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【vs正論】靖国神社 [コラム・評論]

【vs正論】靖国神社


 「セイロン」なんて書くと紅茶の話かスリランカかと思うが、「正論」と書かれて違うと感じると、言葉って強いなあと感じ、反論してみたくなる。該当するマイカテゴリーには【コラム】【評論】しか準備していない知子の情報であるが、題名に【vs正論】と付けさせていただいた。また、とくに靖国神社について深く考えたことはないと正直に述べておく(素人が納得して正論だろう)。記事はこれ、
【正論】加地伸行 「靖国」を全戦没者慰霊の場に
(原文より任意に抜粋)
≪やはり「心」の問題だ≫
 中国はオリンピックや国内治安で忙しく、韓国は現政権打倒の勢力がその運動に熱中していて、靖国神社問題について何一つ騒がない。彼らにとって靖国神社問題は、所詮(しょせん)、対日政策カードの一枚にすぎず、彼らの心の問題ではなかったことをはっきりと示している。
 しかし、日本人にとって靖国神社問題は心の問題である。騒がしくない今のこのときにこそ、静かに語るべきであろう。
≪松井大将の慰霊鎮魂の誠≫
 その提案とは、靖国神社の現行の春秋二例大祭の他に、8月15日に夏季特別大祭を新しく設けていただきたいという願いである。
 靖国神社拝殿に向かって左に、鎮魂社という小さな社がひっそりと建っている。昭和40年の創建で、靖国神社に合祀されていない日本人神霊(例えば西郷隆盛)や全世界の戦死者・戦禍犠牲者(例えば湾岸戦争関係者)の神霊がそこに祀(まつ)られている。
 その諸霊を英霊とともに新設の夏季特別大祭において降神して祭神とし、慰霊鎮魂の誠を尽くしていただきたいのである。
 A級戦犯として逮捕され、刑死した松井石根の主たる罪は昭和12年の南京事件の総責任者としてであった。しかし、松井大将は昭和14年に発願し、興亜観音の開眼(かいげん)法要を行い、敵味方ともに慰霊鎮魂し続けた。その観音寺(熱海市)には「支那事変日本戦没者霊位」「支那事変中華戦没者霊位」と記された二基の位牌(いはい)が並んでいる。
 退役した松井は戦前から昭和21年に戦犯として逮捕されるまで、雨の日も風の日も、2キロ以上の険しい山道を登って参詣し慰霊鎮魂を続けていたのであった。
≪敵味方なく夏季大祭を≫
 戦争においては、人間は己を正しいとし、それぞれの立場で戦う。憎みあって戦う。しかし、勇敢に戦った死者に対しては、生き残った者は敵味方の区別なく勇者として遇すべきであろう。
 われわれ日本人は、慰霊鎮魂を古代から行ってきた。敵への怨(うら)みも味方への親しみも越え、「怨親(おんしん)平等に回向(えこう)する」(松井のことば)のがわれわれ日本人である。
 それに基づけば、日本国を代表する首相であるならば、おのずと主体的に参拝することとなるであろう。主体的なのであるから、靖国神社問題を政策カードぐらいにしか思っていない外国勢力に右顧左眄(さべん)することはない。
 いや、首相だけではない。両陛下もまた日本人の心情、「怨親平等」を深く確(しか)と理解しておられるはずである。
 「すべての戦没者のために、平和のために祈る」ことを靖国神社が具体的に積極的に示されんことを願ってやまない。(かじ のぶゆき=立命館大学教授、大阪大学名誉教授)

 略した中に「これまで、靖国神社の存在の正当性について、多くの人によって語り尽くされたと言って過言でない。(改行)にもかかわらず、近隣諸国ならびに日本人の一部は、毎回、初歩的な話にもどるため、相変わらず同じ説明を繰り返さねばならない。」とある。またまた初歩的な話で申し訳ない。m(_ _)m

 まず、加地氏記事にあるように西郷隆盛は靖国神社に祭られていない。それは祭神が「天皇・朝廷・政府側の立場で命を捧げた」戦没者、英霊(死霊の美称)である」(靖国神社(Wikipedia))ためで、西南戦争の賊軍の大将は祭られない。すべての戦没者のため云々の加地氏記事には(@_@)である。また、そうしてはならない。

 靖国神社は戊辰戦争の戦死者を祭り、以後の天皇制軍国主義(この言葉は天皇が好戦的であったとの意味ではなく、天皇を利用して戦争に突っ走った意味)の象徴となってしまった。太平洋戦争終了までの日本人兵士に馴染みになってしまった「靖国で会おう」は、天皇のために国家のために命を投げ出すのが当然とされた教育の賜物である。戦前マルキストが、天皇の前での万民平等を理念として転向するのが思想的に可能であったほど、天皇を絶対的な神に祭り上げる教育を行っていた。そのような死を怖れぬ強い兵士を持つ軍事国家(でないと云われる方は対 GNPの軍事費の割合を m(_ _)m )形成に一役買ったのが靖国神社である。上官の命令は天皇陛下の命令という絶対服従のもと(上官の命令は陛下の命でなくてもほぼ絶対服従、ここでも陛下の名前が利用されたのだ)日本軍は戦った。

 でも、敗戦によって天皇主権から国民主権に憲法が変わった。大日本帝国憲法では憲法の改定は天皇によらなければならないが、日本国憲法は国民が憲法を確定した形になっており連続性がないが、それだけの変化が日本国民にあったというべきだろう。当然、ポツダム宣言受諾という無条件降伏(天皇のことは一切向こう任せ、ポツダム宣言受諾は御前会議の結論では?)の時点で、それまでの日本は解体し新しい日本が船出しなければならなかったということだろう。

 そこで日本は一度断ち切るべき過去を持ってしまったとも云える。申し訳ないが靖国神社も天皇のために斃れた兵士を祭る場所であり、天皇主権から国民主権になった時点で、戦死者が集まる唯一無二の場所としての役割を終えたとすべきだったのだ。いや、天皇のために戦争で斃れた兵士を祭る場所としてのみ、ひっそりと存続すべきなのだ。靖国神社のあるべき姿は、明治以降太平洋戦争敗戦までの、深い反省と戦没者に対する感謝の念を国民のひとりひとりが表す場所だろう。だが、深い反省には近隣諸国への侵攻も含まれ、戦没者に対する感謝の念だけで公人(政府・代議士、でも代議士が個人的心情で私人として行くのは仕方ない)は参加すべきでないと思う。公的には、憲法で示すように、日本は変わったのだ。

 昭和天皇の御心には反していたが、合祀されてしまったA級戦犯(刑死)の方々にも、ひっそりと靖国に居つづけて頂こう。そこは反省の場所であり、彼らも日本のことを考えて働いたとしなければ、死んだ者も浮かばれまい。騙されて戦死してしまったというのは、戦後の発想だ。すでにない旧憲法下での不幸な犠牲者でも、生きている時は赤心より陛下のために働いたはずだ。

 でも、その後も自衛隊の方などで国のために命を落とされた方がいる。彼らは天皇に統帥される軍には所属しない。キリスト教徒で合祀され問題になった方がいらっしゃったと思うが、戦没者と一緒に祭る施設を必要とするだろう。我々は太平洋戦争までに亡くなられた方々にも当然感謝し、今後の平和を祈念しなければならない。そのための施設を天皇制軍国主義の象徴としての靖国神社(そこでは旧憲法下の方々がやすんでおられる)以外に必要とする。

 怨親平等は当然のことである。ただ、その場所が靖国神社であることが問題。好意に甘えたくても絶対に来られない敵さんのいることを忘れておられるのでは?心の問題と云われるが、明治以降に靖国神社とともに形作られた「心」が問題だろうと戦後生まれは思う。


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コメント 3

依光次郎

Mineosaurusさん、kobakobaさん、mappyさん。
nice!ありがとうございました。m(_ _)m

 本来、靖国神社と「深い反省」は無縁でしょうが。(^^;
 戦前のままの靖国神社を認めることはできないと思われます。
 靖国神社とは関わりなく深い反省が国民全体にあったことは間違いないと考え、その象徴として靖国神社は相応しい役割を果たしたものだろうと。
 m(_ _)m

by 依光次郎 (2008-08-22 15:19) 

宗教に無縁人

靖国神社は戦後石橋湛山が廃止する意向でしたが病の為出来ませんでした。やはり死者を祀るのは墓地でしょうね。靖国は戦争遂行のための神社でしたから問題神社だと思います。ただ、特殊法人にする(麻生太郎)とかA級戦犯を分祀せよ(古賀誠)とか政治が介入するのはいけないと思います。一宗教法人として尊重すべきだと考えます。国会議員が集団で参拝する光景は異様で気持ち悪いですね。渡辺恒雄さんや野中広武さんがテレビで参拝を批判していたのは説得力ありました。参拝する議員は天皇に対してイヤガラセしているように思えます。
by 宗教に無縁人 (2008-08-23 19:22) 

依光次郎

宗教に無縁神さん、ご教示ありがとうございました。

お名前を拝見し、ついでに、お釈迦さんをご紹介します。(^^;
既存の宗教を徹底的に懐疑し自分の考えを進めた方で、死んだ後のことなどひと言も語っていません。キリストのように愛を語ることもありませんが、人間・人生を深く考えられたようです。オリジナルの教えに到達する文献が少ないようですが。(^^;

by 依光次郎 (2008-08-23 20:48) 

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