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高岡神社(2)それでも、やはり寄りたい、仁井田五社 [四国遍路]

高岡神社(2)それでも、やはり寄りたい、仁井田五社


道中(番外・施設など)

遍路は地元の方への無財七施の修行の心で m(_ _)m。



36番青龍寺寺←高岡神社(仁井田五社)→37番岩本寺寺間



 現在、三十七番札所は窪川の岩本寺である。高岡神社(1)に書いたが弘法大師が霊場と定めたのは仁井田五社(現高岡神社)であった。

 江戸期の書物(四国遍路記集、伊予史談会双書第3集増訂4版)によれば、空性法親王・賢明、澄禅、真念、寂本、そして四国遍礼名所図絵の作者(不詳の方と略す)とも五社に詣でている。岩本坊・岩本寺は賢明・澄禅には現れず、以下次のように書かれている。

真念(四国遍路道指南):
 別当岩本寺くぼ川町に居。
寂本(四国遍礼霊場記):
 当社の別当岩本寺といふ。社より十余町を隔て、久保川の町に寺あり。
不詳の方(四国遍礼名所図絵)
 納経所ハ十八丁をへて久保川町ニ有。川を戻り宮内ニて一宿。
 翌日(前略)岩本寺五社別当、大師堂、護摩堂大師堂の側有。

 ところで五社に参拝したよと済ませているのは賢明さんだけ。他の方々は五社の前には大河有りと書かれている。一番詳しく書いているのは澄禅さん。澄禅さんは不詳の方と違い全てカタカナ、読み易いように平仮名に変えています(ワープロで打つとそうだろうって、ご明察通り (^^; )。

 (前略)扨、五社の前に大河在り、少し雨降ければ五日十日渡る事なし。舟も橋も無して第一難所なり。洪水には五社の向いへ坂中より札を手向、伏拝て過なり。折節河浅くして漸く歩渡たり、東路の大井川に似て石高く水早し、渡り悪き河也。而て五社に至る。青龍寺より是迄十三里なり。

 やはり、雰囲気が出ないのでコピペして、カタカナに。(^^;
 (前略)扨、五社ノ前ニ大河在リ、少シ雨降ケレバ五日十日渡ル事ナシ。舟モ橋モ無シテ第一難所ナリ。洪水ニハ五社ノ向イヘ坂中ヨリ札ヲ手向、伏拝テ過ナリ。折節河浅クシテ漸ク歩渡タリ、東路ノ大井川ニ似テ石高ク水早シ、渡リ悪キ河也。而テ五社ニ至ル。青龍寺ヨリ是迄十三里ナリ。・・・どう?

 ここが大きなポイントになると思われる。納札は五社または川のこちらからの伏拝で可能でも、川の水かさによっては納経ができない。岩本坊として宿坊が調えられたのも、その後岩本寺が再興される最大の要因も「渡れない時の納経の場」が必要だったからでないだろうか。問題は納経はどちらのお寺が主になったかと云うことだろう。

 不詳の方(四国遍礼名所図絵、寛政十二(1800)年写本でそれ以前)は納経所は岩本寺と明記してくれているが、そこで”天保元年「四国遍路連々艸」より 四国を駆け抜けた男 道楽斎”(阿部明子)の記事。時は文政十三年(1829年)に五社に詣で、宿のことで岩本寺へ追いやられ、途中窪川に宿を求めたが断られ続け、初夜過ぎ岩本寺に宿を求めて散々な目に遭う。狂歌を書きながら旅をした道楽斉は、
     宮と寺五社のいましめ知らぬやつ
          土佐の鬼とハ是を云うらん   (^^;
としたためた。この本には土佐は鬼国と呼ばれるようになった多くのヒントがあった。でも、最初は野中兼山の過酷な政治に対して土佐人が自称したようだ(吸江五台山は仏の島よ、ならび高知は鬼のしま)。その高知が土佐となる訳だが・・・、おっと何時もの脱線。

 道楽斉の記録に沿う阿部さんの文では「まず仁井田の五社に札を納めたが、日も暮れてきた。納経所の前の家に宿を請うたところ」、云々と続く。仁井田五社は納経を続けていた。納経も主に五社が受け持っていて、五社に行けない場合に岩本寺で、と考えるべきでないだろうか?もっとも現代流に本堂・大師堂に参拝して納経となれば、大師堂は岩本寺にあるから納経はそちらになるかも・・・(^^;。ダカラ、ヤッパリ今ハ岩本寺カナ(^^;

 勿論今でも高岡神社は納経所があり受け付けてくれる(道楽斉がカチンと来た御子孫?私が最初に行った時は前の家へとあり、そこも留守だった。宿毛へ行く途中だから寄り道して改めて訪れた時にはすみません、すみませんと・・・良い方だ。当方あまり気にしていなかったのだが、県外の方なら再訪困難でそうはいくまいな、カチンだな)。頂いたものは予め朱印があり書かれた半紙だった。


御朱印と墨書(スキャン後のトリミングミスで中央になっていません m(_ _)m )



 私の記事は長い(T_T)。読むほうも疲れるだろうが、書くほうも疲れる(^^;。後は、写真と簡単な説明で宜しく。それでも五社だから多くって疲れた。なお、本地仏のお名前は不詳の方による四国遍礼名所図絵によった。絵もきれいだし、折角だ、江戸時代に戻る気分で借用します。m(_ _)m 借用につきコマーシャル。四国遍路記集、伊予史談会双書第3集増訂4版は愛媛県立図書館にて購買可能(ネットからもアクセスできます、その場合「刊行物」でなく、下のほうにある伊予史談会からアクセスを)。


江戸期の仁井田五社




中の宮から四万十川(仁井田川)のほうを




中の宮と鳥居、阿弥陀仏。




中の宮境内にて。福円満寺はここにあったよと、発掘済みなのかな?




中の宮に向かって右端。大宮と鳥居、不動明王。




大宮と中の宮の間。今大神宮の鳥居。




上の写真右手の休息所とトイレ。




今大神宮、観世音仏。




中の宮を過ぎて森ノ宮との間。今宮と鳥居、薬師如来。




中の宮に向かって左端、森ノ宮の鳥居。階段がキツイ(今宮から途中に出られます)。




森ノ宮、勝軍地蔵。




 最後まで御覧頂きありがとうございました。m(_ _)m



36番青龍寺寺(未)-----道 中-----37番岩本寺(未)




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