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運命を信じようかな? [自笑狂夫老更狂]

運命を信じようかな?

 僕は基本的に運命を信じていない。努力できる人とできない・しない人では道が違うだろうと思っている程度で、できる・できないも全て環境・素因など運命で決まっているとは思えない。

 でも高知駅に人を送った後、車の運転がなぜか不安で女房殿に代わって貰った。帰り道大きな坂ではないが両方が登りとなってチョット見通せない所がある。そこで大きなトラックが突然表れ、女房殿がキャッと声をあげた。僕の運転スピードなら衝突していたと思っている。またあるマイナーな神社に行った。ちょうど氏子さん達が神社を有名にするには今後どうすれば良いかなどと相談されていた。村人の怖れ神にならないようにとの神社で、僕はたいしたこともなくそっとしてあげていれば良いのにと思って車まで戻った。ところが跳ね上げた泥が見事に手形となってクッキリと見ることができた(祭られているのは子供だが手形は大きかった)。その数ヶ月後から手が痺れはじめ、今の病気の喘鳴以外では最初の症状である。

 そして今日のこと。
 その前に、歩き遍路(本番)を今週中に宇和島までしておこうと思っていた。台風も来ているので早目にはじめようと昨夜宿毛へ向かった。窪川から一般道となり、夜とばすより朝にしようと道の駅で休む(仮眠)とした。霧があり蒸すかなと思ったが自宅より遙かに涼しい(涼しいから霧なのだが・・・)、寝ようと思った時コトッと前回持っていた薬ケース(残1日分のみ)が落ちた。しまった、薬を持ってきていない。帰るよとメールして午前一時頃自宅に戻った。

 自宅で寝るとやはりノンビリする。朝一番で歩かなくとも、今日はシッカリ準備をと考えた(具体的には宿毛でタブレット用にタイプCの充電兼用 USBケーブル、モバイルバッテリー購入。実は・・・、ポータブル・ソーラー発電可能です。テントで連泊可能になるだろうと購入済)。ラッシュが終わる頃に家を出た。そして車同志で接触してしまった。もちろん事故なんか滅多にない、クスリを忘れることも滅多にない。車の接触と行っても軽微なもので、幸いなことに人はお互いなんともない状態だった。

 以前歩き遍路はじめた頃(もう七年前か)、自分の仏教のイメージに合わないことも多く弘法大師さんの悪口(ゾロアスター教だろうとか・・・)を云ったこともある。そして何故かお遍路で帰らなければならないことが起こり、お大師さんから来なくて良いと云われている気がしたことがある。空海がいかに御釈迦さんの仏教を大事にしたかの本(竹内信夫:空海の思想 ちくま新書1081 僕には充分理解できない内容です)も読んだし、なにより御利益か足のシビレは全然違う、改善している。お礼参りとは称さずに、できるだけ札所(番外も)を歩かせて貰いたいと思っているだけだが、また今回も来なくっても良いよと云われた気がする。まあ、あくまでお大師さんからのサジェスチョンとして僕は歩いて行く。お遍路で歩くことが大きな目で見ると、それができなくなるまでの、運命と思っている(いろいろのしがらみで通しができないことが残念だが・・・)。

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