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一心庵(土佐清水市下ノ加江)さんには「売家」の張り紙 [四国遍路]
一心庵(土佐清水市下ノ加江)さんには「売家」の張り紙
2012年 4月 5日、僕は下ノ加江海浜公園でテント泊をして足摺岬に向かっていた。昨年は金剛福寺からお遍路をはじめたもので、無事終わったお礼参りだ(全部を回りきる前に大日寺からつないで岩本寺からも歩いて来ていたがお礼参りとして来たくなり、伊豆田トンネル手前でやめていた)。
一昨年1日 8Kmの行程ではじめた歩き遍路だったが、一日24-25Kmは歩ける様になってきた。強い痛みに堪えながら歩いていたが、徐々に強い痛みは減ってきた。軽い痛みは続いているが、辛抱できなくなってしまう45分ほどは割と気楽に歩き続けることが出来るようになっている。時間を充分にとれば、30Km近い距離も可能でないかと思っている。
例えば一昨年伊豆田トンネルを歩いた時、トンネルの手前で充分足を休めて入ったが、通り抜けるまでに痛みが楽になるまで四回休まざるを得なかった。立ったままだと楽になるまで一回当たり10分はかかる。だから長いトンネルを何時抜けることが出来るのかと絶望に近い思いをした。それが今回、伊豆田北坂でバスを降りてレストラン水車横の休憩所まで休むことなく歩けるのだ。v(^_^)
しかし、今でも45分前後で休まないと、痛みと痺れ感で足が動かなくなる。そうなると一昨年と同様だ。どこでも座れそうな場所を見つけて休まなくてはいけなくなる(もっとも一昨年は待ったなしになるので、イスパックを購入した)。座れそうな場所を見つけるのは慣れている。乾いた側溝なら足を下ろして座り込む、探してみるとコンクリートの階段が海や川、山に向かって結構あるものだ、人が居る所で、それなりに座れそうな所があれば声をかけて断られることはまずない・・・。
この時もそうだった、足が痛くなっていた。風も強いので笠の紐をもう少し絞めておきたいと、どこかないかと見ると国道からチョット離れた広場に椅子がある。迷わず座りに行き笠を外し紐を直そうとした。そうしていると道の向こう側からご年輩の女性が来てくれた。
「笠が壊れたのですか?」「宜しかったら、これを。」と錦の納め札とオロナミンCを頂戴した。正直、錦の納め札は好みでない。(^^;今までにも二回頂いたが、それをありがたがる方に差し上げた。でもお接待の錦札、丁寧にお礼を云って話はじめた。「どちらからですか?」バスに乗ったのは宿毛からだから、正直に地元宿毛ですと答えた。「私も随分クルマでお参りさせて頂いたが、本当に歩きの方は大変ですね。」「お遍路さんのために一心庵と云う所でお接待させて頂いていました。今でもトイレは開けてあげたいのですが・・・」ここで、エッと思った。
一心庵さんは伊豆田トンネル・ドライブイン水車とともに下ノ加江近郊の目印になる所だった。国道から行くと下ノ加江の家々を通過し右折、橋を渡り国道が左にまわる所にあり、そこは旧遍路道との交差点であり旧遍路道(中村・三原両方)を通ってきても一心庵の前を通過する。白い建物自体も目立つが、お遍路案内所休憩所とともに一心庵としっかり書かれている。評判も良く宿泊や立ち寄る歩き遍路さんが多いところだった。前日海浜公園に行く前に寄ってみたいと思っていたが、「売家」と張られていた。僕は残念な気持ちになったものだ。
道隆さん(隆は旧字体が本当と)のことは山陽新聞 得度女性営む無料休憩所に写真付きで紹介されている。
僕が休憩したばかりに、わざわざ国道の向こう側からお接待に来てくれたのだ。感謝感激である。一心庵さんは売家になっていますが、庵主一心庵道隆さんはお元気で土佐清水市にご在住です。そのことをブログに書いて構いませんかと尋ねると、ネットではほとんど発信しなかったが皆様にはいろいろ書いて頂いた。どうぞ、書いて下さいと自然体。道隆さんの錦の納札、納経帳に挟んで一緒に回らせて頂きます。
P.S. 明日から三回目(二回目は膝を痛めて半分ほどクルマ)の歩きをはじめます。
2012年 4月 5日、僕は下ノ加江海浜公園でテント泊をして足摺岬に向かっていた。昨年は金剛福寺からお遍路をはじめたもので、無事終わったお礼参りだ(全部を回りきる前に大日寺からつないで岩本寺からも歩いて来ていたがお礼参りとして来たくなり、伊豆田トンネル手前でやめていた)。
一昨年1日 8Kmの行程ではじめた歩き遍路だったが、一日24-25Kmは歩ける様になってきた。強い痛みに堪えながら歩いていたが、徐々に強い痛みは減ってきた。軽い痛みは続いているが、辛抱できなくなってしまう45分ほどは割と気楽に歩き続けることが出来るようになっている。時間を充分にとれば、30Km近い距離も可能でないかと思っている。
例えば一昨年伊豆田トンネルを歩いた時、トンネルの手前で充分足を休めて入ったが、通り抜けるまでに痛みが楽になるまで四回休まざるを得なかった。立ったままだと楽になるまで一回当たり10分はかかる。だから長いトンネルを何時抜けることが出来るのかと絶望に近い思いをした。それが今回、伊豆田北坂でバスを降りてレストラン水車横の休憩所まで休むことなく歩けるのだ。v(^_^)
しかし、今でも45分前後で休まないと、痛みと痺れ感で足が動かなくなる。そうなると一昨年と同様だ。どこでも座れそうな場所を見つけて休まなくてはいけなくなる(もっとも一昨年は待ったなしになるので、イスパックを購入した)。座れそうな場所を見つけるのは慣れている。乾いた側溝なら足を下ろして座り込む、探してみるとコンクリートの階段が海や川、山に向かって結構あるものだ、人が居る所で、それなりに座れそうな所があれば声をかけて断られることはまずない・・・。
この時もそうだった、足が痛くなっていた。風も強いので笠の紐をもう少し絞めておきたいと、どこかないかと見ると国道からチョット離れた広場に椅子がある。迷わず座りに行き笠を外し紐を直そうとした。そうしていると道の向こう側からご年輩の女性が来てくれた。
「笠が壊れたのですか?」「宜しかったら、これを。」と錦の納め札とオロナミンCを頂戴した。正直、錦の納め札は好みでない。(^^;今までにも二回頂いたが、それをありがたがる方に差し上げた。でもお接待の錦札、丁寧にお礼を云って話はじめた。「どちらからですか?」バスに乗ったのは宿毛からだから、正直に地元宿毛ですと答えた。「私も随分クルマでお参りさせて頂いたが、本当に歩きの方は大変ですね。」「お遍路さんのために一心庵と云う所でお接待させて頂いていました。今でもトイレは開けてあげたいのですが・・・」ここで、エッと思った。
一心庵さんは伊豆田トンネル・ドライブイン水車とともに下ノ加江近郊の目印になる所だった。国道から行くと下ノ加江の家々を通過し右折、橋を渡り国道が左にまわる所にあり、そこは旧遍路道との交差点であり旧遍路道(中村・三原両方)を通ってきても一心庵の前を通過する。白い建物自体も目立つが、お遍路案内所休憩所とともに一心庵としっかり書かれている。評判も良く宿泊や立ち寄る歩き遍路さんが多いところだった。前日海浜公園に行く前に寄ってみたいと思っていたが、「売家」と張られていた。僕は残念な気持ちになったものだ。
道隆さん(隆は旧字体が本当と)のことは山陽新聞 得度女性営む無料休憩所に写真付きで紹介されている。
起業したこともある。それを整理し、インドを旅し、50歳を超えて、たまたまバスツアーできたお四国にはまった。そして遍路をはじめて十数年前に得度した後、
無料休憩所を考え、借家を探して、現在地に落ち着いた。休憩だけでなく、請われれば宿泊も。食事に翌日の弁当まで付ける。とあるので一心庵はご自分のものではなかったようだ。他のサイトによると開業までに牟岐町駅前の旅館「あずま」で一年間女将さんと生活をともにしたようだ。
自らも車の遍路を続けながら、遍路のために生きる。ことにしたが、
人を泊めたりすると責任があるから、いい加減にできません。大変です。余生は山にこもろうかと話しておられる。いずれは一心庵も閉じる気持ちがあったのかもしれない。僕は一度も立ち寄っていない(歩きの一度目は安宿さん泊まり、この時が二度目)ので、今回は寄ってみようと思っていたのだ。「売家」の張り紙を見て、宮城県気仙沼ご出身、震災があり故郷に帰られたのか?ご縁がなかったと思っていたのだ。
僕が休憩したばかりに、わざわざ国道の向こう側からお接待に来てくれたのだ。感謝感激である。一心庵さんは売家になっていますが、庵主一心庵道隆さんはお元気で土佐清水市にご在住です。そのことをブログに書いて構いませんかと尋ねると、ネットではほとんど発信しなかったが皆様にはいろいろ書いて頂いた。どうぞ、書いて下さいと自然体。道隆さんの錦の納札、納経帳に挟んで一緒に回らせて頂きます。
P.S. 明日から三回目(二回目は膝を痛めて半分ほどクルマ)の歩きをはじめます。
チョット興奮して眠られない [ケータイひとり言]
チョット興奮して眠られない
その興奮したことを、メモ的にだが、ポメラで書いて気分が少し落ち着いた。ここはもう少し普段の気持ちになるように続けよう。
以前このポメラが見えなくなり、紛失したかと思ったことがある。その時次のポメラはATOKが賢くなると良いなと思ったのでグダグダと書いた。幸いポメラが見つかりそのまま使っているが、「次のポメラ」が発売され形態の変化もあったがATOKは間違いなく賢くなったようだ。PC版ATOKはほぼ期待通りの変換をしてくれるから、ATOKそのものには満足している(「えいとっく」と打ってもATOKにならないポメラ版、「ぜろせん」と打つと零式艦上戦闘機と返るPC版)。ポメラ版がおそらくメモリの関係でDM10,DM20,DM100と進化しているだけの話だ。
DM20かDM100かお迷いの方もいらっしゃるだろう。バタフライ・キーボードかストレートタイプかの形態の違いだけでなく、機能もDM100が進歩している。ブルーツース・辞書の搭載はありがたい機能だろうし、ATOKも長い単語でなければ2万語登録できるとのこと。まあキーボードのタイプがどうでも良い方はDM100が無難だろう。
しかし敢えて書くが(^^;、クルマ好きにはDM20YURAモデル(DM20Y)も捨て難い。キーボードを開く際に注意書きがある。標準(僕のDM10)では割とどぎつい注意書きが目に飛び込むが、このモデルは左側のキーボードが出たり入ったりする様子からか、ピストンが描かれ注意は控えめに(しかし、しっかりと)書かれている。
キーボードもファンクションキー1にはF1の文字とともにF1イラストが描かれ、リターンキー(決定キー)はチェッカーフラグだ。ポールポジションのPは青文字、スタートのSは赤文字だ。クルマ好きとしては、思わずニコッとしたくなる。
このモデル、(DM20で比較して)好みは皮カバー付着で別れるところ。機械としての高級感はグッと良くなる。手で持った雰囲気も良い。ただカバーを開けただけでは若干キーボードがグラグラする。これが店頭で嫌われるようだ。私はそれも気にならなかったので構わないのだが・・・。もっとも(今やってみると)カバーを後ろに回すか、ディスプレイをいっぱいに立てるか寝かすかすると安定はする。
機能にこだわらず、タイプでDM20かDM100を迷われているクルマ好きにはYURAモデル、お勧めです。(ポメラって機種の進歩とともに複数持たれる方がーネットではー多いようだからDM100から購入し、DM20も気になるお金持ちのクルマ好きにも (^^; )
P.S.
僕も、これを入力するために蛍光灯を点けるのだから、DM100をいずれ買うだろうけど・・・。
その興奮したことを、メモ的にだが、ポメラで書いて気分が少し落ち着いた。ここはもう少し普段の気持ちになるように続けよう。
以前このポメラが見えなくなり、紛失したかと思ったことがある。その時次のポメラはATOKが賢くなると良いなと思ったのでグダグダと書いた。幸いポメラが見つかりそのまま使っているが、「次のポメラ」が発売され形態の変化もあったがATOKは間違いなく賢くなったようだ。PC版ATOKはほぼ期待通りの変換をしてくれるから、ATOKそのものには満足している(「えいとっく」と打ってもATOKにならないポメラ版、「ぜろせん」と打つと零式艦上戦闘機と返るPC版)。ポメラ版がおそらくメモリの関係でDM10,DM20,DM100と進化しているだけの話だ。
DM20かDM100かお迷いの方もいらっしゃるだろう。バタフライ・キーボードかストレートタイプかの形態の違いだけでなく、機能もDM100が進歩している。ブルーツース・辞書の搭載はありがたい機能だろうし、ATOKも長い単語でなければ2万語登録できるとのこと。まあキーボードのタイプがどうでも良い方はDM100が無難だろう。
しかし敢えて書くが(^^;、クルマ好きにはDM20YURAモデル(DM20Y)も捨て難い。キーボードを開く際に注意書きがある。標準(僕のDM10)では割とどぎつい注意書きが目に飛び込むが、このモデルは左側のキーボードが出たり入ったりする様子からか、ピストンが描かれ注意は控えめに(しかし、しっかりと)書かれている。
キーボードもファンクションキー1にはF1の文字とともにF1イラストが描かれ、リターンキー(決定キー)はチェッカーフラグだ。ポールポジションのPは青文字、スタートのSは赤文字だ。クルマ好きとしては、思わずニコッとしたくなる。
このモデル、(DM20で比較して)好みは皮カバー付着で別れるところ。機械としての高級感はグッと良くなる。手で持った雰囲気も良い。ただカバーを開けただけでは若干キーボードがグラグラする。これが店頭で嫌われるようだ。私はそれも気にならなかったので構わないのだが・・・。もっとも(今やってみると)カバーを後ろに回すか、ディスプレイをいっぱいに立てるか寝かすかすると安定はする。
機能にこだわらず、タイプでDM20かDM100を迷われているクルマ好きにはYURAモデル、お勧めです。(ポメラって機種の進歩とともに複数持たれる方がーネットではー多いようだからDM100から購入し、DM20も気になるお金持ちのクルマ好きにも (^^; )
P.S.
僕も、これを入力するために蛍光灯を点けるのだから、DM100をいずれ買うだろうけど・・・。
放浪への憧れ [ケータイひとり言]
放浪への憧れ
僕が遍路をはじめたのは、以前から四国在住の者としてドライブがてらお四国を回っていた。横峰寺と最後に行きたいと大窪寺を残していた。そして思わぬ病気をして、自宅療養をしていると折角お四国をまわっているのに終わっていないことが心残りだった。病気がそれなりに落ち着けば横峯寺・大窪寺から高野山へ必ず行く、そして回りはじめて30年以上経つ訳だから再度回りたいと思ってしまったわけだ。
もう一度回るには歩いて行きたいと何となく思うようになった。それは退職して時間が有り余っている状況も関与したのだろう。決して信仰のため修行のためとは思わなかった。むしろお寺参りと云うそれなりの目的をもって時間を使うことに意義を見いだそうとしたのかもしれない。
なぜお寺なのかと云えば、単に宗教的に仏教が好きだからとしか云えない。むしろ何故宗教かと自問すべきかも知れない。青春の頃突き詰める程ではないが、人生って?生きるって?と悩んだことがあるのだろう。自分のことと云いながら、そんなに深く悩んだ記憶はないのだが、全く悩んだことがないかと云えばホンの少しはある。
しかしお四国を回りたいと思った主な理由は、何回も何回もお四国を回った方々への憧れでないかと思う。具体的には NHK特集「白い旅人たち」に出てくる霊山寺でのお婆ちゃんと番組で二回出てくるお爺ちゃんである。お爺ちゃんは台風の時川に流されて木にしがみついて助かりお大師さんのおかげを話していてが、お婆ちゃんは何回も回るに理由が要りますかねと立ち去る。
何回も何回もお四国を回る方々と云っても「私は、何回目の巡礼です」と語る方々にお宿で出会っても、あまり感激しない。あっ、そうですかと思うだけ。当方お大師さんのおかげと思いたいが、仲々心の底から思えない不信心者。回る回数には(良い意味でなく)ご苦労様としか思えない。(^^;
「白い旅人たち」の二人は家財道具と一緒に回っている。今でもそのような方々はいる。ただ、昔も今も通常歓迎されない、お遍路仲間からもあの人たちとは違うと思われている方が多い。しかし、このような方々が本来お遍路の原型なのでないだろうか?いや、勿論原型は修行僧にあるだろうから、遍路の主役と云うことで。
そのことは、やはり「白い旅人たち」の中でも語られている。「ヘンロ」は上等で「ヘンド」はダメだと思ってしまうのは、それはそれで理由もあるけど、一方的な見方に過ぎないのかも知れない。何らかの理由で四国で終わりのない旅を続けるだけのことだろう。
僕にはその旅は決して安易なものでないと思われる。安易でないことへの挑戦は好むところだ。そう思うと放浪も良いかなと(今まで表向きには安くつくからと (^^;ソレハソレデ本当)、つい思ってしまった。ついでに書くとお宿を頼って一回りしても何か物足りなかった。どうしてかと考えると、お大師さんもされていた宿探し、野宿をしていない(必ずしも放浪ってことではないが・・・)。
放浪の基礎固め(^^;と野宿・テント泊もする遍路をしていたが、ぼつぼつ他のことへの好奇心が強くなるような気がする。僕ってブログの紹介にも書いているが、何をやっても素人でプロになれないなあ。放浪も憧れで終わるのだろうか?
P.S.
じっくりテントの中で考えてと思っていたが、南国高知のテント内は日中暖かいなんてものでなくサウナの中!!充分意を尽くせず中途半端だが、こんなものは?として掲載します。あちらこちらブラブラしたいって方はいますよね。
僕が遍路をはじめたのは、以前から四国在住の者としてドライブがてらお四国を回っていた。横峰寺と最後に行きたいと大窪寺を残していた。そして思わぬ病気をして、自宅療養をしていると折角お四国をまわっているのに終わっていないことが心残りだった。病気がそれなりに落ち着けば横峯寺・大窪寺から高野山へ必ず行く、そして回りはじめて30年以上経つ訳だから再度回りたいと思ってしまったわけだ。
もう一度回るには歩いて行きたいと何となく思うようになった。それは退職して時間が有り余っている状況も関与したのだろう。決して信仰のため修行のためとは思わなかった。むしろお寺参りと云うそれなりの目的をもって時間を使うことに意義を見いだそうとしたのかもしれない。
なぜお寺なのかと云えば、単に宗教的に仏教が好きだからとしか云えない。むしろ何故宗教かと自問すべきかも知れない。青春の頃突き詰める程ではないが、人生って?生きるって?と悩んだことがあるのだろう。自分のことと云いながら、そんなに深く悩んだ記憶はないのだが、全く悩んだことがないかと云えばホンの少しはある。
しかしお四国を回りたいと思った主な理由は、何回も何回もお四国を回った方々への憧れでないかと思う。具体的には NHK特集「白い旅人たち」に出てくる霊山寺でのお婆ちゃんと番組で二回出てくるお爺ちゃんである。お爺ちゃんは台風の時川に流されて木にしがみついて助かりお大師さんのおかげを話していてが、お婆ちゃんは何回も回るに理由が要りますかねと立ち去る。
何回も何回もお四国を回る方々と云っても「私は、何回目の巡礼です」と語る方々にお宿で出会っても、あまり感激しない。あっ、そうですかと思うだけ。当方お大師さんのおかげと思いたいが、仲々心の底から思えない不信心者。回る回数には(良い意味でなく)ご苦労様としか思えない。(^^;
「白い旅人たち」の二人は家財道具と一緒に回っている。今でもそのような方々はいる。ただ、昔も今も通常歓迎されない、お遍路仲間からもあの人たちとは違うと思われている方が多い。しかし、このような方々が本来お遍路の原型なのでないだろうか?いや、勿論原型は修行僧にあるだろうから、遍路の主役と云うことで。
そのことは、やはり「白い旅人たち」の中でも語られている。「ヘンロ」は上等で「ヘンド」はダメだと思ってしまうのは、それはそれで理由もあるけど、一方的な見方に過ぎないのかも知れない。何らかの理由で四国で終わりのない旅を続けるだけのことだろう。
僕にはその旅は決して安易なものでないと思われる。安易でないことへの挑戦は好むところだ。そう思うと放浪も良いかなと(今まで表向きには安くつくからと (^^;ソレハソレデ本当)、つい思ってしまった。ついでに書くとお宿を頼って一回りしても何か物足りなかった。どうしてかと考えると、お大師さんもされていた宿探し、野宿をしていない(必ずしも放浪ってことではないが・・・)。
放浪の基礎固め(^^;と野宿・テント泊もする遍路をしていたが、ぼつぼつ他のことへの好奇心が強くなるような気がする。僕ってブログの紹介にも書いているが、何をやっても素人でプロになれないなあ。放浪も憧れで終わるのだろうか?
P.S.
じっくりテントの中で考えてと思っていたが、南国高知のテント内は日中暖かいなんてものでなくサウナの中!!充分意を尽くせず中途半端だが、こんなものは?として掲載します。あちらこちらブラブラしたいって方はいますよね。
眞念庵 [ケータイひとり言]

この夏土佐清水に行くことになり、遍路として眞念庵を訪れたかった。実際伊豆田トンネルを抜けて右折、三原村への道で眞念庵を探した。眞念庵納経所があり、すぐ近くだ、レストラン水車からも道があると教えられた。その時は三人連れで、他のお二人もお四国には興味を持たれていたが(一人はヒッチハイクO.K.の若い遍路さん)、中途の寄り道であり行かなかった。納経所の息子さんが母親を呼び出してくれたので申し訳なく、お参りはまた必ず来るから納経して頂けるかと尋ねると、何時でも良いが出来ますとのことでお願いした。
今回必ず眞念庵に参拝と思って、昨日ドライブイン水車近辺の駐車場にクルマを置いて伊豆田トンネルよりの標識に従って山に入った。ドライブインで昼食と思っていたが定休日の看板で食べずに山に入った。
道しるべは結構あったが、道が二つに分かれている所からなくなっていて困った。左のほうが広いので、いにしえの主な道ならこちらと行ったが、広い所に出てチョット見には先がないようだった。もどって狭いほうはドンドンと登って行くし、クルマから離れて行く。下を見ると結構奥まで来た感じがする。尾根までもう少しになったがチョット低血糖気味になり、無理をして道に迷ってはと戻った。本当に国道の近くには道しるべがあるが、少し奥には(僕が別の道に入り込んだのでなければ)標識がなかった。
そこで今日は納経所があった村から登ることにした。クルマで納経所のお家を過ぎるとすぐに左眞念庵右延光寺の石柱が立っていた。眞念庵まで180m、昨日のことを思うと楽勝である。実際道も良く(昨日のほうが遍路道の雰囲気はある)すぐに着いた。
屋根なども昔からある建造物ってことはなく、やっとたどり着けましたと参拝。しかし、眞念庵の周辺の雰囲気は非常に気に入った。今回は遠慮したが(また昼食前になってしまった)、奥に行く道も竹藪に囲まれて広い。
何より良かったのはミニ八十八ヶ所。二列に整然と並んで、所々に花が置かれている。参拝者が持ってきた可能性もあるが、花の種類・数から地元の方々が今も参拝されているのだろう。本当に気持ち良かった。
歩き遍路は基本的に寄り道をしたくない。疲れているし、足の調子も万全でないかも知れない。でも、歩き遍路のリーダー眞念さんに感謝の意を表するに、伊豆田トンネルを抜け右折すればそう遠くない所に眞念庵はあります。そこからは足摺には来た道でも良いし、僕が迷った足摺街道(旧遍路道)へのチャレンジでも良いのでは(僕が歩いていた道が正しければ下道よりはチョットきつい)。
P.S.この記事はいずれ写真を加えて書き直します。
m(_ _)m
足摺岬が鰹のたたき発祥の地 [ケータイひとり言]
足摺岬が鰹のたたき発祥の地とご存じですか?
今日のお昼ごはんは、伊豆田トンネルを抜けたドライブイン水車でと思っていた。昨日寄ったが、定休日となっていたからだ。ところが今日も「定休日」・・・。近くでの用事を済ませて土佐清水の市街に行った。歩き遍路の時立ち寄ったパスタ屋さん(元のバスセンター近く)が感じよかったからだが、クルマを停める場所が判らなかった。結局、ぐるりと回ってお馴染みの足摺黒潮市場の食堂に向かった。
ある方がラーメンとカレーライスは全国何処でもあり、ラーメンに当たり外れはあるがカレーライスにはそれがないと仰言っていた。そうだそうだと思ったが、その後やはりカレーライスでも外れはあると思い知ったことがある。同様な言草になるだろうが、高知でたたきに当たり外れはないと思う。そこでたたき定食を注文した。
そのたたきだが、これが鰹のたたきであると定番はない。高知市内ではタレをつけるのが普通だが、生まれ故郷の宿毛ではたたきがタレの中に浸かっているのが普通だ(った?)。これが高知県でも東のほうに行くとゆずが加わったりして調理法が複雑になるようだ。
足摺黒潮市場で何気なくメニューを見ていると、この記事の題目「足摺岬が鰹のたたき発祥の地とご存じですか?」とあり、別ページに土佐清水の西海岸が発祥の地と書いて、鰹の古語、松魚(まつうお)が訛って地名松尾になったと足摺岬西海岸が擬せられている。別ページにたたきの発祥地には諸説あると書かれているので別段文句を付けるわけでない。
僕の知っている範囲では、鰹のたたきは九州から大月町に伝わり土佐で徐々に東に伝わっていったと云うものだ。大月町でも(足摺岬西海岸ではなく)土佐清水市の西海岸でも同じようなものだろう。この知識は上に書いた調理法の変化を研究された方が(僕が学生の頃)ラジオで語っていた話からである。確かに調理法としては西が簡素で東は手が込んでいる。ここの所高知市内でも塩たたきと出されるが、幡多の一部に残っていたものだ(食塩でなく天然塩が容易に入手可能になったのもリバイバルの一因だろう)。
なぜ九州からかは判らない。九州の豊後水道沿いに同じ食べ方があるのだったら、幡多と同一発生と思ってもよいと思う。鹿児島は枕崎まで遡ることが出来ればオリジナリティは、そちらかも知れない。しかし、鰹のたたきとして調理法を確立発展させたのは幡多・土佐であることに間違いはないと思う。学者の見解統一ならずと教えられたことがある。足摺岬でも大月町でも九州でも良いが、今日の足摺黒潮市場、美味しかったです。v(^_^)
今日のお昼ごはんは、伊豆田トンネルを抜けたドライブイン水車でと思っていた。昨日寄ったが、定休日となっていたからだ。ところが今日も「定休日」・・・。近くでの用事を済ませて土佐清水の市街に行った。歩き遍路の時立ち寄ったパスタ屋さん(元のバスセンター近く)が感じよかったからだが、クルマを停める場所が判らなかった。結局、ぐるりと回ってお馴染みの足摺黒潮市場の食堂に向かった。
ある方がラーメンとカレーライスは全国何処でもあり、ラーメンに当たり外れはあるがカレーライスにはそれがないと仰言っていた。そうだそうだと思ったが、その後やはりカレーライスでも外れはあると思い知ったことがある。同様な言草になるだろうが、高知でたたきに当たり外れはないと思う。そこでたたき定食を注文した。
そのたたきだが、これが鰹のたたきであると定番はない。高知市内ではタレをつけるのが普通だが、生まれ故郷の宿毛ではたたきがタレの中に浸かっているのが普通だ(った?)。これが高知県でも東のほうに行くとゆずが加わったりして調理法が複雑になるようだ。
足摺黒潮市場で何気なくメニューを見ていると、この記事の題目「足摺岬が鰹のたたき発祥の地とご存じですか?」とあり、別ページに土佐清水の西海岸が発祥の地と書いて、鰹の古語、松魚(まつうお)が訛って地名松尾になったと足摺岬西海岸が擬せられている。別ページにたたきの発祥地には諸説あると書かれているので別段文句を付けるわけでない。
僕の知っている範囲では、鰹のたたきは九州から大月町に伝わり土佐で徐々に東に伝わっていったと云うものだ。大月町でも(足摺岬西海岸ではなく)土佐清水市の西海岸でも同じようなものだろう。この知識は上に書いた調理法の変化を研究された方が(僕が学生の頃)ラジオで語っていた話からである。確かに調理法としては西が簡素で東は手が込んでいる。ここの所高知市内でも塩たたきと出されるが、幡多の一部に残っていたものだ(食塩でなく天然塩が容易に入手可能になったのもリバイバルの一因だろう)。
なぜ九州からかは判らない。九州の豊後水道沿いに同じ食べ方があるのだったら、幡多と同一発生と思ってもよいと思う。鹿児島は枕崎まで遡ることが出来ればオリジナリティは、そちらかも知れない。しかし、鰹のたたきとして調理法を確立発展させたのは幡多・土佐であることに間違いはないと思う。学者の見解統一ならずと教えられたことがある。足摺岬でも大月町でも九州でも良いが、今日の足摺黒潮市場、美味しかったです。v(^_^)
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