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放浪への憧れ [ケータイひとり言]

放浪への憧れ

 僕が遍路をはじめたのは、以前から四国在住の者としてドライブがてらお四国を回っていた。横峰寺と最後に行きたいと大窪寺を残していた。そして思わぬ病気をして、自宅療養をしていると折角お四国をまわっているのに終わっていないことが心残りだった。病気がそれなりに落ち着けば横峯寺・大窪寺から高野山へ必ず行く、そして回りはじめて30年以上経つ訳だから再度回りたいと思ってしまったわけだ。

 もう一度回るには歩いて行きたいと何となく思うようになった。それは退職して時間が有り余っている状況も関与したのだろう。決して信仰のため修行のためとは思わなかった。むしろお寺参りと云うそれなりの目的をもって時間を使うことに意義を見いだそうとしたのかもしれない。

 なぜお寺なのかと云えば、単に宗教的に仏教が好きだからとしか云えない。むしろ何故宗教かと自問すべきかも知れない。青春の頃突き詰める程ではないが、人生って?生きるって?と悩んだことがあるのだろう。自分のことと云いながら、そんなに深く悩んだ記憶はないのだが、全く悩んだことがないかと云えばホンの少しはある。

 しかしお四国を回りたいと思った主な理由は、何回も何回もお四国を回った方々への憧れでないかと思う。具体的には NHK特集「白い旅人たち」に出てくる霊山寺でのお婆ちゃんと番組で二回出てくるお爺ちゃんである。お爺ちゃんは台風の時川に流されて木にしがみついて助かりお大師さんのおかげを話していてが、お婆ちゃんは何回も回るに理由が要りますかねと立ち去る。

 何回も何回もお四国を回る方々と云っても「私は、何回目の巡礼です」と語る方々にお宿で出会っても、あまり感激しない。あっ、そうですかと思うだけ。当方お大師さんのおかげと思いたいが、仲々心の底から思えない不信心者。回る回数には(良い意味でなく)ご苦労様としか思えない。(^^;

 「白い旅人たち」の二人は家財道具と一緒に回っている。今でもそのような方々はいる。ただ、昔も今も通常歓迎されない、お遍路仲間からもあの人たちとは違うと思われている方が多い。しかし、このような方々が本来お遍路の原型なのでないだろうか?いや、勿論原型は修行僧にあるだろうから、遍路の主役と云うことで。

 そのことは、やはり「白い旅人たち」の中でも語られている。「ヘンロ」は上等で「ヘンド」はダメだと思ってしまうのは、それはそれで理由もあるけど、一方的な見方に過ぎないのかも知れない。何らかの理由で四国で終わりのない旅を続けるだけのことだろう。

 僕にはその旅は決して安易なものでないと思われる。安易でないことへの挑戦は好むところだ。そう思うと放浪も良いかなと(今まで表向きには安くつくからと (^^;ソレハソレデ本当)、つい思ってしまった。ついでに書くとお宿を頼って一回りしても何か物足りなかった。どうしてかと考えると、お大師さんもされていた宿探し、野宿をしていない(必ずしも放浪ってことではないが・・・)。

 放浪の基礎固め(^^;と野宿・テント泊もする遍路をしていたが、ぼつぼつ他のことへの好奇心が強くなるような気がする。僕ってブログの紹介にも書いているが、何をやっても素人でプロになれないなあ。放浪も憧れで終わるのだろうか?

P.S.
 じっくりテントの中で考えてと思っていたが、南国高知のテント内は日中暖かいなんてものでなくサウナの中!!充分意を尽くせず中途半端だが、こんなものは?として掲載します。あちらこちらブラブラしたいって方はいますよね。
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眞念庵 [ケータイひとり言]

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眞念庵

 この夏土佐清水に行くことになり、遍路として眞念庵を訪れたかった。実際伊豆田トンネルを抜けて右折、三原村への道で眞念庵を探した。眞念庵納経所があり、すぐ近くだ、レストラン水車からも道があると教えられた。その時は三人連れで、他のお二人もお四国には興味を持たれていたが(一人はヒッチハイクO.K.の若い遍路さん)、中途の寄り道であり行かなかった。納経所の息子さんが母親を呼び出してくれたので申し訳なく、お参りはまた必ず来るから納経して頂けるかと尋ねると、何時でも良いが出来ますとのことでお願いした。

 今回必ず眞念庵に参拝と思って、昨日ドライブイン水車近辺の駐車場にクルマを置いて伊豆田トンネルよりの標識に従って山に入った。ドライブインで昼食と思っていたが定休日の看板で食べずに山に入った。

 道しるべは結構あったが、道が二つに分かれている所からなくなっていて困った。左のほうが広いので、いにしえの主な道ならこちらと行ったが、広い所に出てチョット見には先がないようだった。もどって狭いほうはドンドンと登って行くし、クルマから離れて行く。下を見ると結構奥まで来た感じがする。尾根までもう少しになったがチョット低血糖気味になり、無理をして道に迷ってはと戻った。本当に国道の近くには道しるべがあるが、少し奥には(僕が別の道に入り込んだのでなければ)標識がなかった。

 そこで今日は納経所があった村から登ることにした。クルマで納経所のお家を過ぎるとすぐに左眞念庵右延光寺の石柱が立っていた。眞念庵まで180m、昨日のことを思うと楽勝である。実際道も良く(昨日のほうが遍路道の雰囲気はある)すぐに着いた。

 屋根なども昔からある建造物ってことはなく、やっとたどり着けましたと参拝。しかし、眞念庵の周辺の雰囲気は非常に気に入った。今回は遠慮したが(また昼食前になってしまった)、奥に行く道も竹藪に囲まれて広い。

 何より良かったのはミニ八十八ヶ所。二列に整然と並んで、所々に花が置かれている。参拝者が持ってきた可能性もあるが、花の種類・数から地元の方々が今も参拝されているのだろう。本当に気持ち良かった。

 歩き遍路は基本的に寄り道をしたくない。疲れているし、足の調子も万全でないかも知れない。でも、歩き遍路のリーダー眞念さんに感謝の意を表するに、伊豆田トンネルを抜け右折すればそう遠くない所に眞念庵はあります。そこからは足摺には来た道でも良いし、僕が迷った足摺街道(旧遍路道)へのチャレンジでも良いのでは(僕が歩いていた道が正しければ下道よりはチョットきつい)。

P.S.この記事はいずれ写真を加えて書き直します。
m(_ _)m
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足摺岬が鰹のたたき発祥の地 [ケータイひとり言]

足摺岬が鰹のたたき発祥の地とご存じですか?

 今日のお昼ごはんは、伊豆田トンネルを抜けたドライブイン水車でと思っていた。昨日寄ったが、定休日となっていたからだ。ところが今日も「定休日」・・・。近くでの用事を済ませて土佐清水の市街に行った。歩き遍路の時立ち寄ったパスタ屋さん(元のバスセンター近く)が感じよかったからだが、クルマを停める場所が判らなかった。結局、ぐるりと回ってお馴染みの足摺黒潮市場の食堂に向かった。

 ある方がラーメンとカレーライスは全国何処でもあり、ラーメンに当たり外れはあるがカレーライスにはそれがないと仰言っていた。そうだそうだと思ったが、その後やはりカレーライスでも外れはあると思い知ったことがある。同様な言草になるだろうが、高知でたたきに当たり外れはないと思う。そこでたたき定食を注文した。

 そのたたきだが、これが鰹のたたきであると定番はない。高知市内ではタレをつけるのが普通だが、生まれ故郷の宿毛ではたたきがタレの中に浸かっているのが普通だ(った?)。これが高知県でも東のほうに行くとゆずが加わったりして調理法が複雑になるようだ。

 足摺黒潮市場で何気なくメニューを見ていると、この記事の題目「足摺岬が鰹のたたき発祥の地とご存じですか?」とあり、別ページに土佐清水の西海岸が発祥の地と書いて、鰹の古語、松魚(まつうお)が訛って地名松尾になったと足摺岬西海岸が擬せられている。別ページにたたきの発祥地には諸説あると書かれているので別段文句を付けるわけでない。

 僕の知っている範囲では、鰹のたたきは九州から大月町に伝わり土佐で徐々に東に伝わっていったと云うものだ。大月町でも(足摺岬西海岸ではなく)土佐清水市の西海岸でも同じようなものだろう。この知識は上に書いた調理法の変化を研究された方が(僕が学生の頃)ラジオで語っていた話からである。確かに調理法としては西が簡素で東は手が込んでいる。ここの所高知市内でも塩たたきと出されるが、幡多の一部に残っていたものだ(食塩でなく天然塩が容易に入手可能になったのもリバイバルの一因だろう)。

 なぜ九州からかは判らない。九州の豊後水道沿いに同じ食べ方があるのだったら、幡多と同一発生と思ってもよいと思う。鹿児島は枕崎まで遡ることが出来ればオリジナリティは、そちらかも知れない。しかし、鰹のたたきとして調理法を確立発展させたのは幡多・土佐であることに間違いはないと思う。学者の見解統一ならずと教えられたことがある。足摺岬でも大月町でも九州でも良いが、今日の足摺黒潮市場、美味しかったです。v(^_^)
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今回からの新兵器 [ケータイひとり言]

今回からの新兵器
 今までのテント泊と違う点がある。外は暗闇になっているがテント内に充分広がる明かりがある。時にヘッドライトでポメラの入力をしたこともあるが、たかが入力に大事なヘッドライトの電池が勿体ないと思っていた。今回はテントにランタンを吊している。

 雑誌などのコマーシャルで LED電球ながら風などで明かりがゆれると好評のスノーピーク「ほおずき」である。一人用テントにはチョット大柄だが、運搬時白い部分が柔らかくバッグの中でも、過度の圧迫を避けて、適当に上のほうなら大丈夫だ。

 しかし、肝腎の炎の揺らぎが期待したほどでないようだ。先刻から風が強くなりテントがバタバタしはじめ、時に変形する程になり「ほおずき」全体が揺れているが炎の揺れが少ない(ないと思って書きはじめたが数回チカチカとゆれた)。今まで手で持ったりするとチカチカしていたので風が吹けばと期待していたが、「ほおずき」が期待通りの光をくれる時は割と強風になってからかな?
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アホと云う声が聞こえる [ケータイひとり言]

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アホと云う声が聞こえる

(原題:チョット寒いけどテント泊)

 女房殿から電話があった。受信ボタンを押すと(おそらく、うちの亭主は)アホだからと聞こえた。仕事場仲間に話しているのだろう。わざわざ亭主のことを話さなくても良いと思うが、バカとは散々云われてきたが、アホとはあまり云われたことないなあと思わずにやりとしてしまった。寒い時にテント泊が女房殿にはアホ以外のなにものでもないのだろう。

 今年の梅雨頃から、勤務のない週にはお遍路をしていた。前回左膝の痛みのためこだわりの歩きをやめ、クルマで横峰寺まで行ってしまったので気合いが入らないと云うか、さあ休みだ!!歩きに行こう!!と思えなかった。歩きはじめても膝の痛みのためにほとんど歩けない状態にまたなるのでないか、と心配もする。

 先々週も遍路を休んでいた。おかげで国民宿舎土佐にお風呂目的で来られた野宿遍路の二人連れにコーヒーのお接待をすることもできた。私の連れはお四国に興味のない方だったがお接待したいと、コーヒー代を半々にし納め札も二人で分けた。この二人連れの野宿遍路さん。元来山登りされる方々で、私はテントのことなど教えていただいた。

 先週は以後も大人しくしていたが、テント泊をしたくてムズムズするようになっていた。(^^;私は夏の頃から寒さ対策をした重量を背負って歩いていた。やっと、その装備が役立つだろうに残念でもあった。そこで前向きに次のように考えたのだ(アホかなあ・・・)。

 歩いていると、昼でもここにテントを張ってゆっくりしたいなあと思ったことがある。昼にゆっくりテントでくつろぐのも一興だろう。その予定であり、南国高知、日中テントの中は暖かい。そして遍路中テント泊をしてもコンビニ弁当などで、ご飯を炊いたことがない。ご飯を炊いてみたい。(飯ごう・焚き火の炊飯は何回もしたが、コッヘルで炊いたことがないのだ。)

 でも軟弱者のためコッヘルにアルミ箔でなく、アウトドアショップでみかけた「不思議な めし袋」(UNIFLAME)を購入して持ってきた。女房殿の電話はもう少しで炊きあがる頃だった。最後に空の容器で蓋をして 5~10分蒸らすってのを忘れて食べたが芯はなかった。むしろ柔らかすぎる感じだった。次回は間違いなく炊けるだろうが、オコゲはできない。(^^;

 アホと云われても、三月の霜降り注意報の日にもテント泊をした同じ場所だ。コクーンのシルクインナーも加わっておりまず問題ないと思っている。今治でも朝は寒かったよ、安心してね女房殿m(_ _)m(オッと早四週前か・・・、アホじゃなく軽くバカと云って (^^; )。
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