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'山折哲雄の新・四国遍路' [書物(本・雑誌)雑感]

'山折哲雄の新・四国遍路'
山折哲雄・黒田仁朗
PHP研究所
PHP新書936
二〇一四年七月二十九日初版
ISBN978-4-569-81963-1

 この本を購入した際八十八ヵ所に限定されてきた霊場を、(山折氏だし)神仏混合の四国遍路を奨励するものかと思った。でも、そうであるような、ないような・・・。基本的に山折氏と黒田氏の遍路を念頭に置いた四国訪問記って感じである。四国遍路をメインにしたものでなく、そこだけみて新しい四国遍路の提案(第1章)と云われてもなあと思う。いや、全体の内容は面白いが・・・。

 第2章で山折氏の感想(一部妄想)が述べられる。28頁に全体図が示され、そこに従うと大山祇神社・能島、八ツ塚群衆古墳(衞門三郎伝説)、塩飽諸島、龍馬脱藩の道、宿毛泊り屋、淡路島高田屋嘉兵衞、阿波十郎兵衛屋敷、太龍寺・室戸岬を訪れている。善通寺法主樫原氏との対談でまず、四国霊場の寺院や遍路道を歩かれましたと紹介されているが、一部を歩いたということで道中は車である(霊場を全て回ったもいないと思う。)。第3章は車で山折氏を案内した黒田氏の道中記で、第4章は伊豫豆比古命神社(松山椿神社)宮司さんと前出善通寺法主さんとの対談で纏められている。

 この本で教えられたのは、聖徳太子「和を以って尊しとなす」の意味だろう。古代の激動期に新しい政治形態を創造するに、争いのみが前面に立つことなく充分に議論納得しての「和」が大事であるってこと。龍馬が当時の幕藩体制から新しい世を作ろうとした時、さまざまな諸勢力を連合させるような「和」でもある。あっさりと破壊なき「和」の精神はただの談合ですとある。正解だろう。

 その他、山折氏の観察眼が羨ましい。御高齢であるが感動され、意味を探りチョット妄想かなと感じるものも混じるが楽に読めるし勧められない本ではない。(^^;当方モ妄想大好キ、否定スルモノデハナイ、デモ妄想有リ 台風の前夜から土佐市塚地休憩所にて宿泊されたお遍路さんも、御年輩ながらみずみずしい心で感服した。そんな感じで四国を観察している(読んでる人には判らないね)。

 実は私がはじめてネットで紹介したのは「泊り屋」でした。今と違ってなんも書いていない。(^^; また記事に出てくる道の駅「すくもサニーサイド」の休憩所で野宿(雨のためテント設営)もしましたが、テントがあれば海側を勧めたいです。小筑紫に向かってわずかな坂道になり車(運転手))がアクセルを踏んで音が大きくなります。自分が運転しているつもりになり、音を聞きながらここでアクセルを踏んでと思うようになり、後は安眠しましたが・・・。

 ただ神社巡礼のことは置いて、新・四国遍路と銘打った題名がいかにも開創1200年に便乗した感じで好ましくなかった。最初に書いたように四国訪問記だがお四国も忘れていないよって感じだ。車で行ったと早くから書いていたので、四国遍路の車と歩きの違いを述べようと思っていたが、またの機会に。m(_ _)m


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'理系バカと文系バカ' [書物(本・雑誌)雑感]

'理系バカと文系バカ'
竹内薫・嵯峨野功一
PHP研究所(PHP新書586)
二〇〇九年六月九日第一版第五刷(第一刷 二〇〇九年三月三〇日)
ISBN 978-4-569-70643-6

 「日本人は分類したがる」からはじまる本書であるが、理系・文系と分けた最初は旧制高校で金のかからない学部を文系、かかる学部を理系としたことによるらしい(P21)。理系・文系だけが分類の基準ではないがよく耳にする分類であることは間違いない。

 最初から「バカ」と云う言葉はショック療法として挑発的に使用し、読むに従って理系人間・文系人間と呼ぶようにしていると書かれ「バカ」を笑おうという本ではない。それでも第1章(こんなタイプが「理系バカ」「文系バカ」)に最長の65ページを使用している。そこでは理系バカ文系バカと呼ばれる10の事例が紹介され詳しく述べられている。僕の場合、それらを試してみると文系バカに該当するのは 2/10、理系バカはウーンと悩み強いて云えばと選んで 6/10である。ファッションに無頓着なんてのがあれば速攻で選ぶことが出来るから理系バカと思って間違いないだろう。

 この本は全体的に理系人間への応援と云ったもので、日本に理系人間が増えて重要なポストに就いて欲しいという気持ちが溢れている。だから第3章(日本は理系人間が育ちにくいのか?)が二番目に長く47ページとなるが、その前第2章で相手をおもんぱかってのコミュニケーション能力を持たない理系バカを説明し、こうなっていない理系人間を求めている。一方文系人間に対しては理系も理解して下さいって感じにも読める。それで目指すのは文理両道とはじめから書いている。だから題名ほど過激な本ではない。

 終わりの頃に「医学」も同じ。本来なら「化学」とか「生物学」があった上で、「医学」があるのだが、途中でそんなことをやっていても病気は治らない。だからそこをすっ飛ばして(現場のお医者さんは)経験則でやるのだ。(187)とある。せめて経験則を補強するために医学文献を読んでいると述べてほしかったなあ。少なくとも昔に較べて医者同士の会話で「私の経験では」と述べて話を終わらせる方は減ったと思っている。もちろん患者さんを経験することが医療で大事と思ってはいる。

 この本は面白く書かれた本で実例も多く、上に述べただけでは魅力が失われている。理系応援の本ではあるが、むしろ文系の方が読むと得るところが多いかと思う。

P.S.
 高校生の時に理科系の進学クラスにいたが、京大法学部卒の先生から出世したければ文系を選択しろと何回も云われたことを思い出す。
 理系バカを強調する書き方を心掛けました。(^^;だから、最近風邪が長引き体調が悪く、一応大事を取っておこうと歩き遍路に行けない。家の中に閉じ籠もっているとblogを毎日書いていた頃、読もうと買っていた数冊の本が目に入り読んでみたって余分なことは省く。僕の文章ってこんなのが多くって長くなるんだよねェ。

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'宮本武蔵' [書物(本・雑誌)雑感]

'宮本武蔵'
吉川英治
青空文庫

 まず、お世話になった青空文庫にエールを。著作権を死後70年とすることに反対します。元本屋の息子としては日本の出版社の不利になるようで心苦しく、またそれなりのお仕事をされた方への著作権料問題もあると存じます。しかし、基本的に利益の大部分は独占的な一部のglobal企業( Web界の大物)がほぼ独占するようになる気がします。ジョナス・ソーク(wikipedia)の云うように、科学技術と云えど人類が生み出したものは本来人類共通の財産たるべきです。芸術関係では個人の方もデビュー前には自分の作品が一人でも多くの方に味わって欲しいと願ったはず。現在の日本では死後50年、それでよしとしませんか・・・?と云う訳で、吉川英治(1962年 9月 7日没)作品が青空文庫で読めるようになっていて宮本武蔵も掲載されている。今回 androidアプリ「A・文庫」のお世話になりはじめてスマホで読んだ(個人的には「扉」「窓の中の物語」などPC用が好み)。

 吉川英治の「宮本武蔵」。これは司馬遼太郎の「竜馬がゆく」同様、ある時代青年男子の道標となった小説である。先日退官されている元国語教師に、ある時期宮本武蔵は非常に強い影響を残しませんでしたかと尋ねた。僕も中学生時代(高校生時代に吉川英治全集が発刊開始)に店頭に売れ残っていた愛蔵版を読んで影響を受けた。先生は凄かったねぇとのことだった。影響を語る前に、ある時期って所について。新聞連載が1935年 8月23日から1939年 7月11日であり太平洋戦争前(戦前と書いたが中学生など若い方にはピンと来ないかと)である。本を読まれて影響受けることは何時でもあっただろうが、一つの考え方として映画を参考にしては如何だろうか?僕たちの世代なら内田吐夢・中村錦之介全5巻(1961-1965)、まあ加藤泰・高橋英樹(1973)も武蔵人気があり作られたならその年頃までってことだろうか?大雑把に昭和10年から昭和50年だ(まだ完成してない時から映画がつくられていた頃)。

 戦後まで影響あったことを考えると人々(ほぼ男性)を魅了したのは小説の結論、武蔵が巌流佐々木小次郎と試合して勝利を収めるのは小次郎が信じていたものは、技や力の剣であり、武蔵の信じていたものは精神の剣であった。それだけの差でしかなかったではないだろう。太平洋戦争で日本人は精神力だけでは物質の力に負けると身に沁みたのだから。ずばり武蔵の成長が男子の成長に望ましいものと受けとめられたのだろう。

 武蔵はまず強くなることを求める、そして道を求める。茶道・剣道・柔道の「道」である。武蔵は多くの才能ある人々に遇い「分け登る麓の道は多けれど同じ高嶺の月を見るかな」的境地で自己を高めようとする。大好きな場面(吉岡伝七郎との勝負後)初代吉野太夫が牡丹を焚き他の客が帰った後、吉野太夫の言葉。この通り、琵琶の中は、空虚も同じでございましょうが。では、あの種々な音の変化はどこから起るのかと思いますと、この胴の中に架してある横木ひとつでございまする。この横木こそ、琵琶の体を持ち支えている骨であり、臓でもあり、心でもありまする。――なれど、この横木とても、ただ頑丈に真っ直に、胴を張り緊めているだけでは、なんの曲もございませぬ。その変化を生むために横木には、このようにわざと抑揚の波を削りつけてあるのでございまする。――ところが、それでもまだ真の音色というものは出てまいりません。真の音色はどこからといえば――この横木の両端の力を、程よく削ぎ取ってある弛みから生れてくるのでございまする。――わたくしが、粗末ながらこの一面の琵琶を砕いて、あなたに分っていただきたいと思う点は――つまりわたくし達人間の生きてゆく心構えも、この琵琶と似たものではなかろうかと思うことでござりまする

 吉野太夫は横木を腹に収めた人は少ない、今の武蔵ならきっと吉岡一門にああ、これは危ういお人、張り緊まっているだけで、弛ゆるみといっては、微塵みじんもない。……もしこういう琵琶があったとして、それへ撥ばちを当てるとしたら、音の自由とか変化はもとよりなく、無理に弾ひけば、きっと絃いとは断きれ、胴は裂けてしまうであろうに……、こうわたくしは、失礼ながらあなたのご様子を見て、密ひそかにお案じ申していたわけなのでござりまする。と諭す。

 武蔵は柳生、本阿弥光悦、吉野太夫など一流の人たちだけでなく市井の人にも同様の驚きを感じる。そして我以外皆我師で精進し、道を求めて行く。でも僕は読みながら、宮本武蔵って(お通との関係、因縁の小次郎対決、その他あっても)こんなにも剣の道だけを求める本だったかな、つまらないと思っていた。そして江戸を過ぎ伊織との出会いの頃には、
 この頃からのことである。――武蔵は剣に、おぼろな理想を抱き始めた。人を斬る、人に勝つ、飽くまで強い、――といわれたところで何になろう。剣そのものが、単に、人より自分が強いということだけでは彼はさびしい。彼の気持は満ち足りなかった。  一、二年前から、彼は、  ――人に勝つ。  剣から進んで、剣を道とし、  ――おのれに勝つ。人生に勝ちぬく。  という方へ心をひそめて来て、今もなおその道にあるのであったが、それでもなお、彼の剣に対する心は、これでいいとはしない。 (真に、剣も道ならば、剣から悟り得た道心をもって、人を生かすことができない筈はない)  と、殺の反対を考え、 (よしおれは、剣をもって、自己の人間完成へよじ登るのみでなく、この道をもって、治民を按じ、経国の本を示してみせよう)  と、思い立ったのである。

 だから物語がこのように展開してそうだそうだと納得したが、はじめて読んだ時には仕官できなかった後、どうなったか覚えていなかった。実際仕官云々の場面頃から武蔵の自己否定(正しくは自己回帰)があったのだ(牢の中で頭を冷やしたのだろか?)。読み取っていなかったが、中学生の頃の僕に自己否定なんて言葉はなかった。
(^^;
「――とはいえ、自分も一時は野心を抱いた。しかしわしの野望は、地位や禄ではない。烏滸がましいが、剣の心をもって、政道はならぬものか、剣の悟りを以て、安民の策は立たぬものか。――剣と人倫、剣と仏道、剣と芸術――あらゆるものを、一道と観じ来れば――剣の真髄は、政治の精神にも合致する。……それを信じた。それをやってみたかったゆえに、幕士となってやろうと思った」
「何者かの、讒訴があったのか、残念でござりまする」
「まだいうか。穿きちがえてくれるな。一時は、そんな考えも抱いたことは確かだが、その後になって――殊に今日は、豁然と、教えられた。わしの考えは、夢に近い」
「いえ、そんなことはござりませぬ。よい政治は、高い剣の道と、その精神は一つとてまえも考えまする」
「それは誤りはないが、それは理論で、実際でない。学者の部屋の真理は、世俗の中の真理とは必ずしも同一でない」
「では、われわれが究めて行こうとする真理は、実際の世のためには役立ちませんか」
「ばかな」
 と、武蔵は憤るが如く、
「この国のあらん限り、世の相はどう変ろうと、剣の道――ますらおの精神の道が――無用な技事になり終ろうか」
「……は」
「だが深く思うと、政治の道は武のみが本ではない。文武二道の大円明の境こそ、無欠の政治があり、世を活かす大道の剣の極致があった。――だから、まだ乳くさいわしなどの夢は夢に過ぎず、もっと自身を、文武二天へ謙譲に仕えて研きをかけねばならぬ。――世を政治する前に、もっともっと、世から教えられて来ねば……」

 と元の求道精神に戻るわけだが、これが素晴らしい。むしろ戦争に敗れて大陸経営の夢破れた日本男子に何が必要かを予言したようなものだ(スマン、拡大しすぎた結果論だ)。先の一文は冗談として、やはり自己否定があって求めるものは一段と昇華される、その生き方が日本男子の胸を熱くすることが出来たのだろう。男子たるもの、青春期に(竜馬がゆくと伴に)一度は読んでおくべき小説だろう。

 しかし、部分部分には納得できないことも勿論ある。お通と武蔵の関係など現在の読者には納得できないと思う。バガボンドではどう描かれているか知らないが一発もやらないなんて(失礼 m(_ _)m )、それでお通が慕い続けるなんてあり得ない。また、僕は朱美のようなタイプに弱いと思っているが、最後の亭主がアレか?僕のほうがまだマシだと思う。テス(トーマス・ハーディ)のような苦悩もない代わりに、生活力的にどうしようもない亭主を与えて良しとして欲しくないなあ。

 最後に。描かれる時代は関ヶ原から大阪の陣までの期間。英治はすでに民衆が安定を求めて徳川への流れがあると何回か書いている。世の流れを全面的に肯定するとその後平和であっても自由を奪われた時代になって行く。まあ丁度この小説が書かれた頃は大陸への流れがあった頃だ。小説では決して大陸へと書かれていないが、流れに乗って戦争に突入していったことも忘れてはならない。経済発展を願う流れたあったからと云って、身を任せてはならないだろう。

 日本人の勤勉さって、この求道精神(極めるってこと)があったからかなあ。それは取りも直さず小学校中退で日本の代表的作家と成長した吉川英治に重なる物語だ。

P.S.
 久しぶりに書くと疲れる。でも一つ書いたから、気楽にもう三つほどアップしようかな?


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渚にて -人類最後の日- [書物(本・雑誌)雑感]

'渚にて -人類最後の日-'
ネビル・シュート(井上勇訳)
東京創元社 創元推理文庫七三三
1971年3月19日15版(初版1965年9月24日) 原作は1957年
ISBN なし
参考 978-4488616014:創元SF文庫       カバー装画が新しい
   4-488-61601-1:創元推理文庫1983年38版 カバー装画が本書と同一

 映画を小学生の時に観た。当時ボーイスカウトに参加していたので、ボーイスカウトの一隊が小川を渡って行く場面はワルチング・マチルダの唄とともにハッキリと覚えていた。もっともワルチング・マチルダと云っても題名を知らず、高校生の時ハリー・ベラフォンテが歌っているレコードジャケットで知ったくらいだ。そして今回はじめてワルチング・マチルダの歌詞と、この映画で使われた意図が判った。もうひとつ覚えているのは、やはり(釣りをする兵士と潜望鏡の場面ともに)デタラメなモールス信号を確かめた所だ。

 このようなことを書くのは最近この映画を観た(^^;ためだが、宿毛で何か読む本がないかと探していると本書があった。いつ購入したかも覚えていないが(^^;、昔観た映画の原作を読んでみようと購入したのだろう。この機会だから読んみることにした。"渚にて"は核戦争により北半球が全滅した後のオーストラリアが舞台(小説ではアフリカ・南米の情報が頻繁にはいる)とは、私の世代以上には常識だろう。

 一読後再度映画を観てみたが、内容が全く違う。ストーリーも端折られているが、肝腎の描こうとしたものが全く異なるのだ。ドワイトとモイラが二人でトラウト釣りに行き宿に泊まる。映画ではそこで二人は結ばれる(小学生の私でないから(^^;、ベッドなど出てこないが確信している)、小説では結ばれない。端的に言えば結ばれないのが、この小説の(核戦争の愚かさとともに)もうひとつのテーマなのだ。モイラの言葉で語ろう。
 これが長い一生涯のためだったら、話はちがってくるわ。
 ドワイトをすっかりものにして、子供や、家庭を、一生涯もてるんだというんだったら、奥さんに卑劣なことをしたって、それだけの値打ちがあるでしょうよ。そんなチャンスがあると思えば、わたしは、どんなことだってやり通すわ。しかし、たった三ヵ月の喜びのためで、そのあげくは、なにひとつ残らないというのに、奥さんに卑劣なまねをするのは-そうよ、それは、全然、話がちがうわ。
(P270)

 ちなみにドワイトも死を覚悟し妻と子供の所へ帰れると思っている。強くモイラを愛しても、ここで妻に不貞を働くとは全く考えていない。そのような二人の関係だからモイラが爆走して岬にたち潜水艦を見送るシーンが(映画の御陰で)強烈でした。

 間違って貰っては困るが、二人の関係云々ではない。放射能が世界を覆う残り数ヶ月間人々の生き方の本なのである。それも人々の欲望がパンパンに膨らんでいない、よき時代に生まれた本なのだ。オーストラリアで放射能が南下してくるが、多くの人々は地元で死を迎える。目前の死の危険から逃れても、早晩必ず死がおそってくると判っている人々には逃れようとする欲望など無意味と見えたのだろう(当時の日本ならモータリゼーションの発達もなく、土地への強い愛着から同じ態度だったろう---あくまでどこに逃げても同じという前提の一文です m(_ _)m )。

 まあ欲望の強いアメリカ映画では二人の恋を成就して観客迎合し、原作のままでは理解しがたいかも知れないから一時的にでもメアリーの精神を異常にさせている。僕は小説のほうが好きだ。

 淡々と日常をこなしている人々。それを時には"無駄になるのに狂っている"とする自覚。そこの所をもう少し考えると、生と同様死は必然である。残り数ヶ月でなく自分に死が訪れることを思い、いまの自分を省みて"無駄になるのに狂っている"と全く自覚されない方々には本書の良さは理解できないかもしれない。理解できなければ本当に今の自分でよいのかと自問されることを 。
m(_ _)m不要ナ欲望ニトラワレテイナイ?

 映画を観られて感銘を受けられた方も、本書を読まれるとアッあの場面にはこのような事情(物不足や国際背景)があったのかとより深く判ります。レースも予選からで迫力あります。

 この本が書かれた頃よりは核戦争の危険性は少なくなっていると信じたいですが、小国が核を持つ危険性を本書は述べています。どこかの国がアメリカ相手の交渉のために核を持ち、他の小国がわが国もとなると一気に危険性が高まるでしょう。そして不幸にして本書のような核戦争が勃発すると、どこかの国が直接関与していなくとも、とこかの国の最高責任者は責任を取れるかなあ、取れないよ。開発止めましたと、世界に示そうよ。

P.S.
 最近韓国でジェーン・フォンダ「チャイナ・シンドローム」と同様な事件(規格外品質機材の使用)が明らかになりました。映画で描かれたことが原発内部で起こらないと良いが・・・(・・・があってはいかん)。

タグ:渚にて
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'西海道談綺' [書物(本・雑誌)雑感]

西海道談綺
松本清張
文藝春秋 文春文庫ま-1-76・77・78・79
2009年7月25日第7刷(【初出】週刊文春:1971.5.17-1976.5.6号)
ISBN (978-)4-16-7106(76/77/78/79)-X

 私は読書する時に、為になるものより面白いほうが好き。日本の長編伝奇小説と呼ばれるものは大好きである。鳴門秘帖・神州纐纈城などをこの雑感でも書いている。そして今回、西海道談綺を読んだが著者があの松本清張。清張はあまり読んでいないと思っていたが、点と線・黒い福音など結構読んでいる(砂の器は小説より映画が良かったと思っている)。高校生の頃、休日に叔父の家に行った際には日本の黒い霧が置いてありボツボツと読んだ記憶がある。だから、松本清張の伝奇小説(清張にこのような作品があることを知らなかった)として興味を持って読み始めたが・・・。

 出だしは素晴らしい。上役と密通した妻を、自分の務めていた鉱山の坑道から下に突き落としけじめをつける主人公、伊丹恵之助。勿論、密通した妻は間男とともに切り捨てることが当時の武士の面目である以上、恵之助の取った行動を云々出来ないと思うが、私としてはオイオイと思う行動だ(^^;。でも、それが当然のこととされる時代であると納得しないと物語はなりたたない。妻、志津は恵之助納得のいい女である。間男といっても上司であり、志津殺害でけじめをつけた恵之助は脱藩し、お江戸にでる。江戸城茶坊主宗全から知遇を得、恵之助の鉱山(お山)の経験を知っている宗全の意向で九州日田に向かう。物語はここからはじまる。

 正直、物語の途中までは時間のテンポも普通の小説である。ところが舞台の日田の西国郡代役所に行き事件の大まかな紹介がすみ、役者が日田にそろってからが時間の進行の割に長い。一方、お江戸のほうは割と簡単に状況の説明だけですませてしまう。重要な役どころと思えた森藩菅沼吉十郎も手紙を書くだけとは伝奇小説としてチョット寂しかった。江戸で知り合い、日田まで恵之助を追いかけてくるヒロイン柳橋のおえんさんに全ての男衆が惚れてしまうのも如何なものだろうか。清張先生、ご自分が惚れる女性は男性皆が惚れると思っているのだろうか?それほどいい女だとは決して強調されていないと思うのが・・・。

 なにせ長い小説だ、文庫本で 500ページ以上が四冊。以前のようにチェックを入れながら読んでいないので最終本から少し。

 この本では歴史的なこと宗教的なことなど背景・事柄を説明して、清張先生の肉声がポツンとはいる。それはそれで結構納得で面白い。でもオッと読むところが一ヶ所あった。火薬の説明の項で、武器としての秘密があってハッキリ書いていない、それは「簡単すぎる文章だったり、逆に難解な文章形態をとっていたため」であるとしてさらに以下に続く。
 簡単すぎる文章や、難解な文章で、火薬の製造法が捕捉できないように誤魔化してあったのだ。されば、文学者の中には難解な文章形態によって意味を容易に読者に捕捉させないようにして、もって空疎な内容を糊塗する手合いがある。
 高邁そうで近代的に見え、やたらと新造語や文脈の乱れた文章を駆使している批評家にしても、そのような誤魔化しからである、と思ってよい。
(松本清張:西海道談綺4、文春文庫P280)

 これほど長い肉声は他にないし、清張先生の考えをお聞きした感じがした。確かにそうなのだが、医学文献などは知らない単語が出て来てチンプンカンプンになっても、著者が悪いのでなく不勉強な当方が悪いのだ。だから小説でも簡単な単語だけでよしとするものでもなく(清張先生の場合簡単すぎる文章としている)、読者もそれなりにお勉強がいるのだろう。本書でも難しいところがいくつもある。でも、清張先生の文章は具体的な方を念頭に置いている感じだ。(^^;

 この本のテーマは、物事に目を瞑って貰うための賄賂だが、事のついでに清張先生は勘定奉行の悪事の例として田口加賀守について以下の文章を引いている(新井白石:折たく柴の記)。
 近頃は商人どもの入札というのは名ばかりで、勘定奉行に「たてもの」と称する賄賂を贈ることによって落札が決まる。あるいは百両あるいは千両をまず奉行にいれて、このたびのお上のご用命はぜひ手前どもに仰せつけくださるよう、もしそのようにしてくだされば表むきの値段より下げてその差額の金をさしあげますと云う。この「たてもの」の礼物(注、リベート)の少いものは入札することすら許されなかった。だから入札あるたびに、奉行の手に入るのが千両以下ということはなかった。民間の事業では百両までかからないで済むものも、公の事業では、万両も費わないとそのことができないのである。
(松本清張:西海道談綺4 文春文庫P431)ンッ?松本清張訳?

 このことは今の世の中でも同じことで、幹事長室を通すことにすれば、幹事長が好むと好まざるに関わらず、商人は賄賂を贈りたがる。もちろん、清廉潔白に対応される幹事長様もいるのだろうけど・・・。一元化などと幹事長室だけを通すことにすれば、権力がそこに集まると熟視されている幹事長様の発想だろうなと半年前に感じた。

 そうだ、本の話だ。エッーと、恵之助さんが最後に活躍できなかったのは痛恨のミスでないだろうか?最初から最後まで甚兵衛さんが格好良い。また、向井さんの症状も、如何に好きな女のためとはいえ、後弓反張を認める破傷風にしては動き回って軽すぎると思うけど・・・。


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'四国八十八ヵ所 -わたしの遍路旅' [書物(本・雑誌)雑感]

四国八十八ヵ所 -わたしの遍路旅
石川文洋
岩波書店 岩波新書1151
2000年 9月19日 第 1刷発行
ISBN 978-4-00-431151-5


 カメラマン石川文洋の名前は、ベトナム戦争の頃を知っている方であればお馴染みだと思う。その人の四国八十八ヵ所だ、何か凄いものがあるかもしれないと思うと、間違う。歩き遍路をしながら、土地の人々だけでなく、リストラされた方・離婚を迫られている方、思い切りが必要な方さまざまな人に出会うが、行き過ぎるだけ。自分の歩いた道筋を丹念に描写していく本である。

 なぜ歩くのか?著者は歩くのが好きなだけである。そんな八十八ヵ所のカラー版であるが、写真も多少の思い入れがあるだろう作品もあるが、説明的な写真が多い。通り過ぎる景色、お寺の景色である。

 では、この本は価値がないのかと云えば、違う。この本の中でも著者は面白く書けないと云い、淡々と述べるだけだが道中以外は感謝と鎮魂の情に溢れている。すれ違う多くの歩き遍路の方が著者と同じような感謝と鎮魂の情に溢れていれば、世界は自分ひとりでないと納得できるし、自分の悩みが違って見えること必定である。それほどの内容を淡々と述べながら、八十八ヵ所を丹念に描き写真に撮っている。そんな本だ。

 鎮魂とはまえがきに書かれているが、「遍路を実行しようと決めたのは二〇〇五年、ベトナムへ行った時だった。四月三〇日、ホーチミン市で「南ベトナム全土解放三〇周年」の記念パレードを眺めながら、ベトナム、カンボジアの戦争を取材中に生命を失った一五人の日本人ジャーナリストたちを慰霊し、現在のベトナムとカンボジアの状況を報告しようと思った」ことである。四国とベトナムに関係があるのかと疑ってはいけない、著者の生き様の話であり、納得なのだ。また、自分の生い立ちから沖縄に住んだ母と弟への鎮魂も含まれる。それらが飾られることなく挿入され、著者の人柄がにじみでる。

 そして徳島・高知・愛媛とまわった後で、著者は心筋梗塞の発作に見舞われ心停止にて数回電気ショックを受けている。「今」生きている感謝の心に満ちているが、それも叫んだりせずに描いている。そんな本だ。読みやすいし、著者の素直さに溢れる好書。でも正直なところ、著者は才能に溢れるってタイプではなさそう。才能なんてのがあれば、これだけ素直な本はできないだろうと思う。感謝し喜んで生きている、羨ましい。

 昔の薬理学の先生の研究のお手伝いを思い出し、本の中で面白かったのは、金比羅山。 785段+ 583段の石段に挑戦したいと、朝食前に血圧を測定して156/96mmHg(以下単位略)。以後血圧を測定しながら130/79、146/77、127/69と記録している。朝の血圧測定を勧める医師も多いが、安定していない。睡眠中はビックリするほど血圧って低下していて、朝数時間かけて上がったり下がったりしながら活動的な生活に適した血圧になっていく。冷たい水で顔を洗ったり、トイレで力んだりするだけで血圧は舞い上がる。だから、朝の血圧ってあまりあてにならない。できるだけ条件を早めにあまり動いていない時に定めたい。

 また、体を動かす運動では、運動中は血圧は上昇しているが休むとスウーッと下がる(ことが多い)。筋肉だけ使って体を動かさない運動(重量挙げが代表、体を動かしても艪を漕ぐようにものを握りしめ筋肉の緊張が続いても同じ)では上昇した血圧はなかなか低下しない。だから体に負荷をかけずに動く運動が好ましい(運動中は血圧上がるから一応主治医と相談してね)。また、普段から心臓に負担がかかっていると運動とともに血圧は低下し、心不全を発症することがある。高血圧が悪性化(促進化)していても運動で血圧は下がることが多い。これらの場合は、動悸・息切れが一緒に強く出るから症状で判ると思う。まあ、一言で云えば症状がなければ体を動かして筋肉の緊張を持続させることが少ない運動は結構でしょう。石川氏の最後の血圧は、物事をやり遂げた安心感による低下も加わり、爽快な充実感を感じることができる血圧だと思います。

P.S.
 「多くの人から頂いた「お接待」から思いやりと優しさが伝わってきました」とある。お接待はその心で行きたい。


タグ:運動と血圧

'転生' [書物(本・雑誌)雑感]

転生
仙川環
小学館 (小学館文庫571:文庫書き下ろし)
二〇〇八年五月三十一日第六刷 (二〇〇六年十月一日初版第一刷)
ISBN 4-09-408117-8


 私は深沢岬、東都新聞の記者をしていたが訳あって、今はフリーライター。訳って云っても私はまっとうに記事を書いていたが、付き合っている官僚の原島を脅迫してネタを貰っているのではないかと他紙に書かれてしまった。そのことで閑職に追いやられ辛抱できなくなって退社した。

 その時同期のお人好し平木佐和子が、アメリカの大学で一年ほどジャーナリズム講座を受けてきてはとアドバイスを呉れたので、良い考えだと実行した。その時、お金がなくて新聞で見た新薬開発に協力のアルバイトに応募、行ってみると不妊治療の研究のため卵子を 300万円で売って欲しいとのことだった。卵子を売ることは違法だと思いながら、受精させることはなく研究終了後は破棄するとのことでお金が必要だったから了承した。実際何回も注射を打たれるし、ボランティアでするものではないと感じた。

 物語はここからはじまるが(^^;、今日私はJRの安全対策を検証する特集記事を書いて欲しいと連絡を貰って、ホテルのロビーで待ち合わせ。ところが、佐藤と名乗る男がベビーカーを押しながら入ってきて、記事云々は呼び出すための嘘で、この子ミチルはあなたの子供だから受け取ってくれと押しつけていなくなってしまった。(@_@)岬ノキモチ 冗談でしょう、子育てをする気はないし、卵子を売ったってことがばれると私のジャーナリストとしての将来はなくなってしまう。これは何が起こったのかハッキリさせて子供を返さなくては・・・、取りあえず子供は伯母の中原陽子に預けたい。でも、彼女自分が納得できる説明がないと動かない人だから苦手。

 書店で輪廻転生の転生かと手に取ったが違っていて、読んでみると実に上手いタイトルだ。現代科学による転生であって、本のテーマと一致する。ヒロインは「本人のことを考えると、やっぱり反対です。私は誰かの転生として生まれてきたくはありません。何物かであることを期待されても困ります。」と述べるが、本当はここでは転生でなく別の言葉が使われている。その言葉を書くと全体がモロバレになるから・・・、でも上に書いた物語の背景とこれだけで判るかな?

 物語の背景であって、物語の大事な登場人物も触れていません。喜多野刑事にはいろいろ書いてあげたいこともあるし、混合診療の問題も少し出る。でも僕が興味を持ったのはヒロイン深沢と友人平木の関係。ヒロインは平木について「今日だってそうだ。平木はこの店に来てみたいと言った。言われたほうが傷つくなんて、考えもしなかっただろう。(岬は価格の安さを売り物にしている全国チェーンのこの店が気に入らない:依光注)その鈍さが罪だと思った。たまには痛い思いをすればいい、そうすれば、独りよがりの善意が、凶器になることもあると思い知るだろう。そう、この女は泣かせてやるぐらいでちょうどいい。」と自分の要求を頼むために平木と彼女の上司がマンションの前にいる写真を出すのだ。それまでの取材(と云うより事件の謎解き)の際の強引さや無礼さを深沢岬には感じる。

 作者自身が深沢岬タイプなのか、平木佐和子タイプなのかの興味 (^_^)である。深沢岬タイプでないと書けないほど、うまく書けている。いや、二人の性格も物語が進むに伴い多少の変化し、平木も快い決断をします。最終的には二人の関係は僕には納得なのですが・・・。まあ、作者は平木タイプであり新聞社勤務の頃に深沢タイプの女性記者が居たとしておこう。(^^;でも、岬タイプを上手く書いている。

 この本も最期の数十ページが面白い。ミチルの首を絞めようとして「できない・・・・・・」と呟いてから(誰が?)が面白かった。それまでは話の内容の割に少しだけ長いかなと感じていたけど・・・、いや読み疲れるなんてことは全くない。ただ、これほど書き込まなくてもと感じただけ。判りやすいストーリーで、押さえるべき処は押さえて、楽しませて頂きました。

 個人的に国立京都国際会館での学会の場面は懐かしかった。そう云えば勤務中から大きな学会は暫く行ってなかったなあ。(^^;


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'交戦規則 ROE' [書物(本・雑誌)雑感]

交戦規則 ROE
黒崎視音
徳間書店 徳間文庫く15-4
2008年10月15日初刷 (単行本2005年8月徳間書店刊行)
ISBN 978-4-19-892862-9


 桂川・播磨・山本は防大の同期。桂川は韓国語を修めて市谷の情報本部勤務ほぼ一筋、その情報本部へ習志野第一空挺団から来ているのが播磨。山本は戦車隊の中隊長をしている。桂川が追っている北朝鮮への情報漏洩問題に警視庁公安部で協力しているのが水原佐由理警部補。播磨の妻真里子も防大の同期で桂川も好意を持ったことがあるが、桂川は韓国籍の崔春香と恋人関係になり仕事を取って彼女と別れていた。

 拉致日本人の母親を持つ、李潤花は日本語が出来るために金正日政治軍事大学に入学を許され、特殊部隊としての訓練を受ける。その訓練中に極めて卑劣に描かれる丁元鳳に犯される。語学と狙撃能力を買われて党作戦部海上処、清川連絡所の任務部隊に配属され、日本に潜入していた。

 アメリカ CIAの思惑で、日本を舞台として韓国と北朝鮮が火花を散らしていた。北朝鮮は韓国側を殺戮して、朝鮮人一人と白人一人を入手する。そして北朝鮮から約30名の特殊部隊が新潟に上陸する。指揮官は丁元鳳だった。当初は警察で対応しようとした新潟県知事だったが、自衛隊の出動を要請する。マスコミは活気づく。

 この種の本を読むと平和日本の弱さがもろ出ていて、多数の自衛隊の死傷者が出る場面が多いかと思う。でも、この本の場合は善戦する自衛隊が描かれる。それで良いと思うし、この本の価値を出していると思う。決して荒唐無稽な話でないと納得させる。(李潤花が拉致日本人の娘とか、 CIAの目的とか、最後の F-4EJのフライトなどエッと思うが、まあ小説だから v(^_^) 。)むしろ自衛隊は立派すぎる描き方かも知れないし、日本人ってそうなだろうなと思わす内容だ。その点、好ましい。

 北朝鮮から進入された。その事態に対する日本の反応って視点だけの本でない。主人公の人間関係(恋愛や仕事)が絡む。でも、その周辺が充分に描き切れたかと云えば、やや力不足(読解力不足の可能性も充分ある (^^; )かと思う。結構厚い本で睡眠不足気味の状態で読み切ったので、読み方の問題かな?戦闘場面は、この種の本として充分描けていると思う。思わずマスコミ批判が出てくるが、マスコミがおかしいって感じてる人は多いのだろうな。

 北朝鮮部隊も丁元鳳以外は人間的に描かれる(戦闘場面などではむごい場面もあるが、それは自衛隊員も同じ)。自爆する兵士は彼らの立場上当然の行動だ。

 犠牲になる警察・自衛隊員の方には申し訳ないが(その数が多すぎることもないようだし)、読み終わってイヤな感じがしないことが良かった。本当の自衛隊って、この本ほど立派だろうか?

P.S.
 雑感を書ける本を久し振りに読んだが・・・、上手く書けないなあ。そういえば、読みながら付箋をつけたり、文章を書き抜いていなかった。そのような読み方はしんどい。(^^;


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'バディソウル' [書物(本・雑誌)雑感]

バディソウル
鳴海章
光文社文庫
2008年 6月20日(初版1刷)  単行本:二〇〇五年一一月光文社(カッパノベルス)刊
ISBN 978-4-334-74432-8


 最近ヘンな本(経済学の啓蒙書)を読んでいたので、スカッとした小説を読みたくなり、文庫本を捜した。対テロ特殊部隊と表紙にあり、こんなタイプのものも読んでみようかと。そこは小説、一気に読みおえた。

 どのような本かと云えば、「いつの間に立ちあがっていたのか、恭子は自分でもわからなかった。いきなり機内が真っ暗となった。まるで自分の目の中に黒インクを流しこまれたような闇で何も見えなかった。囁き交わす声が聞こえ、客室の後方で機体を叩くような音が聞こえたかと思うと、機関銃を発射する音が聞こえた。あまりに凄まじい銃声に、銃撃が途切れたときには、耳に粘土でも詰められたようにつんとしていた。」と書くだけで話は進むのだろうが、その前に10ページにわたってその銃撃の模様が詳細に描かれる。話の骨格と恭子の周りの情景(もちろん、話の一部だが)が一般的だろうが、残りは緻密な戦闘画でも見るような感じである。

 この戦闘画が好きかどうかにかかっている本であろう。僕は嫌いじゃない。著者の略歴(Wikipedia)に警察・自衛隊関係はないので、超マニアなのだろう。兵器・戦闘場面に書かれている知識にはごもっともと思わせることも多い。最初の戦闘事件が 100ページを超えて描写されるが、そこを読める方は最後まで読めるしエピローグに入る直前 2ページの安堵感を味わえる。その場面が10ページで嫌になる方は、エピローグを読んで終わるか、再チャレンジですね。(^^;

 (旅客機自身を兵器にする)9・11以降、世界の戦闘機パイロットが民間機を打ち落とせるかどうか悩んだとありますが、どうでしょうか?残念ながら、現在の日本的感情でないでしょうか?敵が民間人と一緒にいる、民間人も一緒にやってしまえが軍隊の本質だと思います。日本軍の南京しかり、米軍のマニラ然り。戦場は狂気ですから。アッ、この本は戦争中ではなかった。m(_ _)m でも、軍人さんは命令に従うはずなので悩んでも(既に悩んでいれば結論として)ミサイル発射ボタンを押すと思います。

 最近は当然PCもしくはワープロをご使用だろうから、SIG/SAUER P220を「シグ」、89式自動小銃を「89orバディ」と単語登録して書かれていると思う。書かれている際のリズムが、変換された正式名称によって、読者のリズムを乱すのでないかとフッと思った。読むほうは naturalのままだから書かれるほうでご配慮願いたい(もちろん頭脳って凄いと思うけど、 SIGでP220の下を読んでいるし、89で銃の次を読んでいる)。昔は書くほうも面倒で、シグとか89式(兵器に興味がうすい作者は(自動)小銃)とかに略したのでないだろうか?リズムがとれ、読者が判ればそれで良いと思うけど。

 「バディソウル」とは最後の戦闘の作戦名であるが、意味は読めば判る。戦闘場面の緻密さに驚いたが、読み終わると作者は全体の話を作り上げて、書きたい所を存分に描いた小説と納得する。アッ、主人公は恭子でなく、北海道警察本部公安部特殊装備隊の仁王頭です。


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'図解雑学 株のしくみ' [書物(本・雑誌)雑感]

図解雑学 株のしくみ
寺尾淳
ナツメ社
2005年3月20日(第2版第3刷)
(第1版 2000/12/20  第2版 2004/10/6)
ISBN 978-4-8163-3776-5


 僕がはじめて株を買った時は、会社の株価チャートで下がっている所を探し、出来高が大きかった時の値段を参考(その値段の価値があるかもしれないと・・・)にして購入した。根が小心者、ヤクソウが降って株が上がり少し儲けるとハイと売った。女房殿に少し儲けたよと云うと、以前の金利で付いた銀行利子の少なさに仰天していた女房殿が少し多めにと、ヒノキノボウがドウノツルギになった。そして、同じように株価チャートで適当かと選んだ会社にドウノツルギでチャレンジしたが下がりっぱなし。 (T_T)コレガ自己責任ナノネ 以前から株をやっている知人に尋ねると、彼は日経平均12,000円を切るまでは様子見で口座だけ置いていると・・・(アッ、彼の読みだから。ネットにどこまで下がるかのアンケートなどもあります)。ウッ、マンボって感じ(ウッ以外意味はない)。

 そこで、やっとお勉強する気になったわけだ。随分と無責任にチャレンジしてしまった(どうせ皆下がっている現状だ、こんなものだろう)。全く何も知らずに続けるわけにはいけない、よさこい踊りを撮影に行って開始までに時間があったので、高知の金高堂書店にて購入した本だ。半日あれば読める(理解せずに読むだけなら)。

 面白い本で、素人は損をすると書いている。仕手戦と政治銘柄を説明(P114)するところに、「露骨な仕手戦は姿を消しつつある」および「それでも仕手戦まがいに手を染める政治家はまだいると言われ、狙われた銘柄を政治銘柄と言っています」と両者まだまだ存在して素人衆はそこに近づかないようにと警告しているが・・・、どの銘柄がそうなのか素人には判らない。
 もう一つ。非常に参考になった項目(当方経済に全くで素人、お金って何ってタイプだが、少し見透しが良くなった)に「お金持ちが資産を増やす方法」(P130)がある。お金持ちは「株式を売って利益を確定した上で・・・」とあり、どうも利益はお金持ちに行くようだ(アッ、突っ込まないで・・・、面白く書いてるのだから、でも何パーセントか判らないが冗談X%本音Y%《X<<Y》の話と思う。プロがお金持ちのお金を運営してるから)。

 それでは夢も希望もないから最初に「資産を増やすためにこのゲームをするのではなく、ゲームを楽しんだ結果に資産が増えるという「おまけ」がついてくればよし、というゆとりある心で、株式投資の世界に入っていただきたいと思います」(読み方によればここも損覚悟でと読める (^^; )とゲームとして楽しんでと書いていて、最後の項目「兜町の格言に学ぶ投資の極意2」で少し夢をみせてくれて「頭と尻尾はくれてやれ」と儲けた時の心構えを述べてくれる(あのう、儲けられないんですが・・・)。

 第一章から第八章まであり、順に株の基本を知ろう!・株の売買はどうやるの?・株価はこうやって見る・株価を左右するのは何?・どんな時にどんな株がいいの?・情報の読み方・株価チャートがわかる・進化する業態とある。章の名前で判るように全く当方のような素人向けである。

 曲がりなりにも既に一回売買して、二回目を購入している。第一章・第二章はすんでいるはずだが、例えば配当金を受け取るには「株券の引き渡しを受けただけではまだ完全な株主とは言えません。その会社にある株主名簿に自分の名前を記してもらう「名義の書き換え」の手続きを行わないと、株主のいろいろな権利を使えないのが原則です」とある。こう云うのは知らなかった、でも僕の口座を扱う所は配当金があれば貰えるようだ。

 第二章も、僕の場合オンラインではじめたが、「オンラインは完全前受け制が続くが、窓口の場合決算が四日目となりそれまでの入金が許される」と若干の違いもある。

 第四章以降、なるほどと思うことが多く出てくる。何回か理解しながら読まないと大事なことをやり過ごす。PER /PBR /ROEなんてのもあるが、興味を持ったのは逆ウォッチ曲線、売り買いのタイミングを表してくれる・・・。でもよく見ると倒産間近でない限り、出来高が多いと云うことは買いが入ったと云うことで株価が上がり、下がると出来高が少なくなるだろうから、毎日株価と出来高を見て判断していることだろう。もちろん、グラフ化することで気付かなかったことに気付くこともあるが。

 僕のように全く株を知らないものには参考になるだろうが、(今更ながら)金融ビッグバーンの言葉は昔ニュースで聞いたが、この本ではじめて内容が理解できた。確かに初版がその頃の本だ。

 大きな金の移動が起こってしまう世界経済に翻弄されて株式市場のいろいろな指標の意味は多少薄れているのでないだろうか?また、僕の場合、株式という証券を持つことで多少経済・お金の見透しが広がった。お金って何?の授業料は高そうだが・・・。いずれ、妄想として。(^^;


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