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高岡神社(1)それでも、やはり、岩本寺 [四国遍路]

 書いてみてネットでどのような意見があるかを見ると私のより遙かに良い記事があり、没にすることがある。そのような一編だが心変わりした。今日写真友達にあすからのよさこい踊りを撮りに行かないかと電話した。私は昨日まで親父様の初盆で宿毛に帰っていて知らなかったが、お母様が亡くなられ喪中とのことだった。高岡神社の前を流れる四万十川の少し上流で長らく生活されていた御母堂にこの記事を捧げます。
m(_ _)m


道中(番外・施設など)

遍路は地元の方への無財七施の修行の心で m(_ _)m。


:36番青龍寺寺←高岡神社(五社大明神)→37番岩本寺間


 手許に「四国霊場の旅」(徳島新聞社、昭和52年 3月10日発行)がある。昭和51年版徳島年鑑の特集を抜き出したものだそうだ。そこでは第30番札所は妙色山安楽寺であり、記事中に「 識者の大部分は、八対二ぐらいの比率で善楽寺の方に同情しているが、多くの一般巡拝者は地の利のいい、そして設備の整った安楽寺の方にお参りしているようだ。」とある。「四国八十八ヶ所(納経帳付最新巡拝案内)」第八版(有限会社大山紙製品製造所、昭和48年 8月20日発行)も安楽寺である。当時すでに安楽寺の住職が善楽寺の住職もかねて、明治以降のすったもんだの争いは収まり善楽寺は「四国第三十番霊場、御開創霊場土佐一の宮」、安楽寺は「四国第三十番霊場、本尊奉安土佐一の宮」と和解していた。私の納経帳の御朱印は善楽寺・安楽寺併記であった。現在は善楽寺一ヶ所にまとまっていて、大師開創の霊場に落ち着いた訳だ。
 そこで気になるのが、第三十七番岩本寺。そう御影に五つの仏様がある札所である。前記「四国八十八ヶ所」第八版の岩本寺略縁起を引用すると「 当寺はもと福円満寺といい、行基菩薩が、聖武天皇の勅を奉じて、仁井田明神のかたわらに建立された。さらに七福即生(仁王教)にちなみ六寺を建立して仁井田七福寺と総称した。(改行) 弘法大師はここに新しく五社を創立し、五寺を建立して、本地仏のご本尊の御五体をそれぞれに安置して、三国相承の星供秘法を修され37番霊場に定められた。」とある。しかし、このお寺は福円満寺と称したことはないし、弘法大師が霊場に定めたこともない。
 参考のため平凡社の日本歴史地名大系40「高知県の地名」、岩本寺(P469)と高岡神社(P473)の項をまとめると以下のようになる。
1.伊予からの越知氏と地元神「仁井の翁」が六神を仁井田大明神一社に祀っていた
2.弘法大師が境内に福円満寺を開き、六神を五社に分祭、五社大明神と改称  (福円満寺建立は、行基により七福寺のひとつとして建てられ、空海が五社五寺を加えたと遍路本には書かれている。しかし四国八十八ヶ寺霊場巡礼(WebSite、中村タクシーさん)の記事は行基説だが、写真に見られる四国の道の案内板は空海説のようだ。行基説でも福円満寺は仁井田大明神の境内に建てたとあり、福円満寺は五社大明神の中にある。そして弘法大師はこの時五社におのおのの本地仏五体を分祭されている。)
3.中世末期、福円満寺は衰微
4.福円満寺の廃寺にともない金剛福寺住職尊海法親王が宿坊として岩本坊を創建
5.16世紀末に岩本坊焼失
6.僧釈長が再興、岩本寺と改称
7.岩本寺は明治 4年に廃寺となったが、同22年再興
 「岩本寺が三七番札所になった時期について、福円満寺廃絶直後という説と、福円満寺退転後は五社の中宮が札所をつかさどり、岩本寺が札所になったのは明治の再興以後であるという説がある。」歴史地名大系の該当記事の著者はご本尊にも興味はないようで、札所のことも適当に書かれているようだ。
 そこで、この御詠歌。「六つのちり五つのやしろあらわしてふかき仁井田の神のたのしみ」とある。中世までは窪川も仁井田も仁井田と称していたようで、仁井田の範囲は広いが、いつつのやしろあらわしては間違いなく五社(大明神)であり現在の高岡神社である。
 このことから私は先ず高岡神社に行って岩本寺に向かった。岩本寺もはじめて訪れた時より貫禄が出たと云えば云えるが、霊的感慨は高岡神社のほうが圧倒的に上。高岡神社で苔むす碑はいにしえの信心を今に伝えている。一方岩本寺にて納経の際、高岡神社とご本尊の関係を尋ねても満足のいくお答えが頂けなかった。短気な私はつい、弘法大師の足取りをたどる以上、本物は高岡神社でこちらさんは偽物だろうと思ってしまう。でも、帰ってネットをみていると、四国霊場第37番札所岩本寺と高岡神社~~高知旅行2日目その2(しばやんの日々:2010年 5月25日)によれば「巡拝者は仁井田五社(高岡神社)の中の宮に札を納めた後、岩本寺で納経を行ったという」とあり、時代は違うが基本的にこれで良いのだと思ったし、現実的には神社とお寺は全く別と思い切っている方々には岩本寺で良いのだろうと納得せざるを得なかった。 v(^_^)
 そして弘法大師の足どりを尋ねるなら、高岡神社、お勧めです。


36番青龍寺寺(未)-----道 中-----37番岩本寺(未)


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まる七

先日 足摺・窪川・須崎と行ってきました^^;
思った以上に足摺に早くについてしまって困りましたが‥^^;
マイペースですすんでいます‥
記事の安楽寺・善楽寺の事で‥
私の先祖の納経帳のお話を以前しましたが‥
30番は安楽寺でしたよ^^;
いったいいつごろの物なんですかねえ‥
by まる七 (2010-08-10 22:30) 

依光次郎

今ネットを見て思うだけですが・・・。

最初の合意(真言宗の会にて)は昭和17年。その時はうまく行かず。
その確認が昭和39年、昭和54年にもなされた。(真言宗の会にて)
いつかはっきりしませんが、安楽寺の住職が善楽寺の住職をかねて和解。
平成6年から合意通り、札所が善楽寺、奥の院が安楽寺に。

私の参拝は昭和49年です。安楽寺で御朱印(両寺併記)を貰っている記憶ですが、絶対かとなると心許ない。(^^;両寺に参拝した記憶があるもので・・・。

ご先祖の納経帳、ご住職が両寺を兼任する以前ではないでしょうか?
全く根拠はありません。m(_ _)m

by 依光次郎 (2010-08-10 23:04) 

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