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竜ヶ迫のひがしやま [幡多]

 故郷の親父様がやっていた店の状態をみようとクルマでやってきた。一度シャッタードアが壊れて直しているが、僕の持っているキーは親父様から貰った以前のキーで勿論開けることが出来なかった。

 目的がなくなり。どうするか考えて旧友にも連絡してみたが、これから出かけるとか不在とか急に連絡するほうが悪い。不在だった彼は後から電話をしてくれたが、その時にはすでに目的を持って移動中だった。それが竜ヶ迫のひがしやま購入である。何年も前だが道の駅大月でひがしやまを買おうとすると竜ヶ迫のものは売り切れと云われたことがある。この時期ならばと来てみると、お上品な製品とパックに入ったもの(こちらは二種類)が竜ヶ迫産として売られていた。僕としては厚手のビニール袋のものが欲しかったが、それを送ってくれていた従姉によれば大月町が管理しはじめて購入が難しくなったと数年前に聞いた。見当たらないのでパックに入ったものを買った。

 生産者の名前が書かれているが、どの方のものが美味しいか知らない。従姉に聞けば教えてくれるだろうが、竜ヶ迫のものでなくても焼けば美味しかったので竜ヶ迫産と云うだけで充分だろう。適当に三人の名前を手に取った。誰のものが美味しかったって?自宅に帰るまで楽しみにしてまだ食べていない。

 そう云えば嘘か本当か知らないが、黒柳徹子女史から時期になると送ってくださいと謂われているらしい。その話を聞いた時、アブラカラブラから、夢逢い、若い季節などが好きだったから、何となく嬉しくなったものだ。

 入手した嬉しさに、娘二人に要るかとメールした。二人とも電話で欲しいと返事をくれた。これが美味しい、これが一番と育てたからなあ・・・。喜んで追加で2パック購入。でも生産者が御高齢になっているとも聞いている。本場は宇和のものだろうけど、折角幡多でも作られるひがしやま。今後も買っていきたいな。

P.S.
 「竜ヶ迫のひがしやま」の元は宇和の方々が長年にわたって美味しくなる芋を選び作り出したものです。高知県宿毛市ですが、沖ノ島母島集落・竜ヶ迫には宇和の方々が多い。それで「竜ヶ迫」のひがしやまが美味しい。

雪やこんこ [幡多]

雪やこんこ

 以前、浜口庫之助氏と「僕は泣いちっち」のことを書いた。歌は以前から知っていたし、ハマクラさんと宿毛の関係も知っていた。しかし、歌といっちきちもんちきち(行って来て戻んて来て)の関係を思いついたのは、この歌がハマクラさんはじめての作詞と知ったからであった。田舎と都会を対比させたこの歌で心の故郷(氏は神戸生まれ、父君の出里)として宿毛の経験を思い出したのだろうと。実際宿毛に暫く滞在し、敵国音楽(^^;なのでギターを橋の下で弾いていたと聞いた。

 さて、今日書くのは童謡「雪」である。最近話題の由紀さおりさんがお姉さんの安田祥子さんと歌っている映像をTVで見た時、作詞作曲不詳とされていた。いろいろ専門の方々がいらっしゃって不詳となっているのだろうし、僕が書くことも特定の個人は不詳なのだが・・・。

 宿毛では、この元歌は宿毛で生まれたことになっている。小学生の時、講堂で校長先生も述べたし、小説では大原富枝「婉という女」に紹介されていた。正直「婉という女」だったかどうかは不確かだが、土佐一条家の滅亡(こちらは、お雪だ)は時代が違うし、婉のお父さんが関係した話だからきっとこれだと・・・。

 婉のお父さんは、野中兼山。高知県人以外には馴染みはないだろうが、山内一豊の従兄弟半(父は一豊に約束を反故にされたと大阪にいたが、死後母と兼山は土佐に)にあたり才能を認められ二代忠義の頃、土佐藩を経済的に安定させた。その手法がきつく三代忠豊の世になると失脚、宿毛に一族と共に流された。男子が死に絶えて婉らが幽閉を解かれたのは兼山死後40年経っていた(まあ、とにかく高知県では野中兼山はチョー有名人)。兼山のこと詳しく知りたい方は、僕がブツブツ書くよりは、こちらを読んで下さい。


 さて、その兼山が宿毛で行った工事は「松田川の河戸の堰」と「宿毛総曲輪」である。総曲輪とは宿毛に流れていた松田川の支流を一番外側を流れる荒瀬川一本にまとめ堤防でぐるりと囲むことである。その際荒瀬川ではとくに難工事で寒いから休ませて欲しいと訴える幡多の人々に、兼山は川が凍れば休ませてやると答えたと云う(松田川が凍ったのはみたことない)。その時雪が降って欲しいと願った人々が「雪やこんこ、あられやこんこ」と歌って仕事をしたと云われている。

 本当にwebって便利。(^^; 「宿毛 雪やこんこ」で検索すると、近世編-野中兼山と宿毛-に上の説明もしてくれているが歌詞の変化も載せている。

  雪や降れ降れ、あられも降れ降れ、荒瀬の川が凍るまで

  雪やこんこ、あられやこんこ、荒瀬の川が凍るまで

  雪やこんこ、あられやこんこ、荒瀬の川の垣の木に止まれやこんこ

 とまあ、特定の個人が不詳なのは間違いない(^^;が、どこの誰が作ったか判らないとされると・・・。元歌は宿毛の労働歌または恨み節だと思う。今のような歌に何時なったかも勿論知らない。(^^; 明治の頃は宿毛人が中央で活躍していた(参考:幡多人物伝インデックス)ので、故郷にはこのような歌があると音楽家に伝えたのではないだろうか。あっ、そうだ宿毛を愛する岡本知高君、レパートリーの一つに是非加えて下さい。君を幡多人物伝に加えよう加えようと思いながら、ブログのほうがメインになってしまいました。堪忍。記事にする時は翌日が大雪になったあのコンサート(^^;の思い出も書きます。

ウーーン、最後のほうはPSだな。本日PSなし。
m(_ _)m今日雪国ノ方ニ、コノ話題ゴメン


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はたフェス2011(写真) [幡多]

はたフェス2011(写真)

 写真だけ登録して記事を書くことを忘れていました。長くなりそうなので放りっぱなしだったと云うほうが本当ですが。m(_ _)m

 もう二週間以上経ってしまいましたが四万十川は具同側河川敷で行われた、はたフェス2011(土佐の豊饒祭 四万十会場)。結構評判もよろしかったようで、一緒に昼食を摂った姉も翌日友人たちとの会話に入ることが出来たと、よかった良かった。京都・大阪のアーティストに触れた感激もあったようです。

 もっとも私は自慢の望遠レンズ(35mm判600mm)を宿毛に忘れ、標準レンズ一本での撮影。少しさみしいものがありました。折角来たのだからと土佐清水市のクイズ大会には参加。職業柄日野原重明先生のお歳は知っているもので一回戦は勝ち抜きましたが、二回戦(土佐清水市の魚は)でサバかメジカと思いましたが一回戦がNoだったもので、Yesに参加。篩に掛けられました。オッと、写真だった。


各市町村らの代表による開会式


 SUNステージでは、予定の 9時を過ぎて開会式が始まりました。エッもう始まるの?!との声(テント内より)も耳に入ってきました。顔ぶれを見ても幡多の新世代と思います、頑張って下さい。


切ったぞ、はじまるぞ!!


 テープカットの代わりにはノコによる丸太切り。いやー、幡多っぽくて良かったですね。座り込むのはピッチ良く引いていたが節にあたり、ペースがた落ちのわが宿毛代表。観客の拍手で最後には切り落としました。


ビーズを売っていました


 気になったのは、このお店。売り物はビーズだったのですが、残念ビーズ好きだろう女子が東中筋中運動会とかで少ないようでした。良い天気だっただけにテントでは少し暑くなかったでしょうか。


竹遊び屋 たけやん


 早くからお客さんが来ていた。竹製おもちゃ・楽器のお店。やじろべえも有りますが、子供たちには音の出るものが興味を引くようでした。


あなたへの言葉は


 割と(ゴメン、m(_ _)m )お客さんが来られていた路上詩人はまじさん(アーティスト紹介とフリースタイル出店両方で紹介されていました)。「あなたを見てインスピレーションで言葉を書きます」と幟を立てていました。いやー、この方の前に座る方々が多いと云うことは文化度が高いと思いました。


NOWALOHA? アロハルアナフラ?


 このイベントを知って記事にした(はたフェス2011)に私の体験から「フラダンスとある。オッ!!と「フラガール」を期待してはいけないかもしれない。」と書いた。期待通りのフラガールがいました。ところがルアナと楽しい仲間たちなのか、NOWALOHAと云う別のプログラムなのかが、今記事にしようとして、判らない。NOWALOHAがフラなのかも判らない。(^^; まあ、ナウ・アロハと読める。MOONステージの最初に出たのだから、間違いないだろうと・・・。違ってたらゴメン。


サラブレッドもポニーも参加


 フェスにはお馬さんも参加していました。ポニー(ですよね・・・)もいましたが、中村以西の幡多出身者(ある年齢以上かな)には感涙の赤鉄橋が写っていたのでサラブレッドの写真を。


観客たち


 来場者がボツボツと増えはじめた頃、大勢だと写るように縦位置で撮影しました。その後も来場者が増え続け、縦位置にする必要はなくなりましたが・・・。


SUNステージ遠景


 赤鉄橋からは奥、駐車場からは近いSUNステージ。各市町村のブース(テント)がステージを取り囲んでいます。姉が会場に向かうと連絡がありテクテクと堤防を歩いていました。


MOONステージ・フリーマーケット遠景


 写真を撮った順番からは先のと逆ですが、SUN/MOONの関係で並べました。MOONステージとフリー・マーケットです。


パロミータ四万十


 大目真壱先生が尺八、いやケーナで「コンドルは飛んでいく」を演奏するとスピーチすると通りがかりの女性が「ウヮー、私、コンドルは飛んでいく大好き」と大声を出したのが記憶にあります。(^^; でも、オカリナってあの素朴さが良いですね。今回はチョット音がひろい切れていなかったかな?m(_ _)m ゴメン、スタッフノ方


頑張れ!!高校生バンド


 高知県立大方高校からSCREAMSだけでなくバンドが出ていました。かの竹中労先生(知らないだろうから、ここをクリック)は、これからは女の子がロックを普通にやって、その後ママさんバレーのようにママさんロックをやって欲しいと云っておられました(それで写真はこちら m(_ _)m)。それが自由に結びついて行くと良いのですが。頑張れ、高校生バンド。


高校生応援隊


 いいなあ、わかいって。ともだちがもっとここにおおいとよかったね。


群り星☆(むりぶし)


 実は私、琉球フェスティバル(竹中労プロデュース)のフル~イ、レコードを持っています。あのリズムが、指笛が、ロック一辺倒だった(でもなかったか (^^; )私をネーネーズのCDまで買わせてしまいました。まあ、海ぬチンボーラは置いといてお囃子がマタハーリヌチンダラカヌシャマヨの安里屋ユンタ(ATOK!!アサドヤで安里屋が出んぞ~、パチンコ屋のノリで)で盛り上げて欲しかった。
(やっていたのなら他の会場へ行っていました。ゴメン m(_ _ )m 兼機種依存文字)


宿毛の踊る姉妹


 ブレイク・ダンス以降進行形のヒップホップも、歳の割に、嫌いじゃない。とにかく、オレ巧いでしょうワタシが良いよって態度が嫌味でなくアメリカン。ただ、ひとつのグループだけがステージに上る演出ってどうだろう。折角の機会だ、各市町村の代表が集まって勝ち抜き戦でもやる企画が有れば・・・。グループ対立のダンスがあれば見逃している。スマン。何せ、私宿毛生まれなもので、この子たちの写真を。


村井まなさん


 パンフレットを見た時から、この方の歌を聴きたいと思っていました。良かったですよ。でも、何故か山崎ハコをフッと思い出した。あの陰気なハコちゃんとは似ても似つかぬ陽気さなのに・・・。


やはり太鼓の迫力


 土佐中村一条太鼓も会場を盛り上げたと思う。太鼓によるリズムはヒトの原初的力を生み出すようだ。私もひと頃レコードで「日本の太鼓」一~五集まで買ったことがある。そのリズムと今あちらこちらで町興しに使われる太鼓集団のリズムはチョット違うのでないだろうか、まあ必然なのだろうけど(間違っていればスマン)。


よさこいはロックだ!!


 私のよさこいへの不満は一糸乱れぬ踊りへのこだわりである。一般的に揃っているってことは美徳であり、県外ではじめてそこに来ている高知の踊子隊を見て、揃っているので感激したと仰有る方が多い。 100人を越える踊子隊で上手も下手も同じで良いのかと疑問を持たないのだろうか?リオのカーニバルのように、一つの踊子隊を幾つかのパートに分けて、その中の一群が一糸乱れぬ踊り(あちらはほぼバラバラだが)であっても良い。上手に踊れる方には、その方のimprovisationが観客を楽しませると思っている。まあ、女房殿は高知県人があれだけ揃ってすることは珍しいから良いんじゃないと・・・。そうかもしれない。m(_ _)m


ボツボツ陽もかげりはじめ・・・


 フッと気付くとよさこい踊子隊だけに陽が当たっている。時刻も 4時を過ぎた頃。


この心地よさ


 私も疲れたなと思っている頃、上手に木に持たれて休まれている方が・・・。プライバシーで如何かと考えたが、お顔が写ってなく決して恥ずかしい写真ではないと判断させて頂きました。この時刻までご苦労様です。m(_ _)m 削除依頼のコメントあれば従います。差し支えなければ、このままで。m(_ _)m


やはり、チベット仏教のあのお方


 朝から描かれていた(パーフォマンスされていた)絵画が完成に近づいています。全景の写真とどちらか悩みましたが、仏教ファンと云うことでダライ・ラマ師を選択。


夕暮れのAki-ra sunrise


 オッ、笹が良い雰囲気じゃないかと写しながら調子を出そうとする非芸術家(私ね)によるアーティストAki-ra sunriseの写真です。いろいろの楽器で楽しませてくれて良いなあと感激していました。


Aki-ra sunriseさんとEricaさんのコラボ



Erica's collaboration with Aki-ra sunrise


 Ericaさんの踊りとAki-ra sunriseさんの音楽。音楽だけでも感激ものだったのに、この二人の世界は何って感じ。Ericaさんも吠えだしたのだからノリにのっていたと思います。あの叫びがimprovisationの世界だと思いますよ。よさこいの一部で良い、あのレベルに近づいて欲しい。


キャンドルに灯がともり


 この後も素晴らしいパーフォマンスが続くことは判っていたのですが、昔の三本立ての映画でも良いのを見たと思えば感動を残すために後のを見ずに劇場を出ていました。私にはAki-ra sunriseさんとEricaさんのコラボが充分その感動にあたりました。キャンドルに火が点き帰ることにしました。

 関係者の皆様、ありがとうございました。ご苦労様でした。


はたフェス2011 [幡多]

はたフェス2011

日時:2011年9月24日(土)9:00~20:00
場所:四万十市入田キャンプ場
(雨天時:四万十市立安並運動公園)
主催:はたフェス実行委員会
後援:四万十市・宿毛市・土佐清水市・黒潮町・大月町・三原村・FM高知
協賛:中村青年会議所(社)JCI・SOUL CREAM DANCE STUDIO ・海音・KHK(有)

 ネットで知り合って以前土佐清水市は足摺黒潮市場(土佐清水さかなセンター)にてお会いした方と数日間再び幡多へ行っていた。その方の馴染みのお宿二軒に宿泊したが、二軒ともへんろ宿として有名である。その一軒の女将さんが、九月二十四日は是非はたフェス2011へとパンフレットをくれた。はじめて幡多がひとつになるお祭りであるとのことだ。「みんなでつくる幡多の新しいお祭り」がテーマだ。

 はたフェス実行委員会は中村青年会議所内に事務局(TEL:0880-34-2632 FAX:0880-34-5026 E-mail: hatafes@gmail.com)を置き、各自治体(宿毛市がない)・商工会・青年会議所・観光協会・幡多広域観光協議会(社)・四万十川自然再生協議会・およびTravel Artsから構成されている。

 自然・祭・伝統・出会・音楽・学・物産・芸術・文化・食・踊・癒。これらが風船に英語とともに書かれてパンフレットに飛んでいる。詳細は裏面に書かれているが、www.hatafes.comの文字が一番上に(裏面では下に)書かれているのでhttp://の後に入力すると見られると思う。(この記事の終わりのほうからアクセス可能)

 幡多からは四万十市伝統芸能・ローカルライブ・スケーター・BMXも参加するが、京都・大阪の芸術家のパフォーマンスも数多く(マスコミ流に、嘘ではない範囲でチョット強調)参加する。

 協賛のSOUL CREAM DANCE STUDIO。幡多のストリートダンス・チームのようだ。キッズから一般まで総出演とある。幡多からはその他、バンド・スチールパンなどとともに、フラダンスとある。オッ!!と「フラガール」を期待してはいけないかもしれない。飽くまでもフラダンスなのだから。

 関西からのバスツアーもある。場所は四万十川、足摺岬も近い。片道だけツアーを使い、番外札所石見寺に参拝して、一・二回をへんろ宿(今その中の一軒に宿泊中)に泊まり、歩きで足摺岬金剛福寺を目指しても・・・。まあ今の自分がそうだからと強く勧めるわけではない。

 さて、このはたフェス2011。日没とともにMow Candleとしてキャンドル・アートが予定されている。午後八時までの会場で、最後のひと時幻想的な空間を楽しむ趣向のようだ。

------以上、お宿で書いた(不要だったが折角だから (^^;残ス  )--------

 自宅に帰ってwebではたフェス2011を見てみるとちらし(上記パンフレット)がすぐ見えるようになっています(だから本当は上の文章は不要 m(_ _)m )。詳細は「みえる きける(アーティストしょうかい)」しか見られませんが、ブログも立ち上げています。

 前回宿毛の友人にあった際、(売りたいものがあるので)何らかのフェスが欲しいと云っていたのを思いだして土佐清水の帰りに宿毛によってパンフレットを渡そうとした。お互いの友人の弟が云っていたのは、このことかと興味は持って貰った。しかし、パンフレットはURLを覚えたので、そこを見てみると・・・。折角持っていったのに・・・、でも渡してもWEBにあるから同じか・・・。


ハマクラとイッチキチモンチキチ [幡多]

ハマクラとイッチキチモンチキチと僕は泣いちっち

 先日 NHKで筒美京平が希代のヒットメーカーとして特集されていた。MICOの「渚のうわさ」でも指摘されたが、日本で最初に洋楽を歌謡曲から離れて上手に取り入れた作曲家とも。その筒美氏がレコードプロデューサーだった頃、浜口庫之助はすでに作曲家として活躍していた。浜口氏にも洋楽を邦楽から離れた形で取り入れた作品がある。でも全体的には浜口氏の曲は歌謡曲に調味料としてポップスの味を加え、筒美氏はポップスに歌謡曲を隠し味として使った気がする。まあ素人が無責任に書くことだから曲の内容は置いて。(^_^)

 その浜口氏、僕の故郷宿毛と関係がある。叔父の家に行った時、浜口氏のサインが飾られていた。どうしてと訊ねると、浜口氏自身の話として戦争中氏は宿毛で人目を避けて(具体的には橋の下・・・お大師さんや遍路と一緒ですな)ギターの練習をしていたそうだ。自分のサイトに幡多人物伝として出身者や関係者を載せていた僕は早速浜口氏を加えようと思っていたが、裏が取れなかったので見送っていた。父君のもと神戸生まれの点と戦争中は外国に行っていたようで叔父の話と一致しなかった。

 それでも叔父の言葉を信じて宿毛で生活した時期があるのだろうと思っていた。その内に「僕は泣いちっち」のちっちが宿毛(大分・愛媛の一部も含む)の方言、「いっちきちもんちきち」(日本語にすれば (^^; 「行っち来ち戻んち来ち」である)に基づいているのでないかと思うようになった。例えば「持ってきて」は「持っちきち」となり、それこそ初めて聞くと会話の中では、「ちっち」・「ちっち」とさえずるな・・・。特にこの曲が浜口氏による最初の作詞作曲だと知ってから、「ちっち」のリズム感が記憶に残ったかと妄想が膨らんだ。妄想通りなら浜口氏の宿毛への愛情を感じるが・・・。

 この浜口氏、「黄色いサクランボ」・「バラが咲いた」そしてカローラのCMなどポップスとして筒美氏の先を走った人と位置付けることもできるだろう。(書きながら大物を思いだした!!讃岐に向かう石松なら、大事なのを忘れちゃいませんか、ってやつ。服部良一先生。知ってると思うけど、どんな曲か知らない?ヒット曲はあるけれど、ずらしの依光としてはYoutubeのここ)何書いていたんだっけ?そうだ、まあ日本の流行歌に洋楽を普及してくれた方々と云うことで、浜口氏は重要な位置を占めるだろう。

 浜口氏と宿毛の関係に戻るが、ご先祖(庫之助氏はクリスチャン)の菩提寺は我が家と同じであると確認。祖父か父君の代は宿毛生まれだろう。そしてWikipediaによれば外国(ジャワ)に行ったのは昭和17年 9月以降。戦争中宿毛の橋の下でギターの練習をし、親類縁者よりちっち、ちっちと囁かれるには充分な時間が有ったと思う。

P.S.
 「泣いちっち」が広く使われる言葉なら妄想撤回(^^;。浜口庫之助氏と宿毛の関係と云うことで。m(_ _)m でも投稿時、共通テーマに音楽を選択した・・・。違ったかなあ。作曲家のことって音楽で良いよね。

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唐突ですが、コマーシャル m(_ _)m (^_^) [幡多]



宿毛自然紀行.jpg

~エコツアーで楽しむ~
宿毛自然紀行

企画・制作/SwanTV

DVD 入手総額 2,340円(本体1,500円、送料・代引手数料840円)

この商品への、ご注文・お問い合わせ(宿毛での購入法など)は
TEL : 0880-62-0888
(土日祝日を除く平日8:30~18:00)
mail : info@swantv.co.jp


 「エコツアーで楽しむ」と副題があるように、宿毛の人たち(県外出身者も多い)が自然の中で楽しむ映像が収載されています。場所は収録順に松尾峠・久礼ノ川・伊与野・京法/還住藪・出井・奥藤・高石・鵜来島・大藤島・松田川河口・大物川・篠山です。ハイキング・サイクリングから親子キャンプ・チュービングによる川下り・沢登り、エッと思う冬山登山(スマン何せ南国、本格派の人には堪忍)まである。BE-PAL小僧が大喜びするだろう内容だ。

 個人的には中学生の時から気になっていた無人島大藤島、親父様の出里の山の向こう側で行ってみたいと思っていた京法/還住藪、全く知らなかった大物川の映像は納得させられた。宿毛の方でも全てに行った、楽しんだという方はほとんどいないと思う。軽スポーツと組み合わせて魅力を語ったSwanTV偉い!!

楽しめる方
○田舎の景色を見てみたい方
○自然の中で遊ぶヒントの欲しい方
○宿毛出身者で故郷を偲びたい方
○宿毛在住で身のまわりを再認識されたい方
にお勧めします。

●都会にあこがれる方にはお勧めできません。(^^;

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 お遍路で宿毛を通過する際、中学校同級生に会いたくって電話した。他の親しかった同級生の店がなくなっていて、彼なら知っていると確信していたからだ。幸い気になっていた彼は元気にしていると聞いた。その後最近全くお会いしていないがSwanTVの社長(やはり同級生)と一緒に時々私のBlogを読んでいる話(お前のは長い、ウン今回も長いよ (^^; )になり、 Canonのフルサイズを持つ彼からカメラの話(画素数からオリは昔のペンになったかなと私)もした。そして、依光は最近宿毛市のホームページもSwanTVのページも見ていないのでないかと云われた。一月ほど前に覗いていたので全く見ていないことはないと云うことはできた。その時SwanTVの社長に同級生がなっていることも、SwanTVがこの「宿毛自然紀行」を制作していたのも知っていた。残念詳しく読んでいなかったので口をモゴモゴさせていると、ホイと DVDをくれた。本作と「高知/宿毛 沖の島紀行」だった。お遍路の私は納め札をお渡しすべきなのだろうが知らない人でないし、ありがとうの言葉だけで受け取った。

 私はクスリを四日分だけ持って歩いている。今まで高知近辺でバス・JR・女房殿の送迎があり、それで充分だったからだ。クスリも切れたし宿毛から一度高知へ帰り、頂いた DVDを見ようとしてビックリ。封を切っていない新品だ (@_@)。すぐに彼に電話した。スマンあんたの見ているものと思って頂いたが、新品だし料金を払いたいと。彼の返事では、宿毛の宣伝をしてくれ、この DVDの宣伝も頼むとのことだった。そう云うことで、ここで紹介させて頂きます。m(_ _)m

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 さて、お遍路の話。昔関所があった頃、土佐は入国・出国一ヶ所づつだった。入国は甲浦、出国するのが宿毛、松尾峠であった。そしてお遍路さんにとって大事な場所がもうひとつ宿毛にある。正確さにやや難があると指摘されながらも、歩き遍路のバイブルである「四国遍路ひとり歩き同行二人(地図編)」(へんろみち保存協力会編)の第 9版48-1図には「 古来、金剛福寺を打ち終えた遍路は、次のいずれかの道程を選ぶことを不文律としてきたと伝えられている。1.打ち戻って延光寺から篠山詣りする。2.月山詣りを終えて延光寺を打つ。」と書かれ、この DVDには松尾峠とその篠山が含まれる。篠山の映像の中には、篠山観音寺(跡)篠山神社を見ることができます。ちなみに篠山川を挟み伊予側は正木、土佐側は山北です。 DVDは山北から(お遍路は正木側)ですが、途中から道はひとつになります。

 48-1図には「 愛媛県一本松町札掛は、篠山詣りを果たせなかった遍路が、この地に札を掛け篠山を遙拝して去った名残の地名となった。」とあります。いにしえの巡礼は、金剛福寺を打って<月山詣り後延光寺>と<金剛福寺・延光寺を打って篠山詣り>とひとつのゲームのルールを作り、参加できない方のために札掛遙拝があったのでないでしょうか。私は月山詣りを選びましたが、ゲームに参加するのも一興かと。写真は一本松町札掛にある篠山神社。

一本松町札掛篠山神社

自民党総裁 [幡多]

自民党総裁


 とうとう麻生太郎氏が自民党総裁になってしまった。麻生氏は宿毛人の曾孫である。もちろん、祖父は吉田茂。曾祖父が竹内綱であり、綱の長男明太郎(DATSUNは本来DATの息子SONであり、DATのTは竹内)が宿毛生まれである。残念、吉田茂氏は綱の五男で東京(横浜?)生まれだが、選挙区は高知県だった。

 僕は協調型の福田総理に期待していたが、残念少しタイプが古すぎたようだ(その割に携帯電話が大好きだったようだが、機密保持の面でもマズイだろう)。あなたとは違う発言があっても嫌いじゃない、僕も福田総理とは違うと思ってる(^^;。小沢民主党代表とうまく調節が出来ず、協調型政治が発揮できなかったのは残念だが、この点については小沢代表に非があると思っている。

 麻生氏が自民党総裁になったことで、自民党は世襲議員を三代にわたって総裁に抱いてしまった。立派な功績を残していれば問題ないが、周知の如く突然の辞任である。安倍総理の場合、病気だと云われるが上手く治世出来ていれば起こっていない病気だろう(医者として患者さんにシンパシーがないなあ m(_ _)m )。 僕は世襲議員が続いて総裁に選ばれたことは決して好ましいことではないと思う。

 でも選ばれたからには仕方ない。(^^; 人気同様に実力もあって、僕の幡多人物伝(基本的に現役の政治家は遠慮してます)に誇りを持って載せられるように頑張って欲しい。

P.S. 竹内綱・竹内明太郎をご存じない方は是非クリックしてお読み下さい。m(_ _)m
(ここではブラウザの「戻る」をご利用下さい)


蔵持神社(四万十市西土佐津野川) [幡多]

映画"四万十川" 付録:蔵持神社

 幡多の神社を紹介しようと写真を撮っていた。江川崎から中村へ向かってのコースを取り支流沿いに二箇所も撮影を済ませていた。目黒川沿いも大宮まで写真に撮ったが、神社名が判らなかったり、地図にある神社までたどり着けず、そのままになってしまった。データを見ると2006年 7月だから、サイトの更新をやっとしていた頃だ。折角撮っていた写真だから、この際付録として津野川の蔵持神社のご紹介を。
m(_ _)m


鳥居の前から 蔵持神社の名称は鳥居の額より
 
鳥居の後ろから(笹山久三さんの通った学校?) 地図で見ると手前は小学校・奥に高校
 
神社側面 蔵持神社の名称通り 本殿が本当に蔵なら金目のものでなく武具だろうと思う
 
御紋かな?
 
内部を失礼して撮影




映画"四万十川" 3/3 映画の背景 [幡多]

映画"四万十川" 3/3 3.映画の背景

 映画"四万十川"の原作は、笹山久三の小説である。第一部にあたる'四万十川 あつよしの夏'と第二部'四万十川 とおいわかれの日々に'が使われているらしい。以後、'青の芽ふく頃は'(3)、'さよならを言えずに'(4)、'ふるさとを捨てても'(5)、'こころの中を川が流れる'(6)と続き、四万十川が舞台で描かれる四巻と郵便局員となっての二巻からなるのが小説「四万十川」である。一応この記事は映画の背景と銘打っているが、小説『四万十川」にみる高度経済成長 高木彰彦氏( PDFファイルです)なんてのを見つけて、書くこともないか。(^^;

 上記の高木氏の論文図1に地図が載っている(判形に合わせてあり上は西。)右手中央に篤義らの店がある津野川(江川崎から南下した国道が川を渡る所から入る)があり、左手上に千代子の住んでいる津賀がある。この地図を御覧になれば四万十川が本流支流とも山裾に沿って蛇行していることがよく判る。千代子の住んでいた津賀は津野川より目黒川も上流にある。学校から津賀の橋まで直線にして約1.9Km、峠越えで約2.5Km、川沿いの道で約5.7Kmであった(国土地理院二万五千分の一ネット地図:カシミールを使用して測定。依光による測定点の不正確さによりおおよその数字)。このように大正・十和・西土佐では蛇行する四万十川に沿って大きな道があり、山越えにもショートカットがある交通網である。大きな道の場合、千代子は直線距離の約三倍歩く必要があり、映画でも山道を通っている。その後ショートカットの山道の下にトンネルが掘られた箇所が多く、やっと最近本流に沿う十和・西土佐間の国道が真っ直ぐになった。

 清流伝説 -四万十川で出会った人たち- (7) 大蛇の棲む谷、に長男一夫氏(映画では和夫)が「父は営林署で働いていました。集団検診で結核と分かって。ヤマでは家族ぐるみ、共同住宅での生活です。いつ周囲に、感染するか知れません。辞職すると、家族は隠れるように、平家の落ち武者が潜んだという「姥ケ谷」でひっそりと暮らしました。「あつよしの夏」は、父もやっと働けるようになって同じ村内の母の故郷、津野川に帰ってきた辺りからのお話です。」と話されている。

 当時結核は国民病。国立病院統廃合の折、療養所の先生が昭和20年代のヒドラ・ストマイ・パスがない頃の記録を見つけて、亡くなられた方の年齢に驚いていた。二十歳そこそこの若者が何人も死んでいた。映画の頃には治療法があると云っても国民皆保険以前の話である。昭和30年の話として、ある医者に患者さんがストレプトマイシンを1本(1g)1万円で五本買ってきたと云う。1日1gと書いているがそんな高い薬を毎日使うわけがないと薄めて1本を何日かで使ったと話していた(患者さんは良くなったの?悪くなれば話せないでしょ。(^^;ソウダロウネ)。当時は充分な栄養と休養が勧められたから、家族も病名を告げることができない以上「なまけ病」にみられたかも知れない(普通病名は噂で広がる)。今は昔のお話。(ついでに20年前に療養所の先生が、今結核は医者が悪いことをした(免疫を抑制する薬剤)か糖尿病になって発症する人が多いと云っていた。糖尿病のコントロール目標は時代とともにきつくなったが、結核患者のコントロール目標は昔から厳しかった。)

 原作者笹山久三さんの近況(でもないか)については笹山久三さんによれば、昨年は化膿性脊髄炎で闘病生活を送られたようです。「意思の強さを窺わせる表情」と書かれていますが、映画でもネコの出産をめぐって母親と、鉛筆削り問題の時は謝る謝らないで先生と、姉が出発する際のわだかまり、なかなか納得しないとウンと云わないタイプのようですね。賃金の能力給化を中央本部がのんだことに反対の署名運動を全国の組合員に呼びかけた人とのこと。

 郵便局員でしょう?年金なんかも良いよねと思ってはいけないのだろうか?(あまり気にしないでね、先輩医師が元郵便局員であられるご両親二人の年金が良すぎると自分の給料と較べていたから・・・)ちなみに男性の平均寿命が75歳になる少し前に、医者の死亡平均年齢をみると68歳でゾウッとしたことがあった。安かろう悪かろうで患者さんと家庭を較べて、患者さんをとってきたが今の患者さんをみると間違っていたと思う。医療が安いわけはないのです。結核のことなど考えられて・・・。そう云えば、結核予防法第35条が適応になり入院の個人負担がなくなって、結核病棟に接する民家の屋根が黄色くなったと。医療費が自己負担だった頃はキッチリ服用できていたパスを飲みにくいと捨てたらしい。ものの値段が安いと価値が判らなくなるのでは(今の医療費も)。 
話がずれた。m(_ _)m

 ご存知の方も多いと思うが、泉ピン子さんらでTVドラマもある。こちらもなかなか好評であったようだが、四万十川物語(リレー・エッセー)[第6話]松本順氏に「四万十川・あつよしの夏」(NHK) というラジオドラマ製作の話がある。面白く読んだところを引用させていただく。
 そこで、毎日私が氷柱と爆竹を買ってきての収録となりました。氷柱は理解できると思いますが、何で爆竹なんか?と思いませんか。実は、せみ対策に大量に買ってきたのです。

 稽古も終え、さあ本番という時、監督の合図で助監督が盛大に爆竹を鳴らすと、せみがビックリして鳴き止む、そこを狙って収録という段取りです。四万十川のせみはやはり純情で、きっと爆竹なんかはじめての体験ですから、たまげちゃって、シーンと静かになったものです。

 ところが、・・・せみも学習するのですね。長崎の精霊流しのような爆竹の大轟音にもすぐに慣れて、大胆なせみが一匹、様子見にちょっと鳴き出すと全員があっという間に大合唱をはじめるのです。それも、あてつけのように前より大きな声での大合唱です。そして、鳴きだすまでの時間がどんどん早くなり、本番の時間がどんどん短くなっていくのでした。

 おかげさまで、出来上がった作品では季節に関係なく、せみが鳴いているという妙なことになりました。放送を聴いた人はひょっとして、さすが南国、高知の四万十川では一年中せみが鳴いているのだと思ったかもしれませんね。

 今日は、書こうと思っていたことと内容が違ってしまった。最初の論文が悪い。(^^;マダ、全部読ンデナイノ、書キハジメテ見ツケテシマッタ 郵便局員の年金もとばっちりですみません。しかし、そう聞いたので、消さない悪い癖。

P.S.
 最初の論文は貨幣経済への移行として書かれていました。とくに出稼ぎの多いのに驚かれています。しかし、そのような経済論よりも、篠山久三氏の描写の正確さを讃えていること、昨日書いた映画と小説の違いが判って面白いと思います。(昨日白飯と書いたのは、塩飯が正しいのだろう。 (^^; )   (2008/06/19:ブログの並びで昨日と書いた)

映画"四万十川" 2/3 映画雑感 [幡多]

映画"四万十川" 2/3 2.映画雑感


四万十川
邦画 失われた世界系
恩地日出夫監督
B上
1991年 111分


<<粗筋>>
 山本篤義君(山田哲平)は兄弟五人のまんなか。お母さんは村で店を営み、お父さんは宇和島へ出稼ぎに行っている。店は四万十川の支流の岸の上に建てられていた。四万十川でウナギを捕って帰ると、父秀男(小林薫)が仕事中に事故にあい、母スミ(樋口可南子)が宇和島へでかける。スミは家で飼っている猫のお腹が大きく、子猫が多く生まれると猫屋敷とよばれて売り上げが落ちる心配をしていた。姉の朝子(高橋かおり)は紡績会社の欠員募集があり、秋には村を出て行く予定だった。秀男の事故もあり、スミは子供たちのために村に残るようにお願いする。

 篤義の通う学校では浅野千代子(高橋かおり)がいじめにあっていた。弁当が御飯だけでおかずがないため白飯しろめしと囃され、からかわれていた。篤義の家の猫はほかの家の納屋で三匹の子供を産む。飼えないとスミは篤義を叱りつける。出て行け、出て行くと家を飛び出した篤義だったが、兄和夫が探しに来てくれる。和夫は、父が胸の病気で働けなかった時、朝子が学校を休んで兄弟の面倒をみて、皆からいじめられていたことを話す。そして自分が喧嘩をしてでも朝子を守っていたと。

 校庭で映写会(皇太子殿下美智子妃殿下御成婚ニュース)が開かれている時、土砂降りとなり、篤義は村が一緒の太一(と思う)に千代子と帰れと傘を貸す。

 千代子は父親の薬を取りに来た折に、篤義の店を訪れる。店の菓子を袋に入れて持ってきてくれた篤善にありがとうと千代子は呟く。千代子の父親も病気で働くことができなかったので、夕食時に和夫は昔の朝子と今の千代子が似た境遇にあると云う。朝子は、いじめられているものからみると、笑っているものも黙ってみているものも一緒だと言う。

 学校で千代子は村から出て町へ行くかもしれないと篤義に話し感謝の気持ちを伝えようとするが、篤義は出稼ぎに行って戻ってくるものと思う。そして、教室で鉛筆削りがなくなり千代子がとったのではないかと疑われ嫌疑(他の生徒が勝手に鉛筆箱を開けカバンも調べられようとする)を受け始めたので篤義は自分が盗ったと申し出る。しかし、校庭で一緒にいたと太一が証言し、いじめっ子リーダーとしひろに篤義が問い詰める。「なぜ千代子が犯人か云うちみぃ。」としひろは篤義を突き飛ばし、「婆ちゃんが云うたがぞ、千代子の父ちゃんはなまけ病ながぞ、 その子もろくなもんじゃないと云うたがぞ。」千代子は、違う、父ちゃんは病気なが・・・と泣きはじめ、篤義はとしひろに飛び掛かかり、としひろは鼻血をだす。教室に駆けつけた青木先生(石橋蓮司)は鉛筆研ぎをなくした生徒のカバンを調べ、「あったがじゃないか、調べりゃ判るんじゃないか・・・。血が出るまでやるか、暴力はいけん」と篤義に平手をかまし、としひろに謝れと云う。頭を下げない篤義は廊下に立たされ、千代子が来る。篤義は先生が話しかけたものは同罪と云うた、早く帰れと云う。

 太一の家は祖母ハル(菅井きん)と両親、太一も加わって四人で川砂利を取っていた。トラックに子犬をひき殺された親犬が吠える中、田村(佐野史郎)がトラックを運転していた。トラックが遅れた時に母親が遅いと云うが、田村は昔ながらのやり方で能率が悪いし自分も手伝わなくてはいけない。新しい機械の所が忙しいと云う。篤義は、太一の家で新玉三兄弟の話をハルから聞き、魔物が気になる。

 また、村を出ることについて朝子は自分にも自由が欲しいと云い、篤義は反発する。

<<ポイント>>
 村では、田圃を持っている家がまともであり、田畑以外で生計を立てるものへの目は厳しかった。父親の病気と云うこともあるが、朝子も、千代子も、その為にいじめにあっている。朝子の「黙ってみているものは笑っているものと同じである」という指摘は、小中学生の間に理解して欲しいところ。

 正直、小中学生はいじめている内容すら判っていないこともあると思う。僕も、名前に「助」が入っているというだけの人に皆と一緒にスケベェ・スケベェと囃した記憶がある。その子が泣きはじめて、やっと悪いことをしたと後味が悪かった。だけど、小学校一年生の時、二人並びの机だがクラスで男子1名女子1名が余った。先生は誰か一緒でも良い人いますかと云うので、手を挙げた。家は姉が二人、女性のそばにいることに抵抗はなかったが、すぐにくっついたとか女好きとか云われはじめた。当方、 3月生まれで充分にそこの所が理解できていないので何?何?ってとこで、怒ることもなかった(イヤな感じは覚えている)。面白くないのか、そこでいじめにあった記憶はない。バカは徳だね。(^^;

 実は千代子が実に可愛い、篤義への好意といじめられながらも頑張っている感じに好感が持てる。突然いなくなるが篤義にもそんな感じだったのだろう。

 その後も父親の帰宅、朝子の出発や小便騒動など、篤義の周りに様々なことがおこる。台風(伊勢湾台風?)が来て店が壊れ、村の女性たちが店を自分たちも直すのを手伝うから続けて欲しいと云う所などは田舎である。お金が仲介しない関係が田舎なのだ。そこの所を良く理解して欲しい。昭和30年代、まだ、そのような所は日本の至る所にあったと思う(先日ネットで見ていると同じ意見があった)。そのお金が仲介しない関係で成り立つ社会と、お金が入ってきてからの社会は異なる。

 台風の後、父親が再び出稼ぎに行くことになり、篤義と二人で歩く。篤義が訊ねる、「新玉三兄弟の魔物はお金なが?」いや、あれは牛だったと答える父親に、「太一のバアが、お金は魔物じゃ云いよった。」と。砂利採取業で後れを取った太一の両親は出稼ぎに行き、太一はハルと二人暮らしだった。長期の稼ぎ場が見つかり、両親は太一を連れて行くことになる。両親と一緒になれると喜んだ太一だったがバスに乗る前に行くのは嫌だと言いはじめたのだった。ハルはポツポツと語り、その言葉を吐く。

 田舎ものから見ると「お金は魔物」で間違いない時代があったと思います。それが少しだけあれば良い社会から、田舎を解体してお金のために町に出て行く必要がある社会へ・・・。前も書いたが町はお金がないと食糧にありつけない、だからお金中心で動かざるを得ない。もちろん、今は世界的にお金の世の中。やはり、魔物が支配していますか?

 そんな過渡期の田舎のひとつ、四万十川流域の話です。m(_ _)m 今モ田舎ダ

<<楽しめる人>>
原作を読まれた方

四万十川の映像に触れたい方

学校でのいじめを考えたい方

昭和30年代までの地方を知りたい方

P.S.
 日本は食糧がないから現状ではお金で動かざるを得ない。
 経済戦争に負けないように。m(_ _)m >若き方々へ


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