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第六十四番札所 石?山前神寺(金色院) [四国遍路]




第六十四番札所 石?山前神寺(金色院)



<<住所>>愛媛県西条市州之内甲1426
<<電話>>0897-56-6995


<<本尊>>阿弥陀如来
<<開基>>役行者小角
<<宗派>>真言宗石?派
<<御詠歌>>前は神うしろは仏ごくらくのよろづの罪をくだくいしづち

<<駐車場>>あり(30台無料)
<<宿坊>>なし


本ブログの四国遍路にはじめての方へ



 申し訳ないが、本ページの?は「金+夫」である。第三水準の漢字のようで以後この漢字を使用すべき所にも「鎚」を使用する。石鎚とスッと読めるほうが楽だろう。


あちらこちらで良く見られますが(^_^)


 木魚をあたまに休まれる小坊主さんをトップに持ってこようと思いましたが、あまりにも目に付く像なので、ひっそりと隅のほうにいらっしゃるこちらを。でも、後述の階段下にある像で、石鎚と前神寺の関係を見詰めてこられたと思う。


日野駒吉氏像


 墓地の一角にいらっしゃる日野駒吉氏の遍路姿。台座にも記されていたが四国五十度、小豆島百度、石鎚登山百度巡拝された地元西条の方である。オレは、ワタシは、それ以上回ったと仰有る方もいらっしゃるだろう。でも、この像は記念に講中の人々が建てたもの。他の方々が建てよう!!という気持ちにさせる方だったのですね。写真を撮った時は載せることはないだろうと思っていましたが、講中の方々が建てたと知って、参道を歩いているとまず目に付く像でもあり尊敬の念を込めて。


鐘楼


 境内に入って右手側、なかなか大きく立派は鐘楼です。


木魚を頭に眠る小坊主


 ネットで見ると第二番極楽寺(双熊堂本舗さん)・高野山(季節のアルバムさん)にもあるようですね。ネズミが居るので雪舟かと思いましたが、調べると柱に括りつけられていたようで違いました。前神寺さんの疲れ小坊主君は、本堂・大師堂に行く前に遇えるので目立ちます。


大師堂


 境内に入ってチョット遠目ですが正面に大師堂があります。左手の建物は庫裏・納経所です。実は最近20Kmほど歩く練習はしているのですが、勤務体系がチョット変わり数日掛けての歩きが難しくなって写真だけを撮るために札所廻りをしています。納経をしないので写真だけ撮っていましたがチョット違和感がありました。三間龍光寺からお参りもするようにしました。遍路の時と同じく本堂・大師堂だけですが、気分的に違和感が減ってグッと楽になりました。しかし見ていると一人か二人連れのクルマ遍路さんって参拝を端折っておられる方が多いようです。


金毘羅堂


 同じ「権現」様だからでしょうか。金毘羅さんが祀られていました。本堂に向かって右側にあり、奥には大きな石版の修行大師像(大正五年三月吉日)もあります。


穴薬師


 反対側には穴薬師。薬師如来と地蔵菩薩が祀られていました。



華蔵


 また本堂に向かって右側にあるもの、石碑ですが「華蔵」と読めます。パッと見には「華厳」かと思いましたが・・・。後の字の右下処理が「蔵」のほうだろうと考えました。それで・・・、華蔵って何?


水子地蔵


 今日(2012/09/07)川之江池田間のドライブインで、宝塚の方から水子供養についてお説を伺いました。それまでは、札所全体にこれほど水子地蔵が要るのかと思っていましたが納得です。お接待するつもりで昼食を摂られたかどうかお聞きしたのに、こちらがご馳走になって申し訳ございませんでした。m(_ _)m >宝塚の方

 高校の先生で生徒が妊娠して、堕ろすことを勧めたならあなたも責任があるかもしれない。菅さん菅さん、あなたが首相であった時経済的に恵まれず堕ろさざるを得なかった責任はあなたにもあるかもしれませんよ。勿論必要以上にお金を蓄えてしまったあたなにも・・・。会社のために若者の首を切ったあなた・・・。宝塚の方の説を拡大解釈しましたが、確かに。


十三仏


 十三仏とは、中国で亡くなられた方の審判を行う十王(その内の一つが閻魔王)思想に基づいている。中国で冥界信仰の場である泰山に由来する泰山王もいる。その十王に仏陀・如来・菩薩を本地させ(例えば閻魔王は地蔵菩薩・泰山王は薬師如来)、日本で蓮華王(阿?如来:?はシュク)・祇園王(大日如来)・法界王(虚空蔵菩薩)を付け加え十三体にしたもの。

 十王は道教と仏教の合作による「閻羅王授記四衆逆修生七往生浄土経」によるらしいが(Wikipediaによる)。元来の仏教にはなかったもの。また、荘子の考え方とも違うようだ(老子って死後を語ったっけ?)。また、阿?如来と大日如来が加わったのは真言宗によるものだ。浄土真宗では浄土に成仏するとキッパリと否定されている(しかし女房殿は浄土真宗だが、追善供養をしたなあ・・・)。判らないことを書くなって?自分で調べてよ。自分で信じてよ。

 本堂に向かって右側、浄土橋の手前にあります。


滝不動


 浄土橋を渡らなくても見えているが、橋の本堂側にある。流れてくるものが着色して行くのか良い雰囲気になっている。実はこの後豪雨に見舞われるのだが、残念雨具を準備していなかった。カメラは雨に強いと定評のあるオリンパスE-3だから雨の写真は望む所だったが・・・。


弁財天


 不動の右手に小さな祠が二つ。手間にあるものは弁財天を祀っている。


稲荷社


 弁財天の奥に小川(浄土橋で渡る)に接してある祠はお稲荷さんだ。


本堂遠景


 階段を上ると本堂が見えてくる。左右の長い回廊は昨年か一昨年に付け加えられた。


護摩堂


 護摩堂では不動明王を祀っている(護摩堂って不動明王か愛染明王を祀ることが多いらしい)。


薬師堂


 穴薬師もあるが、薬師堂もあります。まあ穴薬師のほうは地蔵菩薩とご一緒だし・・・。


石鎚権現堂への階段


 前神寺の「神」は石鎚の神であり、神変大菩薩(役小角)が山頂で修行中蔵王権現を感得し、石鎚山に鎮護国家・仏道修行の道場を開山した。その後上仙道人が山頂への道を開いた。桓武天皇が病気の折「南海に霊峰あり石鎚蔵王大権現鎮座のところ霊験あらたなり」と聞いて、勅使をはしらせ病気平癒の祈願をさせ病の経過が良かった。そこで七堂伽藍を建立し金色院前神寺とした。

 空海も石鎚に登り求聞持法を行い霊場に指定したとされる。石鎚山山頂近くの成就に前神寺の出張所があり奥前神寺と云い、本来の札所はそちらであるが、遍路の訪れるのは里前神寺とされていた。

 ところが明治維新の廃仏毀釈により、里前神寺の境内・建物・参道・寺領全て没収となり、石鎚神社が設立された。その際前神寺住職大律上人が信仰の中心石鎚大権現を奉じて現在地の末寺医王寺に札所を構えたが前上寺(神の文字使用を禁じられた)と称さなくてはならなかった。そして信者の力ですべてを新しく作り直し昭和22年真言宗石?派前神寺として独立した。だから江戸時代までの前神寺は現石鎚神社である。ちなみに当時の奥前神寺は現成就社であり、今の奥の院奥前神ははじき出された感じであると云う(四国八十八所遍路 愛媛・香川編 宮崎忍勝・原田是宏 P78)。

 また、昭和42年漏電により本堂全焼し昭和47年現在の本堂が完成するまで御本尊阿弥陀如来は階段の上の権現堂に安置されていました。折角の石鎚参拝、是非権現堂のほうへ。上から見ると本堂は拝殿と本殿のある神社様に見えるから面白い。


石?権現堂


 これが階段を上った所にある石?権現堂である。


前神寺本堂


 石鎚山に参拝する前に前神寺の御本尊に祈願して登るとされていた。

 書くのも疲れたが・・・、前神寺と横峰寺の関係を。東の遙拝所前神寺、西の遙拝所横峰寺となるので、それですませば良いがもう少し。小松藩の横峰、西条藩の前神であり境界紛争もあったようだし、石鎚山との関係(別当寺)も問題になったようだ。一言で云えば御本尊を見れば判ると思う。空海修行に関係深い横峰、石鎚に関係深い前神寺ってことだと思う。


土砂降り


 本堂で参拝していると激しい雨音が・・・。幸いお坊さんが軽トラで来られていたので出てくるのを待って庫裏まで乗せて欲しいとお願いした。彼も権現堂での勤めがあるが傘がないと行けないので一度帰るつもりだったと庫裏まで送ってくれた。その後、軒下で雨宿り。その折りに、送って貰ったお礼に前神寺の記事を書こうと思ったので。m(_ _)m


63番 吉祥寺(未)--道中(未)--第64番 石?山前神寺--道中(未)--65番 三角寺(未)





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コメント 7

まる七

お久しぶりです^^; 当方なんの変化もなく毎日を過ごしております^^;
お体の調子はいかかですか?
私の遍路行は夏場の暑さにかまけ出かける足が遠のき今月後半から再開となっております‥
また 訪問させていただきます^^/

by まる七 (2012-09-10 22:06) 

依光次郎

 私も歩きのほうはサッパリ。お陰様で体調も良いようで、なにより以前より休まずに歩ける距離が伸びています。そのため、以前は経験しなかった(するほど歩けなかった)マメや膝の痛みが出て、休んでいました。でも最近連日ではありませんが12,15,24Km歩いています、荷物も軽めで膝も大丈夫。

 今月末には宇和島から歩き始めるつもりです。長距離でなく15Kmから20Kmで慣れて行こうと。連続しては3-4日しか取れないので、どうなることか。

 近くに行く時はご一報します。

by 依光次郎 (2012-09-10 23:03) 

三土修平

羅漢さんは、まだ菩薩の境地までは達していらっしゃらないから、喜怒哀楽の激しい私ども凡夫に近いところにいらっしゃる。それゆえの親しみが持てますなあ。

いつだったか、ふつうの市井の素人の人を集めて、石像づくりにチャレンジしてみましょうという会があると、テレビで報道されていました。題して「羅漢さんを彫る会」。

つまり、みんながそれぞれ喜怒哀楽のあるおのれの人生体験を注ぎ込んで、「羅漢さん」の名で、個性的なしろうと風の石像を造る。会員には小さな商店の主もいれば、勤め人もいれば、バーのホステスもいる。石像には、その人ならではの愛と苦悩の体験が刻み込まれる。

「私も彫ってみたい」と思わせるような番組でした。
by 三土修平 (2012-09-22 11:41) 

依光次郎

お久しぶりです。

残念、その番組は見ておりません。まあ、この雲辺寺五百羅漢。香川県の最初の札所にあたりますので、お暇が出来れば是非一度見て下さい。良い出来映えです。そう云えば以前一緒に勤務した先生が、仏像を彫っていらっしゃる。素人だからと謙遜されるが拝見すると結構なお姿。手先の器用な方はいらっしゃるものです。私は残念ながら・・・。

関係ありませんが、丁度歩き遍路から帰った所です。一冊の本も重いから持たないと仰有る方も多いですが、どうせゆっくり行脚。今回は岩波新書「大正デモクラシー」を持って行きました。以下の記載あり、オッと思いました。

(1928年-普通選挙法による最初の総選挙-)二月三日には、朝日新聞社主催で、各政党代表者講演会が開かれ、安部磯雄(社民党)、床次竹二郎(民政党)、麻生久(日労党)、三土忠造(政友会)、大山郁夫(労農党)といった面々が講演した。(内容は麻生・大山氏の演説が7分・5分で中止させられたとの記載だけでした。)


by 依光次郎 (2012-09-22 12:20) 

三土修平

三土忠造の名に目をとめていただき、ありがとうございました。

三土忠造は今の香川県東かがわ市に生まれ、婿入りした三土家は香川県坂出市にあったのですが、どういうわけか家紋は土佐の山内家と同じ「三つ葉柏」。「三つ葉柏」は全国的には比較的珍しい紋で、東京ではほとんど見かけませんが、土佐へ行くと、山内の恩顧をこうむったお寺が、軒並みこれを使っているので(竹林寺、金剛福寺その他いっぱい)、思わず「おお!」と感激してしまいますね。

第一回普通選挙のときには、三土忠造と大山郁夫は、その講演会で鉢合わせしただけでなく、選挙区そのもので直接対決もしました。「腕の喜三郎」という異名をもつ内務大臣鈴木喜三郎が、辣腕をふるって選挙干渉をした「おかげ」(?)で、対立候補大山郁夫の票数はだいぶ減って、三土の楽勝だったとか。子孫として、あんまり名誉に思える「勝利」ではありませんねえ。

……と、ここまで書いたところで、彼の位牌のある仏壇のりんをチリーンと鳴らして、「書きましたぞ!」と報告しておきました。
by 三土修平 (2012-09-22 21:04) 

横着遍路の珍道中  寿芳

お世話になり本当に有難う御座います。

明日にでもお寺に電話します。合掌
by 横着遍路の珍道中  寿芳 (2015-11-18 23:27) 

横着遍路の珍道中   寿芳

有難う御座いました。間違いなく前神寺の子坊主さんでした。

此れでやっとお礼に行く事が出来ます。合掌
by 横着遍路の珍道中   寿芳 (2015-11-20 02:36) 

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