerfallenの訳語は再考を要する、少なくとも文脈に応じて異なった日本語を採用すべきだ、と私は思う。(日常性への着落ってのはどうですか?先生と同じくダハダハっと云ってた世代なもので・・・。)

<<アンテ・フェストゥム と ポスト・フェストゥム>>
 これまで述べてきたように、自己存在のアンテ・フェストゥム的契機は分裂病の時間構造に、ポスト・フェストゥム的契機はメランコリー(および非分裂病性の妄想体験)の時間構造に特徴的に示されるものであるけれども、この両者は元来、正常と異常、健康と病気の区別とはなんのかかわりもなく、人間存在一般の基本的構造に属するものと考えられる。そして、一般的にはアンテ・フェストゥム的契機は、オリジナリティを求める傾向、主体性への欲求、革新的思想、超越的・非現実的なものへの親和性、遠さへの志向などの形をとって現れ、ポスト・フェストゥム的契機は、周囲との同調を求める傾向、自己主張を控える態度(ギクッ。アッ、これ僕。患者さんが医学書を読んでいてもこのように「あっ、これは私と同じ」と考えると思う。でも、一句だけでなく全体で考えることが大事なのです。念のためしゃしゃり出ました。(^_^)引用ダケモ退屈ダ)、保守的思想、世俗的・現実的なものへの親和性、近さへの志向などの形をとって現れる。十分に個性的な独創性をもちながら、しかも十分に調和のとれた現実適応の可能な人においては、両契機の間に自然な均衡が保たれていると見るべきだろう。

 イントラ・フェストゥムってのもありますが、もう勘弁。自分で読んで。(^^;

-----</ご理解のために>-----

 そして、この本の帯にもある「失敗した学問、その相貌」とはヤスパースの精神病理学総論において、大事な〈歴史〉が欠如したとする指摘である。了解においても、〈自然生命直接的祝祭性〉と〈力としての歴史〉が必須なのに抜けてしまったということである。耳を傾けるべき意見である(と云っても僕は精神科はサッパリ)。

 もう哲学の世界です。精神科の先生って皆さん、こんな難しいことを考えているのだろうか?また、お薬で症状を取ることと、これらの根本的な分裂なり統合失調なりを是正することは違うのでしょう。

 さすがに知識のカット&コピーも、PC上のものなら楽だろうが、これだけあると老眼で活字やディスプレイがぼやけているものには疲れる。本書の雑感は別記事とする。また、演歌の竜が涙したことから優しさを得た状況などを考察し、便宜的だが流行歌(洋物を含めてヒット曲)の歴史を述べることで、演歌の竜について「力としての歴史」を面白可笑しく書いてみようと思ったが止める、堪忍。読まれている人が適当に考えて下さい。
(^^;


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'繪島生島' [書物(本・雑誌)雑感]

繪島生島
舟橋聖一
筑摩書房 昭和国民文学全集20
昭和四十八年十一月二十五日初版第一刷
0393-10720-4604


 男と女の話は苦手と書いた僕だが、ある女の遠景(1963)・好きな女の胸飾り(1967年)を読んでいる。ニキビ多き頃「ある女の遠景」を読み、大学に入って「好きな女の胸飾り」を買ったものだろう。でも、その後舟橋聖一氏の作品とは違う方向に手を出すようになった。今回も舟橋聖一の「繪島生島」と云っても男と女の話だろうと手を出すのにチョット躊躇があった。でも、僕としては面白い読み方になってしまった。体調不良のため少しずつ読んで行くのにピタッと合致した。古くささを感じずに、読みやすい文体も助かった。


 (前略)繪島は心中の口惜しさを吐露して、一首詠んだ。
     世の中に
     かゝる習いはあるものを
     ゆるす心の果てぞかなしき
高遠の雪
 世の中の人のすることを、自分もしてみただけのことで、このようなひどい目にあったのも、もともと心の油断であろうがと詠んだ繪島が一首の歌には、よく端的に、その心情がうつされているように思われる。
 奥女中の芝居見物が御法度であることは、誰知らぬものはなかったにせよ、当時宿下りの御守殿が、たとえ素人風に身をやつすとは云え、誰の目にもそれとあらわにわかるような態度で、半ば公然と芝居小屋に出入りすることは、一種の慣習として、元禄正徳の一般的な風俗図譜でもあった。偶々、繪島もそのヒソミに倣い、しかも稍深入りして、生島新五郎と夫婦の契りを結んだのではあるが、彼女にすれば、当時流行の色子買いでも、おやま狂いでもなく、奥女中大年寄の地位をかなぐり捨てても、恋しい男の胸に飛びこんで行こうと云う一筋の熱情だったのである。それが今、大奥からの追放となり、縄目の恥にさらされ、危うく死一等をまぬかれたとは云え、すんでのことにこの首が飛ぼうとさえしたのだ、と思うと、繪島はこんな理不尽な御政道に心から服する気になれなかった。


 内容は恋物語というよりは、引用に示したように、御政道(側用人間部詮房・若年寄侍講新井白石・月光院vs老中土屋相模・秋元但馬守・天英院)の話である。システムではなく人だよとつくづく思う。徳川六代将軍から七代将軍へ。七代将軍家継の生みの親、月光院付けの奥女中No.1が繪島である。六代将軍家宣の正室は天英院。小説では天英院から奥女中宮路がスパイとして月光院のもとに送り込まれる。宮路が繪島をそそのかして生島と会わせ、繪島が深みにはまっていく模様を描くが、惚れたはれた(もあるが)より御政道のほうに目がいく物語だった。

 一方書き手としての舟橋聖一氏は歌舞伎に詳しく、この人ならではの所がある。一番感じるのは奥女中と役者衆の船が偶然出合った形とする仕組まれた場面で、成田屋団十郎は挨拶を断る(その前には生島と団十郎が御女中衆に対する態度で別れる場面もある。そこでも団十郎は同じ意見を述べる。生島自身も、団十郎と同じ考え方でやって来た役者だった、繪島と出会うまでは)。彼と挨拶に来いと云う御殿医好竹院との会話。(嫌な言葉がありますが、団十郎の言葉が目指すところにてご理解・ご寛容を)
m(_ _)m
 また、好竹院さん、医者の風上にも置けない方で・・・。医者、役者、芸者って言葉知らないのだろうか?

(好竹院)「かりにも大奥を勤める身分のある御女中衆だ。河原者の分際で、御贔屓になるのがよろしくないとは、怪しからん言葉だ」
(団十郎)「そう云われてしまえば、お話になりませんが、河原者とは、そちらでつけた名前。私たちは、天下の役者と心得ていますから、御女中衆の御贔屓は贔屓の引倒しだと思って居りますのさ」
(好竹院)「然らば、その理由を申しなさい」
(団十郎)「さればでございます。総じて御女中衆の御贔屓は、芝居の芸というよりは、役者の顔や色にあります。あれはいい男だという評判が立つと、御女中衆は熱をお上げになりますが、それでは役者は、いつになっても芸能の人とは申されませぬ。所詮売色という汚い泥沼から、匍い上れませぬ。要するに、御贔屓が行過ぎとなれば、弊害を生じるのは当たり前でございます」
(好竹院)「待てよ成田屋。ちと言葉が過ぎやアしないか。もともと、その方らは、売色なしでは食っては行けぬではないか」
(団十郎)「これまでの役者はそうだったかも知れません。然し、これからは、売色などをやっていては、舞台の切磋琢磨は叶いませぬ」


 歌舞伎が華やかな芸術になろうとしていた頃の事件(幕府からは何回も派手にならないよう業界指導があった)で、この事件後暫く歌舞伎は停滞を余儀なくされたとも云われるようです。団十郎も事件に係わったと逮捕されるが、皆が団十郎さんは違うと明言してくれ、はやくに放免となっています(生島もホッとする)。

 でも1500名もの関連逮捕者がありながら、享保 7年(約 8年後)繪島生島と山村座座主山村長太夫の三人以外は放免となっている(死罪・暗殺も描かれる)。評定所が開かれるようになった具体的な事柄は、小説と事実(大奥七ツ口での押し問答)では異なるようだが、確かに幕府内部のいざこざに巻き込まれてしまったと考えるほうが辻褄が合う。

 しかし、繪島様。本当のところ、旦那様(月光院)に迷惑をかけたくない最初の志をいつ捨てたのでしょうか。悲しい女の性?(小説では宮路がけしかける)。

 また、御政道云々が描かれると云っても、そこは舟橋聖一。男と女のお話は繪島生島だけでなく、お上手。いやー、勉強になります(もう遅いけど・・・)。ある女の遠景・好きな女の胸飾り以降も勉強しておくのだった。(^^;


P.S.
 映画「大奥」(2006)が繪島生島事件を描いているようです。
 恥ずかしながら、生島(イクシマ)をキジマと読んでいました。(^^;



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'父子鷹' [書物(本・雑誌)雑感]

父子鷹
子母澤寛
筑摩書房 昭和国民文学全集6
昭和四十九年一月五日初版第一刷 (初出:昭和30年 5月~31年 8月 読売新聞)
0393-10706-4604


 勝海舟の父親、小吉(勝左衛門太郎惟寅、幼名は亀松、勝家にて小吉。隠居後夢酔と称する)の物語。微禄の旗本としてお勤めを求める場面からはじまるが、本人は剣道は強いが、粗野そのもの。それでも曲がったことが大嫌いで、人の面倒見が良く、江戸の町の人気者。彼と家族・彼を慕う人々がデフォルメされて描かれていく。もちろん悪役も登場し、アッ凄腕のクレーマーだと思う人物(大川丈助)も出てくるし、江戸幕府の贈与・収賄に溢れた模様が描かれる。

 まず、勝夢酔はデフォルメされて描かれると書いたが、バカに聞け!!等を読むと、むしろ善人に描かれすぎているのかも知れない。そして「夢酔独言」(現代語訳:「おれの話を心して聞け―勝海舟を育てた父夢酔の実践訓 」)が残っているが、喧嘩の自慢ばかりだそうだ(もちろん、読んでないので申し訳ない)。そして俺のようになるなとのこと・・・、参るなあ。そんな方が主人公。勝海舟の本と思って読むと間違います。
(^^;

 読みながら作者の視点に納得がいかなったが、解説にて山岡荘八の言葉「子母澤寛をエゾ生まれの江戸ッ子と仲間うちで呼んだ」が紹介され、子母澤寛は北海道生まれで先祖が御家人、それで納得だ。本作の中でも旗本云々とプライドが急に高くなったり、まわりのものと違うんだと平気で云ったり、お百姓を狡猾であると決めつけている。あんた(子母澤寛)は嫌い、勝小吉はどんなだったか不明(この本では判らない)。

 そういえば学生時代「新撰組始末記」を買ったが全部は読めなかった。もう二度と子母澤寛は読まないだろう。お百姓が狡猾なのではない(まあ、七人の侍でも狡さが描かれていたが三船の科白で激しく反論される)、そうしなければ生きていけなかっただけなのだ。敗戦後東京住まいで、イヤな思いをされた方もお百姓嫌いになったかも知れないが、今急に食糧危機になってもお百姓は同じことをすると思うよ。いい、お金は都市のもの、お百姓は一生懸命やってもどうにもならない(今で云うワーキングプア)、お金に縁がない。それが証拠に昭和のある時期地方(村)では現金収入がないからと、今のおじいさんおばあさんが、村から都市に出て来たの。敗戦時も頼むから食べ物をと云われてはじめは出しても自分たちの食べる分、次期の種となる分まで求められると中々出せないよね。それで都市の人が、これででもお願いしますと無理を云ったんだから、恨んじゃダメ。

 この本でも旗本が女狂いをしたからって、お百姓が酷い目にあって良い訳ないんだ。


タグ:父子鷹
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